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【 NHK「タイムトラベラー」のケンソゴルから、
筒井康隆『時をかける少女』(角川文庫)を経て、
原田知世・映画「時をかける少女」へ 】
この本を初めて読んだのは高校生の時だった。
けれども、読む前からストーリーはわかっていた。
この本を原作としてつくられた「タイムトラベラー」という
NHK少年ドラマシリーズのテレビ放送を、
中学生の時に夢中になってみていたからだ。
TVドラマ「タイムトラベラー」は、
放送と同時に、中・高校生を中心にして大人気となり、
後に原作にはない「続・タイムトラベラー」も作られたほどだ。
すっかり「タイムトラベラー」の虜になってしまった中学生の僕が、
家庭でテレビを録画できないあの時代に、
ふたたび主人公の深町一夫(ケン・ソゴル)や芳山和子に会うには、原作をさがして読むしか手立てがなかった。
今ならばネットで調べればすぐに分かるのだろうが、
TV「タイムトラベラー」の原作が「時をかける少女」だとわかり、
本を手にしたときには、もう僕は高校生になっていた。
そして約40年後の今、
僕はこの本をベースにした香りのエッセイを書くことになった。
僕自身は中学の時と何も変わりはしないから、
まるで過去と未来を行き来したような、
そんな楽しい気持ちで原稿を書かせてもらった。
以下は、公益社団法人・日本アロマ環境協会の
機関誌『AEAJ』No.75 Spring 2015(最新号)に
寄稿したものである。
※ 公益社団法人・日本アロマ環境協会(AEAJ)の、機関誌『AEAJ』は、 57,000人以上の個人会員や、280社以上の法人会員の他に、
一般の方も購読が可能です。(バックナンバーもあります)
興味のある方は、「AEAJ」のホームページをご覧下さい。
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先日、大学に合格して親元を離れる生徒たちと
合格祝勝会&お別れ会をした。
そして、大学合格ではない「元・生徒Mさん」にも連絡をとった。
Mさんは、ちょうど3年前に受験した高校を不合格になり、
二次募集の高校に進学をした。
その高校に進んだ後も、しばらくは塾に来ていたが、
やがて休みがちになり…、そして来なくなった…。
3年前の受験のときに、
私は「Mさんは合格できる」と言い、学校の担任もそう言った。
しかし結果は不合格だった。
泣きじゃくりながら
「先生ごめんなさい」と電話をかけてきたMさんに、
「責任はすべて先生にあるから、Mさんは何もわるくないよ。
すべて先生がいけない、本当にすまない」
と私は震える声で何度も言った。
あのとき、私のMさんに対する学習指導には油断があった。
そして、合格ぎりぎりの別の生徒の指導に気持ちがあった。
もう少し細かく作戦をたてて指導していたなら…。
そんな深い後悔があった。
私はMさんに何ができるのだろうか、
そう考えれば考えるほど苦しかった。
Mさんが進んだ高校は中退者が多い高校で、
私はMさんと中学で同級だった生徒に
「Mさんは元気でやっているのかな」
「ちゃんと学校に行っているかな」と、たびたび尋ねた。
そしてMさんが学校の放課後から夜にかけて、
アルバイトをしていることを母親から聞いた。
「あの子はどうしてあんなに働くのかわからないんです」と言い、
「とにかく早く自立したいようです」と母親は話した。
大学に進学する生徒達の進路が決まって、
私は思いきってMさんに電話をした。
「先生、私、就職が決まったんです!」
そんな元気で明るい声が電話の向こうから聞こえてきた。
合格祝勝会は、合格祝勝会&入社祝い会になった。
「先生、私、会社にはもう出勤しているんですよ。
あまり楽しい仕事ではないけど。
それから、実は土曜と日曜は酒屋でバイトもしてるんです。
この酒屋のバイトは楽しくて楽しくて!」
そう話すMさんに、私は一抹の不安を感じて、
「そんなに働いてばかりじゃ、身体がまいってしまうよ。
それに、会社の仕事に影響するよ。入ったばかりの会社なんだから 、今は楽しくなくても、3年は続けてみないと何もわからないから ね」と諭すように言った。
本当は、Mさんが会社員を続けられるのだろうかとの疑念から
「会社の仕事は少なくとも1年は続けてみないと…」
と言うつもりだったのだ。
そんな私に対してMさんは、
「先生、私、少なくとも会社員は5年以上はやるつもりです。
その間にもっと、いろいろな事を考えてみます!」と。
私の一抹の不安は払拭された。
Mさんは私の想像を遥かに越えて成長していた。
次の日、お礼のメールが来た。
実に爽やかな文章だった!
