ぱなりラボラトリー通信

電子・機械工作、天文趣味の60代です
 2週間は長かった。今日帰るんだなーと思いながら首をめぐらすと目に入るのは部屋に飾ってミロの複製画だった。何でかイタリアではこういう場面に出て来るのがスペイン人画家の絵なのだ。朝っぱらから宗教画は見たくないとしても、ミロはミロで私にはハードル高すぎた。
 
 さて、素通りのミラノと一番の目的だったボローニャはともかく、ピアチェンツァ、アスティときて一番の失敗はトリノということになった。植物園にもデパートにもポー川の遊覧船にもたどり着けず、雨に翻弄され続けたのである。たまにはこういうこともあるよねーと窓外を眺めると、今日からは雨も上がるらしい。はるかアルプスの山々が雪を頂いているのが見えた。遅いっつの。
 
 朝食の後、最後の買い物に近所のちっこいスーパーに行った。パルミジャーノ・レッジャーノくらいは買って帰らないといかん。もちろんチーズ売り場には他にもチーズがあり、お安いからこれも買おうと夫に言うと 「でも、ヤギのだよ?」ってあんたの大好物だろうが!!日本で買ったらいくらすると思ってんだ!こんなのもあった。
 
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 まあそれにしても安かった。関税撤廃なんてやってるが、撤廃してはいけないということが良くわかる。若いもんじゃあるまいし、撤廃なんてことになったらこちらの健康に関わる。日本の乳価についてはよくよく守る方向でいかなければいけない。日本人はもはやお腹をいっぱいにすることが重要な時代に生きてはいないのだから。

 何故かイタリア語でスイス・チョコレートと書いてある板チョコがあり、それはずしりと重い割りにはお安い。面白いのでカゴに入れた。高級チョコレートなら日本にもいくらでもある。チョコレートが名物のトリノで売られている最低ラインだったら大丈夫だろうと思ったのである。(日本のチョコレートの倍量くらいの重さで、それでいてきちんと美味しかった。やはり関税は撤廃してはいけないことがわかった・・・)

 ここのレジでは「お先にどうぞ」と順番を譲ってくれるおじいちゃんあり、こういうのも日本人の親切と違う気がする。違うからどうだというのではない。とにかくこの旅ではあちこちから思わぬ親切を受けた。ハテどうやって返したらいいのか。うちの近所には外国人観光客なんぞ誰も来やしない。
 
 想像してみるに、「May I help you ?」それからいきなり「I can not speak English」ってことになるのか。それも中々すごいな。と言ってもイタリアでもどこでもそんなやりとりは全く必要なかったから、こっちの頭が固すぎるのである。
 
 それはともかく、ホテルからタクシーに乗り、走り出したところであんなにも渇望した大きなスーパーが見えた。小さなスーパーの正反対側に、ちょっと歩いて行きさえすれば大きいスーパーがあったのである。この失敗の数々はトリノにもう一度行けということなのか、それとも相性悪すぎるから2度と訪れるなということか、ちゃんと調べてから行かないバカモノだからだということか、どれだ。
 
 ポルト・スーザの駅からミラノ・マルペンサ空港行きのバスに乗る。日本人親子がいて、一時帰国するのだと言った。バスからは延々とアルプスが見え、ミラノ近くなると窓外には水田が広がった。アルプスの雪解け水でイネを育ててるわけか。同じアルプスと言っていいのかなんなのか、日本アルプスの雪解け水でもイネを育てているはず。
 
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 ミラノ・マルペンサ空港。成田行のカウンター前では席の話をしていたら、日本語が堪能な子連れのイタリア人女子が割って入って助けてくれた。目の前に並んでいるダビデという名前の彼はそばに並んでいるイタリア人に、これから行くだろう日本について延々と教えていた。(というか、そこまで間際になって情報収集って問題ないか?)
 
 このマルペンサ空港にはろくでもない罠が仕掛けられていた。パスポート・コントロールの前にこれでもかとばかりに素敵ショップやレストランが居並ぶのである。それで皆、まだ出国審査をしてないことを忘れて楽しく買い物やら何やらして遅れそうになり、マジメに並んでいる人々に「すいませんすいません」と言いながら追い越させてもらうことになるのだ。
 
 それが結構な数いるのにもイラっとするのに、Excuse me!さえ言わずただ黙って追い越して行く女子もいて、それはそれは反感をかっていた。こういう悪人をあえて作る、空港の設計はいかがなものか。おまけに出国審査終えてからは大した店はない。これから行く人は気を付けて、おもいっきり余裕を持って空港に行きましょうね。

 カウンターで助けてくれた日本語を話すイタリア人女子もお子さんを連れていたが、機内には赤ちゃんから5,6歳くらいまで10人以上の日伊のハーフがいた。こんなに沢山のハーフ(またはダブル?)を一度に見たのは初めてだった。赤ん坊は1年待たず生まれるが、その前の出会いから意志の疎通、合意に至る確立など考えてしまうが、それにしては結果の数が多すぎに思えた。
 
