■ 嬉しい 楽しい ありがたい ■ 大熊良樹(講師)の公式ブログ

★元禅僧でありながら<生命の教育)>に基く「赤ちゃんの救命活動」をしている社会教育家★

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 平成31年2月7日(木)


「光の言葉」を使おう。

 先々月(平成30年12月上旬)のこと。ある方から・・・「もう死にたい」と電話がかかってきた。直接相談を希望するその方は、その後(12月中旬)、京都の相談室に来られ。名前は、大野さん(仮名)といって65年の人生で最も「死にたい」と思っていると苦しい表情で、告白された。

 「何が苦しんですか?」とお聞きすると・・・「今年(平成30年)の夏以来、パートをしている職場で孤立化し、上司からもいじめられて四面楚歌。家庭でも、夫との折り合いが悪く子供とも姑(しゆうとめ)とも、関係が最悪」だいう。今すぐに、消えてしまいたいと言われる。

 私は言った。「大野さん。「自己礼拝(じこらいはい)」という言葉を聞いた事がありますか?世の道徳は人を拝(おが)め、人を大切にせよと言うけれど、実は、自分を拝めない人は、自分に感謝できないし。自分を喜べないし、自分を拝めるわけは無く、自分を礼拝できない人は人を礼拝できる訳も無いのです。

大野さんは「そうです。私は、昔から、自分に感謝などしたことはありません。」

私は言った。「大野さん、実に「自分の本当の尊さ(素晴らしさ)」に目覚める事こそが、全ての道徳の基本なのですよ。自分のいのちの元が、親です。いのちのもとを恨むと「先祖全てを恨む」「いのちそのものを恨む」ということになる。自己処罰とは、高速道路で「アクセル踏みながら」(生きよう生きようと全力で走りながら)、無意識にブレーキを踏むような行為なのです。「スピンする」のです。これが事件事故です。あるいはじわじわとブレーキを踏むのは、やってもやっても報われないと言うことが起こるわけです。もう一つ。「人間観」「人生観」は言葉に出ます。その意味で言葉で人生は形成されるのです。

大野さんは「ウーン」とうなった。そして大野さんは乗り出して語り始めた。「大熊先生、そうなんです。頑張れば頑張るほど、家族の間でケンカが起こるのです。それに大事なときに、事故や事件が起こります。先生の言われる通リです。」

 わたしは、ピンときた言葉を語った。

    大野さん。まことに「言葉は大事である」 。

思いは「言葉」となります。「言葉」とは「言語」意外にも「思念(思い)」と「表情」も言葉なのですよ。ここは、実に大切ですよ、大野さん。そして・・・

 言葉には「光言葉(ひかりことば)」と「闇言葉(やみことば)」があるのです。

愛ある言葉は「光言葉」である。人の心を照らし、人を生かす言葉は「光言葉」である。だから褒める言葉は「光の言葉」でなのですよ。

 例えば、ほめる〜という字に「誉める」という字があるが・・・「誉める」という文字は「発言の」〜という字の上に「」〜という字が乗っかっている。相手を讃える言葉が、いかに「光言葉」であるかと言うことなのです。

 逆に、人を貶める言葉や「いのち」を委縮させるような言葉というのは「病み(闇)言葉」です。

「闇言葉」は暗い人生観や人間観が投影する。「闇(やみ)」は「病み(やみ)」である。身体(からだ)の前に心が病む(闇む)のです。貧乏も家族不和も「病気」です。本来ないものが顕わているのですからね。

 本来ない「闇」に「迷い」を投影して「人生苦」が映し出される。たちまち「報われない人生」となるのです。

大野さんは「それ、私です」といった。

 私は言葉を継いだ。

「報われない人生」の原因は、「忘恩」から来たる。「神のいのち(自分)」を、神に活かされている「大恩」を、導きの素晴らしさを忘れているからである。

私は神社出身ですからね・・「神様」といいますがね、神様という言葉がイヤな人は「ご先祖の命」「ご先祖に生かされているいのち」と表現してもいいでしょう。

「報われない人生」の原因は、「忘恩」から来たる。「ご先祖の命」が「ご先祖に生かされている」「大恩」を、導きの素晴らしさを忘れているからである。

と表現してもいいです。

報いない人生(忘恩の人生)は、報われない人生を生む。当然の帰結なのです。

 大野さんは急に涙をこぼしながら、子供の頃に、父親から「自分は本当の子では無い」と言われて育ったのです・・。といわれた。しかし、それは「たわいもない嘘」であった。しかし大野さんは傷つきながら大きくなる。成人間近に、兄に「あれは父の嘘だ」と教えてもらった。傷ついた20年近くを、振り返り大野さんは余計に父を恨んだそうだ。

 私は言った。「大野さん、自分を愛せない人は、愛する人を絶妙に傷つけることで、自己処罰を完結するのです。人生でこれほど、つらいことは無い。これほどの。悲劇は無い。可哀想ですよ。」

 それを聞き大野さんは嗚咽し始めた。「大熊先生・・。私がそうです。父と、呪われているみたいに同じなんです。先生。姑も、パート先の上司も最初は優しかったのに、今は鬼のような存在です。

私は言った。「自己処罰の誘因として。意識逆転の法則というのがあります。 子供が「落としちゃいけない」「落としちゃいけない」と極度に緊張すると「お盆」をひっくり返しちゃうとか、コップをひっくり返すとか。大人になっても「失敗」の多い人。朝、起きれない人。「人間関係」「仕事」で失敗の多い人にはこういう方が多いのです。しかし「光言葉」で運命は変わります。一番重要なのは「いのち」にたいする 「明るさ」「朗らかさ」です。それには「命の元」に対する感謝が大事です。おそらくお父さんも自分の親を恨んでいるのでしょう。だから、子供を傷つける事を「錯誤行為」として行う。その悲しみを、吾が悲しみとして、わかってあげるといいですよ。

  大野さんはなにながら、「父も私と同じようにつらかったのですね。」大熊「そうです。父を恨むと父と同じような人になり同じようなつらい追体験をするような人生を送ります。あなたならば、よくわかるでしょうね。」

大野「わかります。わかります。大熊先生、私がなぜ、こんなに苦しい人生か、よくわかりました。今からでも、わかってよかった。本当にありがとうございます。光の言葉で職場の人や、家族に、お礼のつもりで生きていきます。」と言われた。

 年が明けて2月。お礼の連絡があり、お聞きした時に印象的だったのは、「お礼のつもりで生き始めたときに、みんながいつも笑顔で、優しくなったという。」わたしが「じゃあ、それまでは、どういうつもりで、生きておられたのですか?」とお聞きするとこう答えられた。

 「大熊先生、今だからわかるのですが。それまでは『恨みを晴らそうと生きていたかもしれません。恨めしいような、苦しいような、まるで、幽霊のような人生でした。』  それを聴いて二人で大笑いをしたが。。。実に感慨深い感想とお礼の電話であった。 幸せに生きたいのに「恨み節」のような人生。「幽霊」のような人生。苦しくて当然である。しかし・・このような人は、思った以上に多いのではないだろうか。ぜひ、自己のいのちの素晴らしさに目覚め、いのちの元を礼拝し、お礼のような行き方で、光の言葉で生きてはどうでしょうか。

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