そして、三年越しの私の課題は、
乾燥した弥生の強風に吹っ飛んでいった。
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先週末、信州の春を実感しようと、
諏訪市と辰野町を結ぶ有賀峠にむかった。
ザゼンソウの里公園を訪れるためである。
公園前の説明に「矢ノ澤湿原」とあります。
正直、初めてこの湿原の名前を知りました。
これが入り口にある「ザゼンソウの里公園」の看板。
されど、右下に市長の書とある…野暮だなぁ…
まっ、市内で蜂蜜店を営むこの市長、
次の選挙には出ないからいいか(笑)
公園に入ってすぐの雪の中からも、
ザゼンソウが顔を出していました。
木道を通って、奥の方に行きますが、
この木道、結構壊れているので、お年寄りは危ないです!
でも、私はこのような道が大好きです。
昔の遠足を思い出したりして。
ピンぼけですよね、この写真…カメラが古いからかなあ…
腕が悪い…ですよね^^
ザゼンソウです。
望遠を持って行かなかったので、これがズームの限界です。
もう少しアップで撮るために、
さらに公園の奥の方に被写体をさがします。
木道近くに発見したザゼンソウです。
僧侶が坐禅をする姿に似ていることから
その名前が付けられたとか。
「ザゼンソウの里公園」の標高は1036mとありました。
辺りには残雪があり、夕方に訪れたので肌寒さを感じましたが、
信州にも確実に春が来ていました。
余談ですが、これらの写真は、
デジタル一眼レフカメラが出始めた頃に買ったもので撮りました。
買い換えも考えていて、ブログ友さんに相談していますが、
なんだか古いカメラに愛着を感じています。
もちろん動画も撮れないカメラではありますが、
久々に持ち出したこのカメラは「相棒」なのかも知れません(笑)
相棒との散歩、これからは出来るだけしてみよっと!
おまけ↓
手前に棒みたいなのが何本も立ってますが、
棒ではありません。
しばらくすると「タラの芽」がニョキニョキと出てきます。
天ぷらにすると、最高ですよね。
関西の三毛猫さん、勝手にとってはいけませんよ(爆笑)
4月2日 追記。
ザゼンソウは、開花する際に自ら発熱して雪を溶かし、
花粉を媒介する虫たちを引き寄せるとのこと。
なるほど、だからザゼンソウが顔を出した地面の周辺から
残雪が消えていくのか。
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ここ数年は、実家に居なくてはならない状況なので、
私は仕事場までは、車で1時間ほどかかってしまう。
年度末になると、さらに時間がかかる。
原因は連続する道路工事である。
片道で4箇所くらいは道路工事に引っかかる。
新しく下水道とかを作っているのなら仕方ないが、
そのほとんどが、アスファルトを削っては塗り直すことの繰り返し。
穴を掘って、また埋めることの繰り返し。
毎年ほぼ同じ場所で同じことを繰り返している。
そのために工事用の信号機やら、
交通整理のガードマンがあちこちに配置されて、
車は無駄にガソリンや軽油を消費している。
仕事にだって影響する。
そのおかげで多くの工事業者が職を得て、
大いに景気回復に役立っていると、
自民党の代議士は胸を張っていうのだろうか。
あのね、日本の土建業に従事している人の割合は、
「欧米先進国の2倍!」も居ることを知っているのだろうか?
一方、建設業界の人手不足は深刻だ。
住宅の建設契約が完了しても、大工さんや職人さんが足りない。
だから工期は大幅に延期して、多くの無駄をうむ。
いわゆる、ミスマッチだ。
提案がある。
道路工事はアスファルト状の板を開発し、
それを掘った穴に被せたりはがしたりすればいいんじゃないか。
アスファルト状の板の開発は無理だ???
出来るさ。国家プロジェクトにすればいい。
危険すぎる原発を海外に売り込むようなマネをしないで、
アスファルト状の板を開発して売り込めばいい。
発展途上国にどんなに喜ばれることか!