 イタリアや日本に関係する分母の数が増えまくっているという証拠なのは確かだ。乗ったのがアリタリア航空だからであって、JALだったらあそこまで多くはなかっただろうと夫は言ったが、見なければいいというもんでもない。あれで驚いてるくらいだから、私の意識も着実に古くなっているらしい。


以下、間違いについて

 アスティ・スプマンテ・・アスティ・スプマンテと注文すれば甘口のソレが出てくるというのは昔の話だったようで、現在は MARTINI というラベルのソレで辛口も出されている模様。割と普及しているのは「天使のアスティ」というのがある。ボトルはカワイイけど、甘いんだろうなあと思うと怖くて買えない。
 
 ティオ・ペペ・・・酒屋になかった。昔、ミステリーを読むと必ずやブランデーかウィスキー、でなくばシェリー酒でおもてなしする場面が出てきた。それで私も一度は買って飲んだことがある。その頃には普通に買えた。SANDEMAN の方は置いてあったから、日本では廃れたというか、負けたのか??
  
 首里城・・・その昔琉球は中国に朝貢する身だったことを忘れていた。するとバッキンガムやヴェルサイユに匹敵するのは紫禁城であって、首里城は景福宮と同じってことになる。多分。
 
 ついでに。
 
 スペインレストランとアスティのホテルでもらったワインは、食事に行く前などに少しづつ消費した。ありがた恨めしいという、変な体験だった。
 
 2週間の旅行が長いのかどうかはわからない。時間だけはあるので何度も行くより行ったら長く居る方が経済的なのである。上には上がいて、その昔ギリシャで出会った夫婦は3か月ヨーロッパを旅行しているのだそうで、「今、日本はどうなっていますか」と聞かれた。
 
 ちょっと前まではホテルのテレビで日本のニュースをチェックしてたが、今はネットで十分なので、テレビをつけるのは天気予報のためとなった。だがイタリアの天気予報でさえ日本語でネットで調べられるのである。とんでもない時代になった。
 
 それでもまだ余地はある。公園で座っていたら土地のおばさんに延々とじろじろ見られる、ということがあった。にっこり笑いかけたらパッと目をそらす。わかる、すっごくわかる。興味があるわけだ。興味はあるけどどうしたらいいのかわからない、と。

 何でも聞いてくれ!と思うし多分彼女の質問は語学教室なら初級だと思う。でもねー、それやっていいのかな、とか色々思っているはずで。私も聞きましたクロアチアで。民泊のお嬢さんの年齢を、その母親に。だって180cmもあるのに顔は幼いんだもん。

 アメリカでは入国審査のおっさんに「オマエたちは何を食べているんだ」と聞かれたこともある。それこそネットで調べられば出てくるだろうけど、「アジの干物」とか「お浸し」とか彼らにわかるわけもなし。日本旅館の朝食を「何を食べているのか判別はつかなかったが美味しかった」と言った外国人もいるわけなんで。
 
 YOU TUBE で日本の食べ物を紹介するアメリカ人は、味噌汁なら味噌汁だけをがーっと飲み、お浸しならお浸しだけを食べ終えるという調子で、それが気持ち悪いと日本人から悪評だった。溝はあちこちにあるのだ。細いのから太いのから深いの浅いのと。
 とりあえず、旅行に連れて行ってくれる夫に感謝することにしよう。
 
 つたない旅行記を読んでくださってありがとうございました。
                              

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 雨模様ばかりでどうもトリノとは相性が良くない。ここはいいところで、もっと楽しめるはずなのに時間も足りない。朝食を食べながら困っていると夫が「あのお婆さん、クロワッサン4つめだ!」とお知らせしてくれる。なんでも最初に3つ持っていき、その後おかわりをもらいに行ったそうである。ああそうですか、こちらはケーキを3つ持って行くおじさんを見ましたよっと。

 部屋に帰りその日の予定を立てる。夫、昨日使わなかったチケットで10番のバスに乗ってポルトスーザまで行き、昨日の周遊バスのバス停からまだ時間が残っているチケットを使って王宮前広場に行こう!と言う。ハテ、この人はなぜ明日は帰るというこの日に1時間に1本しか来ないバスを待とうなどと考えられるのだろうか。

 もちろんタクシーで王宮前広場に行った。バーゲン中だったお店で服も買った。どうせならぱーっとしたものを買えばいいものを、うちの近所でもイタリアでも浮かないような服を選んでしまう。そういう服も必要ではあるけれど。
 
 本日はB線に乗る。Bの路線は昨日のA線より30分長く、オリンピックスタジアムや自動車博物館、トリノ工科大学などを通った。よそ者にとってはあまり関係ないだろうと言いたくなるが、自動車博物館はそうでもないか。全く車に興味がなくてもイタリアの車と言われて3,4つ名前が出て来ない人はいないし、見れば楽しいに違いない。
 
