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令和元年7月18日京都アニメーション放火事件でお亡くなりになった皆さんに捧げます。いのちほど尊いものはない。そのことを、わたしたちもまた、伝えてゆきます。いのちを守る国民運動本部
大熊良樹「六地蔵大火」を考察する。霊学的な「暗示」について語らせて戴く。
平成以降最悪の放火殺人事件が「京都伏見」で起こった。「六地蔵」駅の近くである。即座に、私には「聖地巡礼」「六地蔵」という「言葉(キーワード)」が脳裏に浮かんだ。
そして・・千年以上前に編纂された「今昔物語」の17巻第5話のエピソードが、強烈に浮かんだ。
火は、心理学的には「怒り」と「摩擦」の表象具象である。いのちの軽視と「自己中心」の怒りが、世界に「夢」と「希望」を与えていた素晴らしい33人の「聖地巡礼」の選士を、焼殺した。(20日現在死者34人) あまりに無慈悲である。
生命尊重の願い。いのちを守る思いは、京都では、昔から、お地蔵様への純粋な願いとして、地蔵奉安と奉祭に託され千年の時を紡(つむ)いできた。 そういえば・・・私も、この千年前の記述「夢に地蔵を見た話」と同じように・・・
令和元年となる年の「正月」にお地蔵様の「霊夢」を見たことから、宇治に「京都光明地蔵院」(京都地蔵文化研究所)がこの世に出現したのだった。
千年も前に書かれた「今昔物語」にこういうお話が書かれてある。
当時にも「いのちを守る地蔵」が埋められていたのである。「夢に地蔵を見た話」
「夢に地蔵を見た話」巻17第5話
依夢告従泥中掘出地蔵語 第五 今は昔、陸奥(東北地方太平洋岸)の前司(前任の国司)に、平朝臣孝義(たいらのあそんたかよし、朝臣は姓の敬称)という人がありました。その家に仕える人で、字(あざな)を藤二という人がありました。
孝義が国司としてかの国に参るとき、先に検田(耕作地の面積や耕作者などを調査すること)のために、藤二を派遣しました。検田していると、田の泥の中に一尺(約30センチ)ほどの地蔵菩薩の像が半ば埋まっていました。
藤二はこれを見て驚き、急いで馬から降りて引きだそうとしましたが、まるで重い石のようで、引き出すことができません。人数を集めてひっぱりましたが。出すことができませんでした。藤二は怪しく思い、心の中で念じました。
「この地蔵菩薩は、引き出すことができないほどの大きさではない。にもかかわらず出せないのは、何か理由があるのだろう。もしそうであれば、かならず今夜、夢に現れてください」
その夜、夢に美しい子どもの僧が現れて告げました。「私は泥の中にある。そこは寺の跡なのだ。古くなったために破損し、多くの仏菩薩の像が泥の中に埋まったままになっている。それをすべて掘り出してほしい。そのとき、私も一緒に出よう」
藤二は驚き、怖れました。翌朝、幾人かの人をともなってその場所に行き、鋤や鍬で掘らせると、夢の告にあったように、なんと、驚くことに《五十体の仏菩薩の像が埋まっていました。》それらを掘り出すと、不思議なことに、地中に埋まっていた 地蔵菩薩も出すことができました。 藤二とその近辺の人は、これを見て貴び、喜びました。小さいけれど丁寧にお堂を建て、掘り起こした仏菩薩を安置しました。
藤二はとくに地蔵菩薩像に深く帰依し、これをともなって京に上りました。親しくしている方に六波羅の寿久聖人という人があったので、彼の房に奉ることになりました。寿久聖人はこの地蔵の縁起(話)を聞き、貴く思って、あらためて彩色をほどこし、房に安置して、朝暮に恭敬供養しました。その地蔵は今でも、京都の「六波羅蜜寺」にあります。
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