ぜひ安倍首相にお願いしたい。
それから、土建業に従事している人を
建設業界の人手不足解消に向かわせてほしい。
もちろん、大工さんが一朝一夕に育つわけがないから、
そのための訓練を、国の負担で職業訓練所にて行ってほしい。
ミスマッチ解消にも、地球温暖化防止にも大いに役立つはずだ。
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長野県内の小中学校は、今日が卒業式のピークである。
中には父兄の方が張り切っている姿もあるが、
もちろん主役は児童・生徒である。
私も遙か昔になってしまったが、
諏訪湖を見渡すことができる新築のJ小学校で卒業式を迎えた。
家から歩いて僅か数分の場所にJ小学校が出来たのは、
私が小学2年になろうとしていた頃だった。
小学1年生の時には、
約1.5kmの道のりを歩いてT小学校に通っていた。
家の近所にJ小学校を建設するために、
山の中腹の雑木林が切り倒され、
多くの土砂が平らに整備されていった。
最初の頃は土砂はいくつかの小山に盛られていたので、
夕方や休日には、その場所が、
私たち小学1年生には格好の遊び場になっていた。
土砂の小山の頂上に立ち、思い切り走り降りていく。
その勢いをもって、次の小山に。
傾斜に脚を上手く送れずに転んだりして、
膝を擦りむいて血を出しながらも、
暗くなるまで思い切り遊んだ。
今なら、立ち入り禁止になっているような場所だったが、
当時は何も規制がなく、
おかげで思う存分楽しい時間が過ごせた。
小2から通い始めたピカピカのJ小学校は、
小1のときにお世話になったT小学校のように、
体育館の雨漏りにバケツを用意することもなく、
だるまストーブに石炭をくべる必要もなかった。
重油を使った全館暖房で、
真冬の寒い時期でも、暑すぎて窓を開けることすらあった。
春から秋は虫の季節だ。
私は学校が終わるとすぐに、
J小学校から100mの下り坂を数分で駆け下り、
家の玄関にランドセルを投げ入れると、
その足で捕虫網を抱えて学校の裏山に出かけた。
もともとが雑木林の里山を削って小学校を建設したので、
学校の裏山には、雑木林がそのまま残っており、
多種多様な昆虫たちが生息していた。
また学校の横に流れる小川を形成する沢には、
沢ガニや水生昆虫が多くみられた。
小学校高学年になってくると、私は特に蝶に興味をもち、
標本をつくることに夢中になっていった。
晩秋になり、昆虫たちが少なくなると、
谷に続く小道に、大量に積もった落ち葉を使って
急斜面から滑り落ちる遊びをした。
ズボンに穴が開いて、帰ってから母から叱られたが、
すぐに知恵を働かせて、叱られないように
蓆(むしろ)や茣蓙(ござ)を持ち込んで滑り落ちるようにした。
冬になると、
小学校の体育館横の傾斜を利用してソリ遊びをした。
私は器用な父がつくってくれたソリを使って滑った。
父は竹を割って火で炙り、
微妙なカーブを付けたものをソリに付けてくれた。
実によくスピードが出た。
四季を通じて山の中に基地も作った。
雑木林の中を探検して真っ黒になった。
一度大きな骨をみつけたときには怖かった。
小学校の6年間、
まるでそれが仕事であるかのように、実によく遊んだ。
そして卒業式。
蛍の光や校歌を歌っていたら、なぜか涙が出てきて困った。
男子で泣いている子は、私の他に居たのであろうか。
今思うと、あれは思い切り幸せな涙だったのだ。
幸せすぎた小学校時代を振り返った嬉し涙。
そして。
私には、それが自身の最後の卒業式になった。
中学、高校、大学と、卒業式には出られなかった。
入院していたり、失恋して寝込んでいたり、
まあ、人生いろいろあるよ。
自身一度きりの「卒業式」のことを父に話したら、
父は「修学旅行」に行ったことがない、と切りかえされた。
そもそも、戦争の時代を生きてきた父には、
そんなことくらいで、
はしゃいだりしている人間が滑稽にうつるのかも知れない。
でも、私にとっては忘れられない記憶になっている。
☆ J小学校校歌 ♬の第1番(覚えている範囲で)
たかつき繁る 宮ちかく ♪
翼をはった 輝く母校 ♪
諏訪湖みわたす 明るい庭で ♪
われら鍛えよ いつの日も ♪
翼を張った輝く母校 諏訪市立 J 小学校
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