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 バスから降り、食事に行く。お土産になりそうなお菓子を売っているところはない。お菓子屋はあって食べてみたい気はしたが、見ているうちにケーキに乗っかっている若葉色のソレが、アーモンドで作ったものならいいけどいわゆる砂糖衣だったらどうしようとか考えはじめ、夫は夫でお昼にお菓子なんぞ食べたくないと言いやがる。
 
 はあ?ここまでつきあってきた妻にお菓子の一つもあてがわないなんてこの人でなし! くらいのことは言ってもよかったのだが、当のお菓子、なんかこう、日本のお菓子からすると作りがいまいち雑?しかしこんなことばかり繰り返していると「もう海外なんて行かなくてもいいや!」ということになるのだが。
 
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 結局、水、そしてサラダをシェアして食べる。たかだかサラダをシェアして食べるのは貧乏くさい気がしないでもないが、もはやイタリアでもシェアするのは普通になってるようだ。こちらも1皿の半分で十分。ここのサラダは店頭に見本が出してあって、ものによっては温めて出しているようだった。お願いして、写真を撮らせてもらった。今度おうちで作ってみよっと。
 
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 お菓子を買いたがる私に夫は「市場ならあるかも」と言う。市場は王宮の裏手にあるので地味に行ってみる。最初にたどり着いたのは青果市場で、行けども行けども野菜野菜にフルーツ。商品は一緒で小さな屋台が一杯。こんだけの数の店に対してお客さんはどれだけ?どう見ても店の方が多すぎるように見えた。
 
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 越えて屋根のある建物に入ってみる。そこにはパン屋の他に冷房が必要な肉類や、チーズなどの店が集まっていて、ヌガーなど扱うお菓子屋もあった。見ていると試食をくれる。バラまき土産にちょうどいいので100gづつ買う。これもどうぞと夫に小さなコップが渡され、白ワインかと思ったら蒸留酒だったのだそうで、そしたらレモンチェッロかなんかか?私は飲んでないのでわからない。
 
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 アーモンドの粉で果物をかたどったマジパン菓子も買った。作りはいまいちだが、日本ではあまり見ないので喜ばれる。100gいくらで売っているので、逆に各種3つづつ指定して、重さを計って計算してもらった。味は甘すぎる感があったが、どうせ皆食べない。ぎりぎりまで友人一同に見せびらかし、ある日カビを発見するのが運命というお菓子だ。多分外国人も日本で落雁とか買って、同じようなことをやっているのではないか。
 
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 そのまた隣のガラス張りの建物に入ってみたら、そこはフードコートになっていた。夫、座りたいというのでそんじゃまあアイスクリームでも食べますかと。アイスクリーム屋はへらへらした若者がやっていて、まずは容器の大きさから聞き、次に何がお好みかと聞く。そんなこと言ったって、30以上も並ぶアイスクリームの容器は全てフタがされており、名前もついてない。
 
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 ヘラヘラしながら「ピスタチオ?」と言うので「シ。エ、リモーネ。」と言ったらヘラヘラがぴたっとやんだ。こちらとしてはすっきり味のレモンとこってり味のピスタチオの組み合わせを指定することで「どや!」とやったつもりだったが、向こうはこちらがイタリア語を話したので驚いたのか、さもなくば「ペルファボーレ」を言わなかったのでイラっとしたか。
 
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 いったん止んだのにまた雨が降ってきて、お菓子と洋服を腕に、野菜の中をつっきって広場でタクシーを拾ってホテルに帰った。後はホテル近くのスーパーで普通のチーズとか調達するだけだ。
 
 ところでそのスーパーはホテルの目の前の通りを左に直進したところにあり、最初に乗ったバス停はホテルの裏手方向にあった。この日のレストランはほぼまっすぐ直進したところで、最終日に発見した大きなスーパーは右側にまっすぐで、どれもこれもほぼ90度の角度で存在していた。こういうのって何かの呪い??
 
 最終日は海鮮料理のトラットリアだった。途中パン屋があり、地味なお菓子やお決まりのカンノーリも売っていた。ココナツのお菓子ともう1種類を指定したらその2種類で100gで出してきた。どちらも100gでよかったが、せっかくなのでそのまま去って道路わきで試食に及び、ココナツのお菓子が思いの外しっとりとして絶好調に美味しいのが判明、これとパンを買って帰ろう!ということになる。
 
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 ココナツのお菓子は普通にあちこちにあり、夫の好物なので端からカゴに入れて来た。しかしなぜイタリアでココナツがこんなに普及しているのか。ホテル近くのスーパーではデーツの1パックが1ユーロしなかった。デーツとはナツメヤシの実で、エジプトとか中東ではこれしかないのかというほど売られていて、結局きれいな箱入りのを千円で買ったりした。
 
 一方、日本にツアーで来る外国人たちもお土産を買ったり名物を食べたりしているはずだが、どんなところで何を買わされているのだろう??大人気だというラーメンや寿司をツアーでは提供されているのだろうか。
 
