一部個人を特定できないよう、設定と名前を変えています。(ご了承下さい)
地蔵奉安戴いている中学校の先生からお電話戴いた。行方不明の生徒がいます。行方不明になる前に「死にたい」「消えたい」と尋常ではない顔色で尋常ではない言葉を口走っていたと言う。
人生いろいろ。転ぶこともあれば失敗、家出。ぐれることも、ぐれかける事もあるでしょう。でも、どう考えても「尋常ではないこと」というのは「霊的作用」というのが絡んでいることがある。
先日は「殺してやる」「おまえの身体を包丁でバラバラに切り刻んでやるううー!!!」と高校生の長男が叫びながら、母親を追いかけ回したという事例があった。(どう考えても尋常ではない)
どう見ても「精神異常」「家庭崩壊」のワンシーンである。しかし、子供は進学校のエリート。精神も問題なし。親子は超仲良し。ある日突然の「錯乱」のよう。
・・その日以後、子供は、別人(別人格)のように「死にたい」「消えたい」と言い始めた。
2ヶ月、いろいろな人に相談したが埒があかず、ついに宇治の名物講師(その方の叔父の言)「大熊先生に」と・・ご連絡があったのである。その後その方は個人指導を受けに宇治に訪問された。
「その子の兄弟に流産児さんはありますか?」私は問うた・・・。
父と母は、うつむいて、「この子を産む前に、経済的に困って一人。妻の調子が悪いときに一人。実は・・・昨年、4月上旬に、もう一人中絶しました。申し訳ないことです。そうしたら・・今年の春上旬から、長男が「死にたい」「消えたい」「僕は生きている資格が無い」と言い始めたのです。と懺悔し、告白した・・。
「供養していませんね。」親は「はい」と大きくうなずいた。
日本古来からの伝承で、
このような言葉があります。
『大地は神様、根は先祖。
幹は両親。子孫は枝葉。
枝葉に花咲き、良き実を結ぶは、
親に孝養、先祖に供養。』
大地は神様(いのちの元)、
根は先祖(いのちの恩人)。
幹は両親(親)子孫は枝葉(子)。
枝葉に花咲き(幸福)
良き実を結ぶ(繁栄)は、
親に孝養(感謝)先祖に供養(感謝)。
です。
先祖のいのちがそのまま、子孫のいのちです。
子殺しは親殺し、先祖殺し。神殺しなのです。
悟りという言葉がありますが・・・
「悟り」(高く尊い自覚・尊い気付き)とは、ここに生きている個人としての生命(自分)が、『尊い生命の元(神)』に始まり、『祖先を通し父母を通して』全体の生命とつながっているのだーという、喜びと自己尊厳の究極の自覚です。これを「見性(けんしょう)」(本当の自分のいのちを悟る・観る)ともいいます。
心理学に「セルフエスティーム(自己肯定感)」と言う言葉があります。「セルフエスティーム(自己肯定感)」が高いと自尊心が高くなり、心が開き、嬉しく楽しく幸せを感ずる。
逆に、人間は「セルフエスティーム(自己肯定感)」がないと死にたくなる。自棄にになる。それは自己尊厳そのものでもありますが、兄弟が「中絶」されていると、知らなくとも、知っているかのように、異常なる(尋常でない)「罪悪感」「自傷感」をある時期に露わにする事が事例として多いのです。
それらは「科学では実証しにくい」事であり、「教育界」には「宗教みたいな」概念はタブーですから取り上げられることもありません。しかし、事実こそ科学です。このような事例は、現代の教育現場では《あまりにも多い事実》です。
皆さん「中絶」「堕胎」など、プライバシーにも関わりますし、触れにくいことですから基本的にお手上げです。教師は、教育生命でもかけて、よほどの信頼関係が無いと語れません。あるいは命がけで教育に取り組むような教師でないと、このような事は、なかなか 語れません。
元へ戻りましょう・・。
自分のいのちの元が「もの」でしかないのなら「物」のような虚無的な生き方となる。
「虚しく」成る。「死にたく」なる。
「潜在意識下」に「兄弟が殺されている(中絶されている)」とか、親にも子にも「そういう悲しい出来事」がある場合、子は子孫は、どのような気持ちとなるでしょうか。仮に3人子供があるとすれば、虫を踏みつぶして「ふん」と言うような子でなく、兄弟で1番優しくて、情の篤い子がこういうことに敏感です。
近年著しいのは絶対に知らないはずなのに知っているような事を言ったりしたりする。「僕は、生きてていいのかわからない。」「毎日が死ぬより辛い。」
