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音楽と言うのは、同じ演奏でも聴く人によってまったく正反対の評価となる場合が、間々ある。
そもそも正しいとか正しくないという価値観では測れないし、
100人いれば100様の聴き方があってよいだろうし、
だからこそ音楽は面白いのだともと思う。
で、今日のレイフ・セゲルスタムの演奏も、かなり評価が分かれるのかもしれない。
曲はマーラーの交響曲第5番、オケは読売日本交響楽団。
とにかく変わっている。
他のどんな指揮者とも違う個性的な演奏。
彼の演奏は3年前にも7番を聴いたけれど、その時もオイラはとても面白かったけど
最悪!と評していた人もいた。
今回も彼は変わっていない。
まず、彼の演奏はテンポが極端にのろい。
晩年のクレンペラーかチェリビダッケか。
常にのろいわけではないけれど、基本、のろくて、たまにググッとスピードアップする。
その緩急が、オイラは凄く面白いのだけれど、不自然でわざとらしくてイヤだという人も多い。
しかし、音楽の自然さってなんなの?
テンポにしたって、メトロノーム通りにやれば自然というわけでもなかろうし、
そもそも、曲というもの自体、生きてる人間が作った人為の塊じゃぁないか。
特にマーラーなんて、頭の中、意味不明にグチャグチャだよ、きっと。
不自然こそ自然と言ったってよいぐらいだ。
当然、音楽って、スムーズに流れればいいわけでもないだろう。
セゲルスタムの指揮は、あえて、流れないように、音を堰き止めて、
引っかかりを作っているような気がする。
イヤな人はそこにイラっとするのだろうけど、オイラは、そこが面白い。
流れが引っかかることで、音に耳が止まり、中身がよく聞こえてくる。
各フレーズから、今まで気づかなかった意味が、次々に生まれてくる。
発見の連続だ。
あえて言うが、スコアは紙切れに過ぎない。
それをナマの音に作り上げるのが指揮者の仕事だ。
とすれば、彼は、レシピに解釈を存分に加えて、まったく想像も出来なかった
新しい味を作り出してしまうような料理人だ。
そして。
彼の演奏を聴いて感じるのは、そのスケールの大きさだ。
音がチマチマしていない。
細かな音の強弱と大小を丹念に複雑に編みこみながら、1本の大きな流れを作っていく感じ。
その構成は実に綿密かつ効果的だ。
こういう演奏を聴くと、音楽って面白いなとつくずく思う。
オイラにとっては、そんな風に感じさせてくれる演奏こそ、よい演奏なのだ。
読響は、トランペットなど、若干おっかなびっくりなところもあったりして、
完璧ではないのだけど、指揮者のやりたいことがはっきりしているので
小さな瑕疵が気にならない。
ただ、ホルンはお世辞抜きで、とても上手かった。
何やらゲストで、昨年の何とかコンクールで優勝した人らしい。
そういえば、3か月前に同じ会場で、マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響で
同じ曲を聴いた。
その完璧なアンサンブルは、ある意味究極で、それはそれで大いに感銘を受けたのだけど、
スタイリッシュ過ぎるマーラーに幾ばくかの不満もあった。
その点、このセゲルスタムの演奏は、あくまで武骨で、洒落っ気ゼロ。
いわばトーマスの対極にある。
で、おかしいと言われることは100も承知で、オイラにとっては
このセゲルスタムの演奏の方が、心に響くのである。
セゲルスタムの演奏には、魂が宿ってる。
オイラが何より大事にしてるのはそこだ。
前日はインバル&都響もマーラーの5番をやっていたようで、オイラは聴いていないが
彼の演奏は想像がつく。
それはそれで、絶対にいい演奏だろうが、今回は、予想がつかない演奏、
の方を選んで聴きに行ってみた。
オイラ的には、十分に正解だったと思う。
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