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 近くに大きな教会があり、修道女が歩いていた。入ってみると立派な聖歌が聞こえてきた。聖歌隊ではなくて一人の歌だったがまあなんときれいな声。ここはひとつ、改宗するべきではないのかってくらい。教会もきれいだったが何よりいいもの聞かせてもらった。教会の前は広場になっていて、DON BOSCO と書かれた巨大な像があった。サレジオ会の教会だった。
 
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 今度こそ食事に行く。誰やらのブログによれば、タコ丸ごと出てくるような店のはずだった。店の冷蔵ケースには様々な魚や生カキが置かれていて、イタリアでこんなの初めて見た。
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ただ、量に関して言えば店は反省したようで、海のマリネ、イカとエビ焼き、など注文したがいまいち少なくて、もちろんカキ5つがおなかに溜まるわけもなく、そう言えばと今まで食べなかったミラノ風カツレツを注文してみたが普通のの半分ほどの大きさだった。
 
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 たまにゃーこんなこともあるのねえと言いながらホテルに帰る道すがら、2つ先の通りを路面電車が走り過ぎるのが見えた。あれがここまで通じているのがわかっていさえすればタクシーにも乗らず、簡単に王宮前広場に行けたはずで!!「すいません、調査不足でした。」と夫は言った。

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 路線図を調べて大体のあたりをつけ、今度は10番のバスに乗ったはいいが、PORTA NUOVAのつもりで、PORTA SUSA の駅で降りてしまう。降りたはいいがいまいち様子が違ので、駅で近くのお姉さんに聞いてみて、やっと、スーザ駅の方だと判明。

 ミラノの空港にはこの駅から出るバスに乗ることになっている。とりあえずそれを確認してから、改めて途方に暮れる。「あっちの方に広い通りがあるみたいだから、そこからバスに乗りましょう」「そうしましょう。」で、タバッキはあったのでチケットは買えたがバスは来ない。その目の前を「MUJI」、つまり無印良品の紙袋を下げたご婦人が横切る。だからって日本語どころか英語も期待できない。
 
 「これじゃダメだ、歩こう!あっちの道だってバスが通ってるみたいだし!」というわけで歩き始めるまでに旅先で1時間の損失。フリーの旅、あるあるってやつか。毎日の歩行数を見ていればわかると思うが、旅先では感覚おかしくなる。この時も王宮前広場までさして遠いとは思わなかった。だが、王宮前広場にたどり着いたときには既に12時。午前中は散歩で終わったことになる。

 土地カンが養いにくかったのは、ホテルが市街地図の中に納まらないところにあったから、というのがあった。ホテルはタクシーを使ってもモトがとれるのだと夫は主張したが、そういうわりに公共交通機関を支持。だが、路面電車に乗りたくても、目の前を走っていくそれがどこをどう通ってどこまで行くのかがいまいちつかめない。市街地図では路面電車の行く先は途中で終わっているのである。
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 残念ながら昨日見たのは王宮ではなく別の建物であると夫に指摘されていた。今度こそと王宮に行く。なるほど昨日の建物は全然王宮ではなかったね。ぴっかぴか〜〜〜。こんなところに「ただいま〜」と言って帰ってみたい。まあしかしボルネーゼ宮殿だって2階に上がるだけで青息吐息だったのであり、こんなところに住んでいたら「ただいま〜」から「ふう」まで何m歩くやら。
 
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 さすが王宮、延々と鎧兜が並ぶ部屋もあり、中には明治天皇から贈られたという日本の鎧兜もあった。美術館も併設されており、ヴァン・ダイクとかあって見ごたえ十分。x
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 広場の裏手のカフェでお昼。ピザとサラダ、カンノーリ。カンノーリとは何かと言えば円筒型に焼いたビスケットの中にリコッタチーズで作ったクリームを詰めたお菓子。以前読んだ小説の中では「作りたてでなけりゃダメだ。売ってるものなんぞ皮がふやけて食べられたもんじゃない」とあり、当然、彼の妻は彼のために一日中料理している。
 
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 確かゴッドファーザーの何作目かでも、マフィアがトウモロコシ畑?の中で人を殺した挙句、、「さっさと帰らないとカンノーリがダメになる」と言って去るシーンがあった。そこまで言われれば食べてみたくもなる。しかし昔、二子玉のデパ地下で食べてみたときは、残念ながら皮は柔らかく地味にカビ臭かった。
 
 イタリアはこれで3度目のはずだが、なぜか今回はカンノーリを沢山見た。どこにでもあった。日本ではなんだろう、大福?・・・だが到着したそれを食べようとしたらナイフがなかった。さればとフォークでえいやっと真ん中をゆで卵の殻のごとくぶったたいてきれいに割りを入れたところにナイフが来た。遅い。というか、ピザといいカンノーリといい、ナイフ入れるのに大変な食べ物多すぎ!カンノーリは。まあカンノーリだった。
 
