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大慈山と号する真言宗豊山派の寺で、推古天皇の勅願により聖徳太子の開創とつたえるもあきらかでない。本堂に安置する本尊合体大師像は弘法大師と八幡大菩薩との合作によるものとつたえる。 |
京都 四十八ヶ寺(神社)めぐり
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報国山と号する西山浄土宗の総本山で、世に栗生光明寺といい、法然上人の廟所のあるところとして浄土宗寺院の中で、もっとも重んぜられている。法然上人の廟ははじめ東山大谷にあったが、安貞元年(1227)叡山の僧徒によってあばかれようとしたので遺弟によってこの地において荼毘に附し、遺骨を納めて宗廟を築いた。このとき上人の石棺から光明を放ったというので光明寺と名づけたという。 |
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長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とする。社伝によれば、昌泰四年(901)道真が筑紫左遷の時、随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祭ったのが起こりと伝える。 |
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深雪山と号する真言宗醍醐派の総本山。醍醐の山上・山下にわたって多くの堂塔が建並び山上を上醍醐、山下を下醍醐とよび、総称して醍醐寺という。理源大師聖宝が貞観年中、上醍醐の山上に観音像を奉安したのが当寺の起こりとする。又、青龍権現を勧請して密教護持の神とあがめ、山中に涌き出る醍醐水にちなんで寺名とした。 |
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当寺は亀甲山と号し、真言宗山階派の大本山で、勧修寺門跡として知られる。 昌泰三年(900)醍醐天皇が生母藤原胤子の菩提を弔うため、宮道弥盆の居宅を改めて、 仏寺となし、天皇等身大の千手観音像を安置し、鎮護国家の道場としたのが起こり。 |







