■ 嬉しい 楽しい ありがたい ■ 大熊良樹(講師)の公式ブログ

★元禅僧でありながら<生命の教育)>に基く「赤ちゃんの救命活動」をしている社会教育家★

全体表示

[ リスト ]



私たちの運動は「いのちを守る」運動です。いのちの尊厳を守る運動だから特定の宗教や特定の主義主張の枠でものを捉えません。みんな尊く素晴らしいいのちである。このことを伝えて守りたい人々と力を合わせて行きたいと思います。ただし「人の悪口」「中傷」「罵倒する人」いのちに線引きする人はご遠慮します。いのちを萎縮させ、心を凍らせ、人の心を殺すからです。あたたかく優しく思いやりを持って「親切道(深切道)」を極めるような生き方を共にして参りましょう。大熊良樹拝

イメージ 1



イメージ 2



イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5




平成30年11月7日(水) 

イメージ 10



歴史的文書(永久保存版)『白鳩』誌 昭和27年7月号 巻頭言
  『百万人の児童を救う運動を起せ』  谷口雅春先生
           
 世界に一つしかない法律が出来たのである。それが日本に出来たのである。人工流産の枠が外されて、一さい優生保護法指定医(開業三年後の産婦人科医)の自由裁量に任せられる法律である。産婦人科医に殺人の自由がゆるされた法律である。
 
 医学評論家の石垣純二氏は「こんな法律は世界中に一つもない。文明国にもないし、後進国にもない」と云っている。「人工流産は年々ふえる一方で、昭和二十五年は四十九万件であったが、二十六年は六十二万件以上とうなぎ昇りだ。しかも、これは氷山の一角にすぎない。全医師の一割にもならない指定医が届け出た数字がこれで、このかげにどれほどのヤミ流産がかくれていることか。K市の保健所の調査では合法1につきヤミ3だったという。これを全国に当てはめてはえらいことだけれど、まあ表面に出た六十万件のかげに、その二倍ぐらいのヤミ流産があると推定される具体的証拠がある。」と。
 
 これによると一年間に二百万人の胎児の殺人が日本で公然又は黙認して行われていると云うことである。こうして殺人の上に築かれたる生き残っている人だけで平和がいつまでも平和でつづき得るかは疑問である。
 
 石垣氏は更に日本全国に千二百万人の適齢母性があるのに指定医は全国で七千人足らずしかもそれが都会に偏在していることと、この法律の堕胎公許によって堕胎を罪悪視する心がなくなることとによって素人による手軽な堕胎が到る処に行われる危険をのべ、更に(指定医だってピンからキリまである。指定医が手術したって、本質的には危険な手術に変わりがないのだ。
 
指定医の手術でも四、五百人に一人は死んでいるし、死なないまでも大出血や子宮穿孔などの障害のあった例は、その十倍もある。古屋公衆衛生院長が三百人ほどの指定医をしらべた報告では、十人につき一人づつ殺している指定医が四人もあったという・・・・それに流産にくる女性の二割が妊娠三ヶ月以内を過ぎてしまっていることも問題だ。九ヶ月の人工流産さえ聞く。九ヶ月なら生きて産まれるはず。そこで頭に穴をあけて引き出すのだ。完全に殺人だ)まことに石垣氏の云うとおりである。
 
 最近私は龍野の婦人誌友で、骨盤の奥行が狭いから人工流産をさせるか、帝王切開分娩をしなければならぬと専門医から云われたものが生長の家の教えに触れて三度のシキリ毎に「あゝ好い気持・・・・」と快感を表現しながら無痛分娩した挙句、その婦人は股関節の先天的脱臼で右足が短くて跛を引いていたのが復旧して跛行せずに歩行出来るようになった実例をきいたのである。これなども医師にまかせておけば、殺人される筈の子供であったのが、宗教に触れたために救われた一例である。政治に宗教が入らなければ本当に正しい政治など行えるのではない。 
イメージ 11




