■ 嬉しい 楽しい ありがたい ■ 大熊良樹(講師)の公式ブログ

★元禅僧でありながら<生命の教育)>に基く「赤ちゃんの救命活動」をしている社会教育家★

日記

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   ひとのいのち 国のいのち。 
  最もいのちを礼拝されているのは
     日本国の天皇陛下である。
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いのちを守る親の会の皆さんと共に。

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大熊良樹理事長
 フェイスブックの記事より


令和元年5月5日(日)



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 昨日は、素晴らしい天皇陛下ご即位奉祝。奉納祭に参加させて戴きました。ありがとうございました。素晴らしい宮司が呼び掛けられたので、素晴らしい方ばかりが集まられていました‼️笑顔いっぱい‼️感謝いっぱい‼️歓声いっぱいでした‼️明るい夜明け‼️更なる霊性の夜明けです‼️令和の『令(れい)』は、霊性の『霊(れい)』。《令和の幕開け》は、霊的大調和。《大和楽の幕開け》であると信じます‼️本当に素晴らしい令和の幕開けを実感致しました‼️ 感動 感謝 大感激です‼️

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         いのちを守る親の会奉納
    「笑いと笑顔の大道芸」 
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    いのちを守る親の会の皆さんと共に。

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 大熊良樹理事長のフェイスブックより



令和元年5月2日(木)



常に上皇陛下をお支えになった上皇后陛下の御手。

陛下を支えられ、体調不良の時に、御手を繋がれ、玉体を支えられたこともあった。

最後のお言葉のあと、陛下がまるで《お礼のように》皇后陛下に、優しく御手をさしのべられた。この光景を国民は、生涯忘れないだろう。

上皇陛下。上皇后陛下。ありがとうございます。

ありがとうございます。ありがとうございます。感謝感謝
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令和元年5月1日(水)



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 令和元年5月1日(水)




平成最後のありがたい『荘厳晩課』が終わりました。荘厳なる行事である、朝課晩課。いのちが融合し宇宙大に拡大するひとときです。毎日、嬉し涙が出るほどに、全霊で観世音菩薩様。いのちを守る地蔵尊様と融合し、感謝行をさせて戴いています。ありがとうございます。ありがとうございます。この『地蔵堂』という聖地を、京都いのちのミュージアムに、平成最後の年の始めに授かった事を感謝致します。神聖受胎。神聖神授。感謝 感謝 感激


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平成31年4月30日(火)

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  平成31年4月30日(火)

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地蔵菩薩(じぞうぼさつ) とは?
  地蔵菩薩は、仏教の始祖である お釈迦様が入滅された後。56億7000万年後に、弥勒菩薩様が「救世仏」としてこの世に出現されるまで、お釈迦様にかわって衆生を、あらゆる苦しみから救済し導かれる菩薩であると言われています。
 地蔵菩薩の「地」は、母なる大地を現し、「蔵」は母の「子宮」を現わします。サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])と言う。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言う。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み救う所から地蔵と呼ばれる。古くより「道祖神」として人々を守護し、平安時代(千年前)より「子供の守り神」として益々「地蔵(児童)」菩薩として、いのちの守護を極め、特に、幼きいのちを守護するとされる。
また、「右手の錫杖」で人々のピンチを救い、「左手の如意宝珠」で無限の豊かさを人々に与える。万物を蔵する「尊い存在」である。地蔵菩薩の名前は「すべての衆生を救済する偉大な功力を蔵すること大地のごとし」という意味でもある。
 日本の仏像の中で、地蔵菩薩こそ、最も多く、寺院以外にも奉安されている。これは特別な存在であることを示す。例えば、村のはずれ、入り口、町かど、道沿い。田畑の片隅、お墓の入口、峠の頂上など、様々な場所に奉安されている。
そまた、古くより、強力な「結界」を張り(魔を入れない)、人々の生活や仕事、旅など、ピンチから人々を見守って下さいました。その名を呼ぶだけで、十の功徳があると言われていますが、奉安や礼拝者にはその千倍の功徳があると伝承される。
数ある仏の中でも、地蔵菩薩ほど庶民に親しみをもって信仰されてきた仏はない。 身近であり、ひとの形。特にお坊様の形をした「強力な」菩薩であります。また、地蔵菩薩は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天のいわゆる六道の世界までその功徳力が及ぶとされ、六道のそれぞれを象徴して「六地蔵」と称される六体の地蔵がお祀りされている。《参考:昔話「笠地蔵」》
  「地蔵尊」10の功徳
(ご参考) 「地蔵菩薩本願経」による地蔵菩薩《奉安供養》十の御利益(ごりやく)を「現代的表現」を加えてご紹介します。京都は、角ごとに、道ごとに、地蔵尊が人々を守り導いています。千年以上続く、後世への愛行であり、分徳でもある。