 店内にはタトウーガールなる3連作の絵が飾ってあり、1枚目は若い女子が背中にタトウを入れている場面であり、3枚目はそれを見せるショウに出演して喝采を浴びているというものだった。うわあああ気色悪!というのが普通の日本人の感覚だと思うが、最初のボローニャからピアチェンツァからアスティまでタトウ入れてる人の多いこと多いこと。
 
 お次は周遊バスに乗ることになっていた。これに乗るとトリノの主要な場所を一回り出来、乗り降り自由で観光出来るのである。A、B,C と3路線走っているが、まずは1時間に1本出ているAラインに乗ることに。24時間用チケットを買ったので、本日中に全部乗らなくとも大丈夫。それはいいがぽつぽつと雨が降り出してきた。
 
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 2階席に座ったが、2階は屋根だけで窓がない。雨は強くなり風によってはこちらに吹き付けてくる。それをもらったばかりの路線図で防ぐ。しかし窓外の眺めの楽しいこと。同じ郊外でも北と東とでは全然違った。ポー川を渡ると離宮や高級住宅街となり、プールも見える。再び川を渡ってやがて大きな噴水が素晴らしいヴァレンチノ城の横を通るころには、なんでこっち側に宿をとらなかったかと夫を恨んでいた。
 
 雨はゲリラ豪雨のようで、最初は外を走っている人も見えたが途中から誰もいなくなり、心細げに建物やアーケードの奥から通りを見る人だけとなった。2階客は段々少なくなり、振り返ったら我々とあと二人だけ。その二人も「健闘を祈る!」と手を振ってポルト・スーザの駅のバス停で降りていった。しかしバス停から駅に行くには広い通りを横切らねばならないから、彼らは確実にびしょ濡れになったはず。
 
 1階に降りる。見える景色が変わる。道路脇は足首くらいの水深となっていた。公園の通路から道路へ濁流の川と流れ込むのが見え、次にはバスが、並んで駐車中の車に思いっきり水をはねかけるのが見えた。トリノの車はなんとなくきれいだと思ってはいたが、こういう洗車のおかげだったのか。いや、これきれいか?
 
 王宮前広場、バス停はあれど屋根はない。アーケードで雨宿りをしていた若い女子たちがバッグをかかえて広い通りをつっきってバスに駆けつけるのが見えた。また、アーケードでは傘を売っている黒人青年たちがいた。偽物のブランドバッグと黒人青年の組み合わせは良く見るものだが、傘というのは初めて見た。

 終点のバスから降りる。乗り降り自由なのに、結局降りなかった。バスからの眺めの方が面白かったんである。その日雨は弱くはなっても降り続き、翌日水が引いた後には、街中が街路樹の葉っぱだらけになっていた。
 
 それはともかく明後日には日本に帰るわけだから、土産物を買い集めねばならなかった。これと言ってアテはなく、美味しそうで珍しいものなら何でも。王宮前からアーケードを南に下ったところに高級そうなスーパーを発見、まずは名物ジャンドウヤ(ナッツ入りチョコレート)を選択。私はカワイイパックのものにしたかったが、何でか夫は安い、袋入りcoop印のを薦める。多分これがトラディッショナルではないのかと。面倒くさいので両方買うことにして、ついでにスミレとアニスのカワイイパッケージのキャンディも買った。
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 何がすごいかって、このチョコレートはその後両方とも夫にお土産として召し上げられてしまうのである。おっさんばかりの会にお土産として持っていくために。それならどっちも袋入りに、あ、いえ、お高い方にしたのにと、残念。まあしょせんチョコレートだ。

 カルフール・エクスプレスがあり、エクスプレスだからそんなに広くはないけれど十分だった。イタリア名物菓子シリーズらしきのが置いてあって、これは良かった。トリノでマントーヴァとかシエナのお菓子を買う意味を問われるかもしれないが、遠い日本から来たのだから今更誤差の範囲内である。というか、自分が食べてみたい!!
 チーズもカゴに入れたが、もちろん自家用、これだけじゃいまひとつだなと思いつつ明日に期待してタクシーに乗った。タクシー代は10ユーロで済んだ。
 
 雨は小さくなってもいっかな降りやまず、夕食はホテルのレストランにした。
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 夫は甚平で、私はワンピースでおめかし?やがて入って来た客は夫の姿を認めてぱあっと笑顔になり、「コンニチワ!」と挨拶してくれた。
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この晩はリコッタチーズを詰めたズッキーニの花のフライなど食べた。他は何だったか覚えていない。
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24000歩。

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 本日はトリノに移動する日であった。
支度しながら外を見ていたら、2匹の犬を散歩させているお兄さんがいた。犬は2匹いて、ふわふわの白いのと茶色の模様がある中型犬。ふわふわの方は賢くてきちんと飼い主の足元から離れない。だがもう1匹はどう見ても残念犬で、寄り道ばかりして飼い主とふわふわを困らせているのだった。