        平成の世に再び叫ぶ
     諸君、『百万人の児童を救う運動を起せ!!』

                          元幽斎殿祈願部講師 大熊良樹

東日本大震災の後に、私は宝蔵神社を退職した。幽斎殿というところで祈りの担当講師であった。3・11。釘付けになった文言。

《津波高潮(豪雨を含む水の害は)『流産児の涙』である》という、預言が宝蔵神社神域において、半世紀前に祝詞の中に、読み込まれていたのだ。
 
しかも、東日本大震災は、宮城の塩竈神社神域に向かって、前代未聞、高さ20メートル以上の大波が押し寄せたのだ塩竈神社は『しおつちの大神』(海の神=産みの神)である。なんという暗示であろうか。私は祈りの仕事をし、直感(霊感)で、仕事をしている者である。もし殺せば殺されるという因果律が厳格にはたらけば、戦後1億3千万人を堕胎中絶している日本において、日本国民全て。一億三千万人が、ある日、突然、消失するような何かがあってもおかしくない、と、感じた。(実際そうなるかどうかよりも、そうなるくらいに重大な問題(罪である)と認識するかどうかが重要である。)
 
ただし、『罪は包み(闇)』であるが、光を照らす人々の存在と、愛があることで、縮小浄化する(災害縮小する)と、私は思っている。熊本震災が東日本大震災と同じマグニチュードでも、死者数が全く違った点。その後の、堕胎数の減少。赤ちゃんポストや、多くの皆さんの愛の力だと思っている。マザーテレサ効果という言葉がある。愛を感じると人は免疫や生きる気力が上がるという科学的実証である。そればかりか社会学者は「マザーテレサ効果」で愛深い行動を見聞きする。感じるだけで「犯罪発生率」まで下がるという。自然災害の微妙な起き方。タイミング。それにも影響があるのではないか。仮説としても、心にとめておいていただきたい。
 
南海トラフは必ず来る。自然災害は定期的なものである。だが、人的被害が出るか出ないかは「タイミング」である。わたしが思い出すのは、御嶽山の爆発である。夜なら被害はゼロだったのに、多くの人が山頂で「昼食を取ろうと」お昼に山頂につくことを目指して登っている時の爆発であったから、最悪の事態となった。「人・時・処」三相応。タイミングこそ重要である。地震もよし。津波もよし。ただ、被害がゼロであればいいのだ。必ず、そのようなタイミングが、ありうる。
 
 南海トラフ。その当日、「和歌山」「徳島」「高知」「大阪」「愛媛」「広島」「大分」「宮崎」「そのほかの地区」においてどれだけ被害をゼロに近付ける事ができるか。防災や、建築基準、危機管理も大切だ。さらには・・・
 
 来るタイミング。時間。場所。起き方。自然現象とはいえ、心境や心構えが大事であると思う。全ては影響し合っている。 少なくとも、大量殺戮は、良くない。まして闇中絶はあんまりだ1日二千人。現代の闇の闇である。《津波高潮豪雨は『流産児の涙』》たかが祝詞とおろそかにしてはならない。 (何度でも書かせて戴く。)

不登校10万人。320万人の精神障害。2400万人の睡眠障害。600万人の睡眠薬依存。年間100万の中絶(子孫殺し)。この原因は、大東亜戦争で「あなたたち」のために「いのち」を掛けた人々の「生き方」と「いのち」を侮辱している世相の現れ、自己懲罰、自死行為である。安らかな「眠り」につけない大事な人があるのである。全くもって世が狂い人のあり方が「おかしい」のである。「忘恩の極み」なのである。

 毎年公称20万人(実際は100万人の お腹の中の赤ちゃんが無残に殺戮されている事実は、先祖を貶めている象徴として、子孫を「惨殺」する事で自己毀損(魂の自己冒涜・霊的自殺行為)をしているのである。(じつは、ここから、谷口雅春先生の「神命の書」は出ている。)諸君、『百万人の児童を救う運動を起せ!!』 大熊良樹拝


生命尊重運動と生命の教育
    「谷口雅春先生のご業績」 
    
 (この資料は教育関係者のために京都いのちのミュージアム館長大熊良樹先生がまとめました。)

昭和4年より「生命の絶対尊厳(尊重)を説く」(人間は神の子である。生命の実相は神である。)

昭和21年谷口雅春先生、自己所有株式すべてと千葉の農場を売却し「戦争孤児」施設を設立。翌22年「赤ちゃんを救う」施設を「飛田給」に設立と発表。GHQの不許可で頓挫。

●昭和23年「優生保護法」成立。(人口調節法・堕胎奨励法)        昭和30年
●昭和24年「優生保護法」に経済条項が加わる。24万人→170万人(300万人)
●昭和27年「優生保護法」に精神疾患や知的障害も強制不妊手術の対象となる。