一、地蔵菩薩を祀ると、環境に恵まれ、働けば働くほどに豊かになる。
二、家が末永く安泰である。地に栄養があれば樹が茂るがごとしである。
三、先祖は天に生まれ変わる。成仏するという事である。
四、生きている人は生き生きと長生きし、笑顔で天寿を無限生長する。
五、願い事が叶う。念力が倍増し、助力が増して思いが花開く。
六、水害火事などの災い無し。自然災害に遭遇せず、遭遇しても幸いする。
七、健康に恵まれ、加齢しても達者に暮らせる。健康な生き死にを過ごせる。
八、悪い夢をみない。すなわち、自己処罰(不幸)の人生を送らない。
九、常に守護神の加護を受ける。神界、天界、霊界の守護厚く、幸せである。
十、仏道修行上よい因縁に恵まれる。遠回りせずに悟りに行き着く。

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 昨日、私の夢に・・・いのちを守る地蔵尊が現れた。不思議なことに、私をこう呼んだ。「わらい和尚」「笑い和尚」と。そして言った。「笑い和尚さん」、私は、《笑いの化身》なんですよ。そして、無量寿如来。如意宝珠の仏なんですよ。私の使命を世に知らしめて下さってありがとうございます。私は「何もしていません。」と答えた。地蔵尊は、いつもの笑顔よりも笑顔だった。なんとも親しく優しい会話だった。

気になって、調べてみると、お地蔵様の真言(呪文)は「オン・カカカ・ビサマエイ・ソワカ」(天台系では「オン・カカカ・ビサマエイ・ソワカ」)であるが、「カカ」とはインドの発音では「ハハハ」であり笑いを示すそうだ。

地蔵尊を現す梵字は「か」であるが、インドの発音では「ハ」であり笑う音である。
地蔵菩薩の悟りの境地は「微笑三昧《みしょうざんまい》」といい、明るさと笑顔と優しさがある。だから、どの地蔵様も優しい笑顔なのだという。

 真言は私も禅僧出身であるから唱えていたが、その語源は、初めて知った。

 「笑い」の仏が地蔵尊。だから、「笑い」に縁の深い私(日本笑い学会講師・宝蔵神社笑い担当講師・笑い禅創始者・笑いの医学研究者である私)に・・・「笑い和尚」「笑い和尚」となつかしそうに、訪ねてこられたのだろうか。もう一つ大事なことは、地蔵菩薩は、本当は「如来」であると言うことである。


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 地蔵尊は、本来、右手に錫杖。左に如意宝珠を左に持つ。合掌していても「見えないだけで」右手に錫杖。左に如意宝珠を持っている。ここに重大な意味がある。
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 右手に持つ『錫杖(しゃくじょう)』は、魔を祓う仏具である。手に持つ『如意宝珠』は、『あらゆる無限供給』を産む魔法の珠である。

 もう一つ。この珠には深い意味がある。地蔵菩薩が、実は人を救うために「菩薩」と「ひとの形」(お坊さんの姿として)現れているだけで、実は、(菩薩でなく)「宝生如来」(無限の豊かさを現す如来)であり、無限の豊かさをもたらす「存在」でもある。