 本日も十分な種類と量の食事が用意されており、上にフルーツを一杯載せたケーキを味見。土台はゼリーというかクリームというか。そこそこ美味しいけど、そうそう珍しくもない感じ(本当は珍しいのかもしれないが)、無理に食べなくてもいいという結論。 
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 ケーキを置いてあるエリアとパンを置いてあるエリアは違うが、クロワッサンはケーキやドーナツのエリアにあり、ということはやはりジャムやチョコが仕込まれているわけだ。生しぼりオレンジジュースもあって、なんて贅沢なんでしょう。マダムがオムレツを作りましょうか、というのでお願いしたら、こんなのが来た。バルサミコ酢での「Lis」のサインはホテルの名前である。 
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 マダムに富士山のお扇子をお渡しして出発。この人は私より年下かもしれず、ぱりぱりと働いている姿は格好良かった。が、パスポート・チェックでこちらの年齢を知ってる向こうにしてみれば、「しっかりせい!」ってなもんかもしれない。若く見えるのはいいが子供っぽいのとバカなのはダメなのだ。ええ、すいません。
 厨房で働いているスタッフは「ありがと〜、日本ナンバーワン!」とちゃらく送り出してくれた。あれももしかして息子くらいの年?
 
 ホテルを出たのが9時半、電車は9時55分。ぎりぎりになったのは夫がまた迂回を求めたからだ。Hotel Lis の地理条件は最後まで夫を惑わせたことになる。

 券売機は「あと5分ですが大丈夫?」の表示を出しやがり、そんなの聞いてくるくらいならとっととチケット出せ!ってな状態。夫がチケット買ってる間にこちらは車両番号と何番線かを確認、もちろん、こんな時に限って1番線ではない。スーツケースひいてわたわたと走る。
 
 だがこんな大人が車両に乗り込んだら驚いたことに男の子3人を連れた女の子がさっさと席を立ち、我々にセキを譲ってそのまま他の車両に行ってしまったのである。な、なんと立派な!!私なんかよりずっと立派じゃん!お礼を言うことしかできなかったが、譲ってもらったおばさんはその後感動とありがたさにちびっと泣けた。
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 車窓からは白馬ばかりが草を食んでいるのが見えた。何故白馬ばかりなのかはわからない。白いのは柔らかくておいしいとか聞いたことはないけど、聞いてないだけかもしれないし。誰か聞いたことあります?
 
 トリノまで1時間。トリノと名前がついている駅は二つあり、PORTA NUOVA とPORTA SUSA である。PORTA NUOVAの方で降りる。大きな駅で、観光案内所を探したが見つからない。ま、いっかとタクシーでホテルに。10ユーロほどだった。Pacific Hotel Fortino 早く到着したにも関わらず、部屋は出来てるからとすぐに入れてくれた。ありがたい。

 ホテルは住宅街にあって、裏手には公団住宅、横を川が流れていた。川の流れは深くて早く、色は塗りたてのコンクリートそっくりだった。落ちたら幼児どころか大人だって確実にご遺体になって堰にひっかかることになりそうだけれど、あんな色の川で死ぬのは控えたい。イタリアン・アルプスから流れて来るはずだが何でこんな色なんだか。窓からは、アパート越しに雪をかぶったアルプスが見える。
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 休憩してから観光に出発。ここで新しい経験をしなければならない。タバッキ(白い看板にTのマークが目印。文字通りのタバコ屋? )でチケットを購入、バス停で路線バスに乗るのである。バス停は川を超えたところにあり、タバッキはその横にあったからチケットを買うのは簡単だった。だが、平日だというのに若い黒人の皆さまが周囲でひゃいひゃい遊んでいて。下着が見えるほどにズボンを下げている。これも移民の皆さまだが、つまり同じ移民でも、偉い移民と偉くない移民がいるらしい。
 
 ショッピングセンターについて調べていたら、「荷物を車に運び入れようとしたら移民の人に買ったばかりの食料が入った袋を盗まれそうになった」という記述があった。お金と食料、盗まれてショックなのはどちらなのか。砂漠ならともかく文明国の中にあって食料を盗むのって。
 
 11番バスは10番バスを3本やり過ごしてからやってきた。バスは結構混んでいて、夫が座ると隣の席を譲ってくれようとした青年もいた。こちらでは夫婦1単位、片方が座れば両方一緒に座れるよう男子なら配慮せねばならないらしい。こっちは気にならないけど、同じ調子で日本に来たイタリア人はどう思うのか。
 
 ふと思いつき、向いに座った夫に、扇子で風を送ってみせる。こんなことはイタリア人はしないし普通の日本人だってしないが、ちょっとふざけてみたのである。大抵、目を丸くされる。同じ表現でも、お尻を揉まれながら歩くより夫を扇子であおいでやる方が楽だと思うんだが。
 
 席を譲ってくれようとした青年に「チャオ!」と一声かけてバスを降りた。
降りたはいいが、大体のところはともかく、確実な居場所がわからない。ホテルでもらった地図を見て延々悩んでいたら私と同じくらいのおじさんがやってきて、親切に教えてくれた。ピアチェンツァはすぐに慣れたが、トリノは大きい。ゆえに同じ旧市街でも文字は細かくなるし、主要な施設の位置関係もまだ覚えてないし。

