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宝塔寺・塔頭。境内には将棋の名人宗桂の墓があります。姓を大橋。織田信長から将棋名人の称号として桂馬の桂の一字をとって宗桂という名前を与えられたといわれています。 |
戦国時代の京都
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牛皮山曼荼羅寺と号する真言宗古義小野派の大本山で、随心院門跡または小野御殿といわれる。当寺は寛仁二年(1018)に仁海僧正がこの地に一宇の草庵をむすんだのが起こりとつたえる。書院は徳川秀忠夫人於江与(おえよ)の寄進である。 |
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深雪山と号する真言宗醍醐派の総本山。醍醐の山上・山下にわたって多くの堂塔が建並び山上を上醍醐、山下を下醍醐とよび、総称して醍醐寺という。理源大師聖宝が貞観年中、上醍醐の山上に観音像を奉安したのが当寺の起こりとする。又、青龍権現を勧請して密教護持の神とあがめ、山中に涌き出る醍醐水にちなんで寺名とした。 |
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伏見桃山城は、現在の京都市伏見区にあった城郭。記録によれば、室町幕府の家臣であった三淵藤英(細川藤孝の実兄)が伏見に居城を持っていたとされるが、詳細は不明である。 |
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和銅四年(711年)、秦伊呂具(はたのいろぐ)が農耕守護神を祭ったことに始まる。平安遷都後は弘法大師が東寺の鎮守社として崇めた。本殿は向唐破風造りの向拝で細部には豪華な桃山風の彫刻がみられる。 |