 その御存在が人を救うために、身近に「人(僧)」の形で現れたのである。

 また霊界の守護であり、阿弥陀如来と同一存在であると言われることもある。興味深いのは「閻魔大王」《唯心所現の法則を人格化して現した地獄の裁判官》という性質も持つ。すなわち、「代受苦」し、心に心迷う人間を縮小浄化して、魂を救う性質を持つ救命救世仏様なのである。

 釈迦が出現し涅槃に入り、56億7千万年後。弥勒菩薩が出現するまでに、救命《救済》を託された仏様が「地蔵尊」だと伝えられています。

 左手の「如意宝珠」《珠(たま)=魂(たま)》は、実は宇宙そのものであるとも言われます。地蔵の中に吾らは在ると言われる事もあります。実に感慨深い事であります。


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    じぞうぼさつ             じどうぼさつ
 地蔵菩薩・児童菩薩について
   「子供を守る菩薩の代表」

     臨済宗妙心寺派の僧籍を持つ大熊良樹理事長が御魂入れさせて戴きます。

 サンスクリット語では「クシティガルバ」と言う。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」という。大地が全ての生命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の愛と大慈悲の心で包み救う所から名付けられた。

 日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」とされ「お地蔵様」と呼ばれる。 菩薩は「如来」に次ぐ高い見地だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を退し、六道を自らの足で行脚し、救われない衆生、特に、親より先に死去した幼い子供の霊を救い、旅を続けている。

 言い伝えとして、幼い子供が親より先に死ぬと、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいない事から、三途の川を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら、石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされる。人工中絶された子は、どれほどに、惨めでつらく苦しい事であろうか。

 地蔵菩薩は、賽の河原に率先して足を運び、鬼から子供達を守り、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていくという古来からも逸話は有名である。
 
かくのごとく、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となっていた。 児童を守ることから「地蔵(じぞう)大菩薩」を、児童の守りとして「児童(じどう)大菩薩」とも言う。

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  昔話「笠地蔵」

   「笠地蔵」はとても良い話ですね。道の傍らに奉安されているお地蔵さまが多いですがいくつか並んでいるお地蔵さまがああれば、それは基本的に六体の「六地蔵さま」です。この話。・・七体あったと言うことは、実は、最後の一体が、神様(仏)さまの「顕化」(あらわれ)だったのかもしれませんね。

  ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。 吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠「5つ」を地蔵に差し上げることにした。

  そこで、おじいさんがかぶっている笠を、6つめのお地蔵さんに差し上げた。それでも、1つ足りない。そこでおじいさんは、最後のお地蔵さまには、雪に吹かれながらも、自分の被っている手ぬぐいを被せ、そっと手を合わせたそうな。そして、今日は、笠は売れずにモチも買えなかったけれど、良いことをした。させていただいたと喜んで帰宅した。

 おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、モチが手に入らなかったことを責めなかったどころか「それはよいことをした」「良いお正月が迎えられた」と言い喜んでくれた。


  その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で「どどどん」と、何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。 老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。了


 地方によると、夜に「七福神」が金銀財宝、モチ、魚、野菜米を持ってきたというお話もあるそうだ。これ、神様がお地蔵さまに変化(へんげ)していたということで 「神仏習合」でもあり、楽しい。「七地蔵」(なぜ7体あったか)の秘密も完結している。

 「六地蔵とは?」六地蔵の六とは六道輪廻の六をさす。

 人間が繰り返す六つの世界を意味し「地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道」の六道を意味する。前者三つを悪道、後者三つを善道といい、この六つの道で迷い苦しんでいる人々を救うのが六地蔵である。

 日本では、お釈迦様が亡くなった後、次の弥勒菩薩が誕生するまでの間、お地蔵さまが、この世の救済をまかされていて人々を助けると伝承されている。地蔵菩薩さまが道々にあるのは、出家したお坊さんの姿をし宝珠や錫杖を持っているのも、多くの人を、子供たちを、すぐに、身近に救済するためだとされています。大熊良樹拝