酷い場合は「お母さんを包丁でバラバラに切り刻んでやる!!」といいながら追いかけてきたという事例もあります。(全く常識的には意味不明です。)ただの非行やノイローゼ以上の不気味さがあります。
「潜在意識下」の観点から洞察した場合、自己抑圧により、自己懲罰感が膨らんで、病的な「出来事」が起こることがあります。
人生いろいろなことがあります。何でもかんでも神経質になるのも問題です。 しかし、誰が見ても「これは尋常でない」と思われるような、見聞きして『身体も心もゾクゾクするような、出来事』があります。このような場合、科学的には一つの仮説でありますが、潜在意識下にある「罪悪感」の感応(霊的には流産児の訴え)と言うことも考えられるのではないでしょうか。
人間の意識の下には「無意識」(意識下)の意識があります。知らずして全てを知っているのです。(いのちを欺くことは出来ないのです。)
表面意識においては「人を騙すこと」も「自分を欺くこと」もできますが、実は「潜在無意識下」の世界では、『人は全てを、知らずして知っている』わけです。自分の良心を誤魔化す事も欺くことも本当は出来ないのです。
下記 心理学の「唯識」図を紹介させて戴きます。近代心理学(1800年代末〜)はこの唯識の「1識〜8識」を元に(フロイト・ユングなどにより)臨床を重ねて「科学」となり「心理学」となりました。上記の「知らずして知る」という科学については「臨床心理士試験」にもたびたび登場する「ソンディー」の「家族無意識」にて解説されています。
唯識図( 心理学 )
1識〜5識 眼 耳 鼻 舌 身
1識〜6識を「六根」という。
6識 意識 心
cf:「六根(ろっこん)清浄」身体B
7識 自我意識 (マナ識) 深層無意識
8識 共通無意識 (アラヤ識) 深層無意識
9識 真我 見性
10識 根本浄識 心王識
備考:上記は「唯識学」(ゆいしきがく)といい、近代心理学(1800年代後半〜)の元となった学問を図式化したものです。ガンダーラから、三蔵法師(玄奘三蔵)が持ち帰った「心理学」の経典です。備考: 玄奘(げんじょう602年 - 664年3月7日)三蔵は、唐代の中国の僧。玄奘は戒名。629年に陸路でインド(ガンダーラ)に向かい、巡礼や仏教研究を行い645年に「経典657部や仏像」などを持って帰還。地誌『大唐西域記』を著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の元になる。 (京都いのちの教育センター 主幹 大熊良樹)
その方は、丁寧に「ご先祖」と「流産児」《水子》さんを供養することで子供も、まるでつきものが取れたかのように落ち着いて学校へ行き始めたと言う。
さて、冒頭の紹介された家族であるが、やはり同じく「いのちは欺けず」「いのちを裏切らない人生を」という話をさせて戴いた。すぐに仏壇を買い(備考:安い仏壇は一万数千円。仏具9点で1万円。位牌は彫り込み込みで1柱六千数百円です。)
供養されたという。
「堕胎」するという事は子供をバラバラに惨殺し、使命を奪うという事になる。(養子にしてでもいのちだけは助けてあげて欲しい。欲しい人は全国に1〇万人以上いるのだ。)。使命を奪った子に、「いのちを守るお地蔵様」の「依り代」を与えてあげて、赤ちゃんを救うという尊い仕事(仏のお仕事)
を与えてあげる。このことは「至上の荘厳供養」である。
「赤子の姿」が「成人した姿」でお礼に。
ご両親は、実家が仏壇供養をしているからと、ご自分たちは仏壇を持っていなかったが、すぐに購入。思うところがあり、すぐにいのちを守る親の会の「いのちを守る国民運動」に献資。お礼として「いのちを守る地蔵」を3尊奉安 してもらった。
その後、なんと、子供さんの行方もわかり、家に戻ってきた。さらには 3日後から、子供は学校へ元気に登校し始めたという。
事実は小説よりも奇なりである。人間は単なる「物」ではない。当然「物」として扱い、「尊いいのち」を「闇に葬る」ような、残酷非道な事が行われ隠蔽《心理的には良心の破壊行為・異常なる抑圧を》した場合、人間は尊いいのちゆえに、その非情《愛のなさ》や無情《ひからびた状態》を赦せないのである。これを「自己懲罰」といい「自己処罰」と言うのである。人間は神の子である。そして、この世は「霊的世界」であるのだ。
京都宇治 大熊良樹拝
ご連絡 080−5301−0041
お気軽にお電話下さいませ。(大熊拝)