昭和27年7月号「白鳩」巻頭言にて谷口雅春先生「百万人の児童を救う運動を起こせ」昭和27年「生長の家」

8月号「日本再建の道を拓くもの」にて「人口制限は日本を弱体化」産児制限のための「避妊と堕胎の公認性道徳を頽廃せしめる」「食糧問題、居住問題も、人類が殺人のために色々の武器を作っているが、その懸命の努力」を人口問題に注ぐことで必ず解決されると説かれる。

昭和34年8月「国民総自覚運動」提唱。「堕胎防止」への実際運動を「白鳩会」(女性)を中心に起こすよう提起。

昭和34年8月14日第1回幹部講師全体協議会「優生保護法改正」を谷口雅春先生、御指示(宇治)。

昭和35年9月7日白鳩会による「人命尊重優生保護法改正」署名40万人中山厚生大臣、参議院議長松野鶴平氏に面会し請願。

昭和36年4月26日「優生保護法改正」署名27万余。国会へ提出請願。

昭和36年5月16日「優生保護法改正」署名12万余。国会へ提出請願。

昭和36年7月本部内に「人命尊重推進委員会」発足。相愛会(壮年)・青年会(青少年)協力体制。(昭和36年8月宝蔵神社神域に「全国流産児無縁霊供養塔」を建立。10月に祝詞奏上。

昭和36年12月22日「優生保護法改正」署名20万余。国会へ提出請願。

昭和37年4月 「優生保護法改正」署名11万5千余。国会へ提出請願。 50団体    昭和37年8月1日カトリック諸団体と共に「いのちを大切にする運動連合」結成

昭和38年6月27日 第6次請願署名11万余

昭和38年8月4日「いのちを大切にする運動」国民大会開催(東京厚生年金会館)

昭和38年8月16日「いのちを大切にする運動」国民大会開催(小坂大手前会館)

昭和39年5月8日優生保護法改正国民決起大会本部大道場にて(小林厚生大臣講演)

昭和39年8月28日 政治結社「生長の家政治連合」発足

昭和41年4月29日〜5月1日 青年会(第18回)全国大会にて 生学連結成

昭和42年4月26日バチカン駐日大使M・Bブィステンベルグ大司教主催レセプションに谷口雅春先生ご夫妻が招待される。「堕胎防止」についてカトリック教団と提携して運動を進めることを協議した。

昭和42年5月2日青年会全国大会で「優生保護法改正」「正しい日本の憲法制定」に署名38万余を持ち国会請願行進を行なう。(5月17日新教連財団法人に)

昭和43年「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」

昭和44年「人工妊娠中絶実態調査」調査費国家予算計上

昭和44年 谷口雅春先生。「昭和44年こそ昭和維新断行の年」自民党に「大政奉還せよ」と述べられる 佐藤首相に「明治憲法復元改正」を提言。)。180万人の署名を集めて国会へ提出。佐藤首相に「直訴状」提出。谷口先生は「実は300万人が闇から闇へ葬られている」と発表。

昭和46年6月号(御文章「神命の書」)昭和46年10月14日「入龍宮幽斎殿」建立

昭和46年12月号(御文章)「生長の家」明窓浄机◎「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」

昭和48年 年頭「御題こども」
   ◎戦後ころされし胎児5千万 
    啾啾(しうしう)として泣く声きこゆ

昭和48年7月18日「優生保護法を改正して赤ちゃんの生命を守る全国大会」を自民党で開催。自民党は今国会での成立を約束。が、「継続審議案件」となる。

昭和48年12月「生命尊重の祈り」を12月の祈りとしてご発表。
   
昭和49年5月28日衆議院で心身障害児の中絶許可条項削除の上、修正可決。参議院で医師会の反対を受けて審議は暗礁に乗り上げたまま会期切れとなった。優生保護法改正法案は参議院において流れてしまった。

昭和49年4月提起「教育救国運動」新教連を全都道府県に設置して教育センターの役割を果たして他の教育正常化団体と共に提携して偏向教育是正運動を行い始める。

昭和49年10月号(御文章)「理想世界」谷口雅春先生◎「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。

昭和50年生政連「母と胎児のいのちを守る会」結成

昭和53年11月21日龍宮住吉本宮新殿祭・鎮座祭(23日28日落慶鎮座奉祝大祭)

昭和53年12月16日谷口雅春先生、実相研鑽会結語にて
「吾々は住吉の大神の全身全霊である。」と述べられる。

昭和60年最後の講話(昭和60年5月26日)でも「殺すなかれ」と遺言されたという。

昭和60年(最終講話の翌月)
6月13日(朝)3時30分 【谷口雅春師 最後のお言葉】
 ”病なし! 迷いなし! 罪なし!” 
これが生長の家の根本真理であります。 
それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。  
   (その後、眠りに入り、6月17日、眠ったまま帰幽されました。)