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大熊良樹いのちの講話



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日本の未来に関わる「重要記事




   平成31年4月29日(月) 昭和の日


(大熊良樹いのちの講話) はい大熊です。明日で、平成という尊い御代も終わりです。5月1日からは、また、素晴らしい「令和」という御代の始まりでございます。

今日は、一日一日を大事にするという話をさせていただきます。このことは大事ですね。「時間」は「いのち」であります。時間を大事にすることが「いのち」を大事にすることでもあります。

 仏教哲学では生有(しょうう)の一念という言葉がございまして・・・お母さんのお腹の中に受胎した第一念を生きる、そして有限会社の「有」と書いてですね、「生有(しょうう)の一念」と言います。この初めの一念というのが大事でしてね、お母さんが出産してくれる時に誕生したのではなく、お母さんが受胎した時点で「生有の一念」と言いましてね、私たちは生まれたのであります。

 この一念は大事でありますね。266日、十月十日なんていいますが実は出産のときに生まれたのでなしに、私たちは受胎した時点で立派な人間として生を授かっているのでありますね。そしてもう一つ大事なのが、「臨終の一念」と言ってですね、生有の一念に対して臨終の一念。これは死ぬという字にですね、先ほどと同じように有限会社の有と書いて「死有(しう)の一念」と言います。


 この「生有の一念か」ら「死有の一念」。これがお腹の中で六か月で帰幽(きゆう)してしまう人もあれば、またお腹の中から出て三年で帰幽してしまう方もいる。帰幽とは神道で人が亡くなることを帰幽というのでありますがね、また十歳で帰幽する方もあれば三十歳で帰幽する方もいる。また六十歳で帰幽する方もあれば百十歳で帰幽する方もある。

 この帰幽というのは老少不定(ろうじゃくふじょう)と言いましてね、だれがいつ帰幽してしまうかわからないのであります。ですから十六歳、十七歳の男の子が女の子が七十歳八十歳のおじいちゃんおばあちゃんが先に帰幽してしまうんだろうというのは大きな錯覚でありまして、歳とったから先に帰幽してしまうのではないのであります。

 いつだれがどこで帰幽するかわからない。

人生は老少不定でございます。ある方が詠みました。

つひにゆく 道とはかねて聞きしかど 
       昨日今日とは 思はざりしを

つひにゆく 道とはかねて聞きしかど 
       昨日今日とは 思はざりしを


私もこの歌を中学校で聞きましてね、震撼しましたね。

 私は臨終の一念、この臨終に際してこんな心持だったらどうだろうと思うと、強烈に恐怖が襲ってまいりました。そして思ったのは「臨終の一念」この時に後悔のない臨終を迎えたいという思いでありました。


 その後私が三十を前に僧堂という禅宗の専門道場に入門しまして、托鉢をしていた頃の話であります。あるお寺の前を通りましたら、こんな言葉が告知板に載っておりました。

愚人の百年生きるは 賢人の一日生きるには 
及ばない

 これは法句経のお釈迦様の言葉であります。

 驚きましたね。実はこの後、私の従弟のかわいい十六歳の長男が病気で帰幽してしまいましてね、この時にえらいもんですね。十六歳で昇天の寸前にこんなことを言うたそうであります。「お父さん、ありがとうね。百年生きることが幸せではないよ。僕は十分に幸せだったよ。」そう言ったそうですね。発句経の中にもこんな言葉があります。

人もし生きること 百年(ももとせ) ならんとも 
これ百年と書いて「ももとせ」と言います。

もし
生きること 百年(ももとせ) ならんとも

 人がたとえ百年という月日を生きようとも すべてのものの一切の、いかに起こり、いかに亡ぶかを知ることなくば、この生滅の理(ことわり)を知りて 一日生くるにも及ばざるなり

