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神功皇后のいくさ船の上に立てた御旗を八千矛神らの神霊と合わせ祭ったのが始めと伝えられ、桓武天皇の平安遷都に際し、平安京の守護神とされ816年に官社となった。平安城の南方に鎮座するところから城南宮と呼ばれた(立て札より抜粋)。方除けの神様として有名です。鳥羽伏見の戦いで、官軍(薩摩・長州・土佐)が鳥羽においてこの辺りに陣を置いたとされている。 |
京都の新撰組
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当初は真言宗であったが、1360年知恩院11世が当寺に来た折に浄土宗になった。山門には「戊辰東軍戦死者之碑」が立っている。この地は東西両軍の激戦地となり「堤上死骸粉々、路を塞ぎ、いくべからざるなり」と当時の記録が残っている。又、当時の砲弾などが保管されています。 |
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船を待つ客が泊まった船宿。幕末時代、坂本龍馬がよく薩摩・長州との連絡に利用した。龍馬と妻お龍の出会いの場所であり、二階には龍馬が投宿した「梅の間」がいまもそのままに保存されている。 |
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鳥羽伏見戦の弾痕跡が生々しく格子戸に残っている。1764年に初代、三郎兵衛が讃岐から上洛し、料亭をはじめた。(現在も営業しています) 御香宮に陣を置いた薩摩藩の炊事方を勤めた。 |
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祭神は、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇など9柱を祭る。社伝によれば、862年、境内から清泉が涌き出てその香気が漂い、その水を飲むとたちまち病がいえたので「御香宮」を賜った。 |







