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もとは豊臣秀吉が造営した聚楽第内にあったのを聚楽第の破毀後、この地に移したものといわれ、秀吉に因んで出世稲荷という。本殿にはうがのみたま、猿田彦神、天うずめ神などを祀る。 |
京都のご利益さん
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祭神として崇道天皇(早良親王)、吉備真備はじめ十三柱の神霊を祭る。延暦13年(794)平安遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として奈良・平安時代の初期に不運のうちに崩じた八柱の神霊を祭ったのが当社の起こりである。古来より疫病除の霊社として有名。境内は御霊の杜といい、応仁元年(1467)正月18日畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の乱の発端となったところである。 |
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江戸時代初めの頃、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人千宗旦(1578〜1658)に姿を変え、時には雲水にまじり座禅を組むなどして人々の前に姿を現していた。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を憐れみ、雲水たちは祠をつくり供養した。それが、今でもこの宗旦稲荷として相国寺境内に残っている。 |
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祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)、瑞津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、天石戸門神(あめのいわとあけのかみ)。延暦14年(795)、藤原冬嗣が邸宅・小一条院内に筑前より宗像社を勧請したことに始まる。その後、藤原時平が倉稲魂神、花山院家忠が天石戸門神を合祀。花山院の鎮守神。 |
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天正五年(1577)上立売大宮の地に天性寺が創建、中将姫像を安置しました。その後秀吉の都市整備により現在地に天正十五年(1587)に移りました。本尊阿弥陀如来。 |