平成8年「優生保護法」、経済条項を残して「母体保護法」と名称変更。

     国民運動は消えた・・・。
    と思われたが・・平成の世に
   不死鳥の如く蘇ったのであった。
イメージ 12



 
               神命の書
 住吉之大神宣り給ふ 汝はわが愛する御子
 われ汝に使命を授く 往きて年間三百萬人
 の胎児を救ふべきぞ かくて日本人の業 浄まらん
 然るとき 天之岩戸開かれ 天照大御神の神靈
 出御せられて日本國 の實相あらわれん
    神命の書 受嘱 雅春

        『生長の家』誌昭和46年6月號より

イメージ 8

  奇蹟の事務所に縁あって届いた「神命の書」
イメージ 9


不思議なことに「楠本加美野」先生が谷口雅春先生から直接伝授された「使命を生きる祈り」の原本も、谷口雅春先生の31年祭の直前に、「奇蹟の事務所」に篤志家から届けられた。「神命」と「使命」。これを知った多くの人々は涙が止まらなかったという。

       

           
       
「堕胎反対運動は生長の家発祥以来の運動である。」
      生長の家創始者 谷口 雅春先生

 毎日新聞の記事の尻馬に乗って、よく調査も研究もしないで浪速短大助教授と云う鈴木宗憲と云う人が『毎日新聞などが生長の家を“テロ思想”だと言うものだから、それを打消す運動として「人命尊重」運動として、堕胎防止に関する請願をやっているのだ』と云う風に「中外日報」紙に論評をかかげているが、大学の先生ともある学者ならば、もっと、科学的に事実にもとづいて論議をすすめて頂きたいものである。

 生長の家の 『堕胎罪悪論』 は立教の最初から三十二年も前から説いているのであり、戦後に於いては、今は飛田給練成道場になっている建物を高亀良樹博士から買収したときも、戦後日本へ進駐した占領軍の兵隊や将校たちとの間に妊娠した混血児を、アトが面倒であると云うので流産させるのが多いので、その胎児をたすけたいと思って高亀博士の病院を買収し、満州から引揚げ後郷里の高知で産科婦人科医院をひらいて盛業中の徳久克己博士をわざわざ招致して院長とした産院をつくり、 新聞に『私生児を妊娠して人工流産を考えている婦人、一寸待った。 相談に来い。無痛分娩をさせて、生れた子供は引受けて育ててあげる』と云う広告をして胎児の人命救助をするつもりで、徳久博士に来て貰ったのであった。当時そのような大病院は進駐軍指令部の許可がなければ開設できなかったので、徳久博士にその交渉に当ってもらったのだが、GHQの其の係の医博のアメリカ軍婦人大尉が、『宗教で無痛分娩、アイドントノ―。医学と宗教 一ショクタ、イケマセン』と言ってどうしても許可してくれなかったのである。

それで私は已むなく産院の開設はやめて、現在のような練成道場に変更したのである。そのように生長の家の堕胎反対運動は、生長の家発祥以来の歴史的運動であるのであって、たまたま山口二矢少年の浅沼刺殺事件に生長の家が関係あるが如く書かれたので、その打消運動として始めたような根の浅い運動ではないのである。堕胎防止請願の署名運動も浅沼事件のズッと以前から始められていて、岸内閣時代に既に40万通の署名を得て、議会へ請願書を提出することになっていた。 (中略)

人間又は団体の一つの行為または運動にしても、それを本当に理解しようと思ったならば、それがその人間及び団体の継続せる歴史の上に於いて、その行動又は運動が如何なる位置を占めるかと云うことをよくよく考察してみなければ、その意義批判又は価値判断はできないものなのである。吾々の団体の堕胎防止運動なども遥かに三十二年前に遡るその立教の精神から始まり、終戦直後堕胎さるべき胎児を救うために、産院まで造ってその出産児を無料で育てようと企図して高亀博士の病院を買収したことや、戦争中にも、生長の家誌友たりし派遣軍司令官たりし、将官に一人も残虐行為による戦犯者を出していない事実など、生長の家の歴史を一貫して存する“生命尊重”の事実を一貫せる系譜の中に、今回の 『堕胎防止運動』 を見出すとき、はじめて其の真実の価値と意義とが判るのである。     『明窓浄机』  昭和36年8月         



イメージ 6


イメージ 7





よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事