 すなわち何のために生まれ、人間が死ぬのかということを知らなければ百年生きても真理を悟れる人の一日にも値しないという、大変厳しい言葉でございました。大変衝撃でございましたね。

 この肉体が自分であるという錯覚を禅僧はこう言います。「この糞袋め!」。大変強烈な言葉ですね。大便の入ったただの袋め、と一喝するわけでありますね。それは自分の本体ではない。そんな糞袋を生命(いのち)そのものと勘違いするなー」という一喝であります。

まさにお釈迦様の直伝の一喝をいただいたわけであります。

 じゃあ肉体生命が本物の命でなければ何が本物の命なのか。法句経には書かれてあります。

 不死、死なないと書いて不死。死なざるの道を見ることなくば、この不滅の道をみる人の一日生くるにも及ばざるなり。とこう書かれて・・・


 論語に「あしたに道を聞かば 夕べに死すとも可なり」という言葉がありますけど、やはり人間は何のために生きるかー、ということを知ることは大変重要であります。
 わたしはその告知板を見たときに「ああ愚人の百年ではなく、賢人の一日、悟れる人の一日を生きたいと思ったわけでしたね。自己究明こそが今日の大願目であります。

 それでは人間は何のために生きるのか。それは本当の自分を生きるためであり、本当の自分というのはなんであるか―、これは仏教の「唯識」という学問がありましてですね、三蔵法師という有名なお坊さんがおりますけれども、三蔵法師はガンダーラに何をしに行ったかというと、

 お経を取りに行ったんでありまして、このお経、特にこの唯識という仏教心理学のお経を取りに行ったんでありましてね、そこに何が書いてあるかといったらですね、
 一識(いっしき)から八識(はっしき)まで、一識二識三識四識五識、これが般若心経の「眼・耳・鼻・舌・身・意っていってこれが五官。それから心の働きについて書いておりまして、そのあと七識八識があるというんですね。


 それは何かといったら、ここ百年間学問としてでてきました潜在意識、潜在無意識、表面意識が述べられておりまして、そして実はですねその奥に、八識の奥に九識十識という仏性・神性という「人間の本質が」あるということが書かれております。

 心の王様の意識と書いて心王識(しんおうしき)という表現もありますよね。ここから観れば、すべて差が取れるのでありまして、この差とりを仏性・神性というのでありまして、この 「ころころ」と 移り変わる様を 現象といいますね、この現象に立ってみたら全てが虚しいのでありまして、虚しい現象に立ってものを見るんではなしに、その心王識から自分を見たときに人を見たときに、ああなんて素晴らしいんだろうなあということになるのであります。

 ここに立って尊い素晴らしい命を眺め見て、そして一日一日久遠の今を生きる。百年を一日のように生きる人もあれば、一日を百年のように生きる人もあるのであります。


 余命一か月となんていう人がたまに私のところを訪れてきますけれども、「あと三十日しか生きれない。」私は言います「三十日も百年も変わりませんよ。一日一日を百年のごとく生きる。久遠の今を生きる。今、今、今を生きるということが大事ですよーとその時は私は話をさせていただいております。

 そうしましたらですね、なかに一か月以上たってですね、一日一日を一生どころか永遠と思って、久遠と思って二か月三か月と時間が過ぎても全然いまのところ大丈夫ですという答えや電話がかかってきたりしますね。


 これはおそらく引っかかりのないところから免疫が上がっていきいきと命が弾んでいるのではないだろうか、と私は思うわけであります。私は医者ではありませんから、医学的なことは何も言えないのでありますが、命に関するほんとに大事な大事な理に関してはそういうことが言えるのであります。「一日に百年を生きる。」こんな生き方だってある。


うれしい楽しいありがたい。うれしい楽しいありがたい。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。今日は人生最良の日だ。今日は人生最良の日だ。今日は人生最良の日だ。

今日もご清聴ありがとうございました。


日本の未来に関わる「重要記事




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