 結局我々は VIA MICCAにいて、王宮広場、ひいてはそこにある案内所まではすぐそこだった。途中日本料理の店があり箸を操って寿司を食べてる人々が見えた。トリノ寿司か。
今時どこに行っても寿司はあるが、寿司なんてご飯の上に生魚を乗っけただけと言う人もいるらしい。食べたことがないならまだしも、どこかでそれが普通に売られていたらどうしようかと心配になる。酢飯、せめて酢飯だから!お握りのご飯の方は白飯だから!
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 王宮広場前の案内所にて地図をもらう。こちらの方が見やすい。まずは王宮に行き、陶器なんぞ置いてあったものの小さな庭の方を楽しむ。りんごに洋ナシにプラムにイチジクが小さな実をつけていたのである。整形式庭園がなんぼのものか。
 
 近くには「TVラジオ博物館」というのがあり、行ってみたらそれはRAI(イタリア国営放送)の建物の中だった。建物は大きくなかったが、トリノだから比べるべきは渋谷のそれではなくて名古屋放送局あたりか。中身はといえば・・私にわかるわけがない。
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 近くにはぴっかぴかの高い塔があって、何なのかと見に行ったら映画博物館だった。上ることも出来、世界一高い博物館と言われているらしい。
 
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 疲れてタクシーに乗って帰ろうとするが、遠回りされそうになる。わかって幸いなのか不幸なのか、夫は延々と日本語混じりで文句を言い、お終いには「わかったよもう、10ユーロでいいから!」と言わしめた。私も泣きまねのひとつもして協力すべきだったのかもしれない。
 
 夕食は近くのトラットリア、だがそこはピザを主力とするトラットリアだった。
電灯がチカチカと切れかけている。その下に座らせられたときにはさすがに席を替えてもらったが向こうは何とも思ってなかったみたいで、後から来た地元客は普通にその下で食べていた。
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 注文はミックスサラダと例のごとくのカプレーゼ、馬肉のステーキと豚肉のステーキ。ミックスサラダは切った順番に器に入っている趣、カプレーゼはバジル抜き。いずれもオリーブオイルとバルサミコ酢うを使って自分で味付けすることになっている。「切って並べただけでは料理ではない!」と常々主張する夫、忸怩たる思いが顔に出ていた。
 しかしステーキはどちらもいやに美味しくジューシーで、ハテこの焼き具合はと訝って厨房を見れば、もしかしてピザ釜で焼いた???
 
 この日は9900歩。

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 朝7時半、食堂は満杯だった。ツアー客らしく、わあわあとおしゃべりしている。これから移動するらしく荷物が部屋の隅に置いてある。中高年ばかりで、スーツケースは3泊4日用に見える。食べ物の横でどうしようかと悩んでいたら、そのうちの一人にフォークがないと言われた。私は従業員ではないと言い、マダムも「この方はお客様ですよ」と口添えしてくれた。
 
 その朝私はとても呑気な格好をしていて、一方従業員は朝から黒服。間違われて迷惑なのは従業員の方であろう。ともあれ、中国人(東洋人)女子はどこにでもいて、様々な仕事をしているようだったから、仕方ない。仕方なくない!と怒ろうとするならば絶対に従業員と思われなさそうなおめかしをしなければならないた、そんな根性ない。そして、移民に間違えられたと怒るより、移民の皆さんは偉いなあと感心している自分がいる。
 
 人数からすると家族経営というよりは一族経営って感じでスタッフの皆さまは朝からぱりぱりと働いていた。卵をとったらそれは生なのでこれから茹でねばならないがどうするかと聞かれもし、テーブルに帰る途中で生卵とも知らず割ってしまった別の客も見た。(怒ってた。ぷぷぷ)
 
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 この朝私は初めてホールのケーキを食べてみた。これまでのケーキは上にジャムを載せた、ケーキというよりパイで見るからに安い感じだった。しかし、ホールのまともなケーキだぞ?というわけで、隅っこを向こうが透けてみえるほどにカット。外見が素朴なそれはナッツの粉が入っていることがわかった。昨日見た包装紙がカワイイお菓子も多分そうなっているのだろうと思える。こういうことか。

 朝食後、まずはホテル近くの教会を見に行くぞと夫に宣言する。仔細ありげな立派な教会だというのに、このままでは素通りで終わりそうだったのだ。大理石とステンドグラスが美しい教会だった。こちらの教会は、とにかく大理石!(エジプトだと赤御影石!)近くにはCOMPRESSO DI SAN PIETRO なんてのがあって誰もいないのをいいことに庭のプラムをひとつ。手が届くところのはほとんど収穫済みだったが。
 
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 次は案内所。広場には市が出ていて、Tシャツを買った。18ユーロ。
だがその後行った案内所には「TOKYO」と、他に中国語が書かれているTシャツを着ているお姐さんがいて、日本大好きーみたいなことを言う。もちろんイタリア語なので詳細はわからない。というか、どこで買ったのかあのTシャツ?もしかすると目の前の市場の品物で、私のも彼女のも中国製かもしれなかった。けどもうどーでもよろしい。

 本日はバスで近郊に行ってみようという話をしていた。電車よりもバスの方が世間に近しい。しかしアスティはワイン作りをはじめ農業で頑張っているところなので、延々と続くブドウ畑を見るばかりの旅になるのではないか。嫌いじゃないけど。
 
 それでバスセンターに行くがチケット売り場が見つからず、トイレも見つからないのでイヤになり、もう電車でいいやと駅に行き Mizza Monferrato という街に行くことにした。
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 電車で30分、Mizza Monferrato は周囲をブドウ畑に囲まれた田舎街だった。映画館を発見、そこでわかったのは週に3日、しかも夜しか上映しないということ。
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お腹が空いたのでBarに入った。細い細いお姉さんが世話を焼いてくれる。別のテーブルでは作業着を着たおっさんが白ワイン片手に大量のメロンに載せた大量の生ハムを食べていた。もしかしてダイエット中?こちらはサラダと水、冷たいペンネ。サラダは砕いたパルミジャーノチーズとクルミとちぎった鶏肉が入っていて、見かけより食べ応えがあった。帰ったら私も作ろうっと!
 
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 そうそう、日本料理店も発見した。こんなクソ田舎で(ごめんなさいごめんなさい)。何がすごいって店名が既に日本語じゃない。このあたりの住民が読めるとも発音できるともわからない。見たら店の中にいたのは東洋人でさえなく、こちらを認めると合掌してちょこっと頭を下げてみせた。違う、そうじゃない。
 
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 どんな日本料理かはわからないが、食べるに足る料理をこしらえて頑張っているのはわかるけど。記憶にないけど、その昔の日本の地中海料理とかどうだったんだろうか。今はともかく、日本人がオリーブ油でお腹壊す時代もあったんである。
 
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 街を歩いているとお店からひょいと子猫を肩に載せて出て来た男の人がいた。きゃあきゃあ言ってつきまとってお願いして写真を撮らせてもらった。聖マリア教会に行くと、アスティの街で見た「赤ちゃん生まれました」のお知らせの飾りが沢山奉納?されていた。
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 電車で30分、アスティに帰ってくる。ホテルで休もうか。だが夫、ホテルへの道をまた迂回してしまう。いまいち足が悪いのに、なぜ道に迷う余裕があるのか。道に迷わなくなったら、本当に後がないということか。それこそは旅行をやめる時なのだろうが、ハテいつどこで判断することになるのか。
 
 本日もマダムのお勧めレストランに。ホテルからすぐ近くで、周囲にも何軒かレストランがあり、日本料理店もあった。看板には写真と日本語をローマ字表記した品名が。つまり TERIYAKI とか。ラーメンやギョウザ、チャーハンもメニューにはあった。
 
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 イタリア人的には和食なんて全部前菜みたいなもんだから、油っこい中華でも添えなければお腹いっぱいにはなるまいよ、とは一応言える。言えるように見えるが溝はそれでけではない。それは彼らにとって、多分ラーメンは麺の入ったスープかスパゲッティなので順番としてまずこれを食べて、それから肉、魚に行かなければならないということ。
 
 チャーハンは米で野菜扱いなので肉や魚の付け合わせにしか見えないはず。その上で一皿ずつ順番にテーブルには置かなければならなくて、例えばおひたしがあればそれは先に食べてしまって、次のラーメンを食べ、しかる後に肉魚を待つことに・・・。中華料理に慣れていれば全皿テーブルに並んでもおじけづかずに済むんだろうけど、最初は奇異な眺めに見えただろう。

 通りすがりの人間がそこまで考えてもよろしい。この日のレストランはピアチェンツァのスペイン料理と争う美味しさだった。普段なら滅多に頼むことはない前菜盛り合わせだが、メニューにはトラディッショナルスタイルとあった。その皿のど真ん中にはトリュフをかけたタルタルステーキがあり、周囲はツナをローストビーフで巻いたものやタマゴのムースなどで取り囲まれている。(夫、トリュフ惜しさにタルタルステーキにも手を出す。)
 
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 メインはロバの煮込み(赤ワインソースで煮込めばなんだって一緒だということがわかる逸品?)とイカとナスの詰め物にイカのグリルを添えたもの。イカの中にはお肉関係のものが、ナスにはチーズが詰められていた。
 
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 この店はピッツェリアの看板もかかっていて、こんなに美味しくて大サービスなのに周囲の人々は皆ピザを食べていた。ピザをナイフで切るのは結構大変で、隣のテーブルでもナイフを操るお姐さんの人差し指はそっくり返っていた。
 
 帰途、日本食レストランをちらと見たら店は満員だった。楽しそうに食べていた。
いつか私たちも入ってみることがあるのだろうか。
本日は17000歩。

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