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「豪徳寺の招き猫伝説」&「井伊直弼の墓」&「ねこ検定」のお話し
所用で訪れた東京だったのですが、
かねてから行ってみたかったのが豪徳寺なのです。
理由は私が猫好きだから、それだけでなんです(^_^;
招き猫の大群を見たいのです(^^)
小田急線の豪徳寺駅で下車して、
iPadをたよりにして歩くと10分と少しで到着しました。
火野正平さんなら自転車で「とうちゃっこ」ですねぇ。
少し歩いただけなのに、非常に暑かったにゃーご(×_×)
豪徳寺の招き猫の由来です↓
伊井家の第2代藩主・伊井直孝が、
寺の猫が招くので豪徳寺の門内に入って休憩をしていたところ、
直後の雷雨を避けることが出来た上に、
和尚の法話を聞くことが出来たことから、
後に伊井家の菩提寺になったとのことです。
後に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もあります。
ここが第13代藩主・井伊直弼の墓。この方も幕末の英雄だと私は思っています。
手を合わせてきました。
豪徳寺を去る前に、とても面白い話を聞きました。
豪徳寺には実は賽銭箱がないのです。
理由は豪徳寺を訪ねてボランティアガイドの方に尋ねて下さい。
運が良ければ教えてもらえるかも知れません。秘密なんです。
◎閑話休題。
ついでに「ねこ検定」について。
年度末に第1回のねこ検定を受けてきました。
受験者は東京会場だけで軽く1000人を越えたとのことです。
受験料の一部が千代田区の野良猫たちの保護活動や医療費に使われるそうです。
単なるブームで終わらせたくはないですね。
是非全国の野良たちのためにも使っていただきたいです。
と言うわけで、一夜漬けでしたが、なんとか初級と中級に合格できました。
上級はなかったので受験できませんでした。
第2回「ねこ検定」は、2018年の3月25日にあるそうです。
上級があれば受けたいです。
今回は、かるーい話題でした。。。おわりにゃ
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我が家は諏訪湖を見おろす東側の高台にある。
夕暮れ近くに更に高い場所から諏訪湖をみてみた。
少年の頃は西日が眩しいこの周辺で暗くなるまで遊んだ。
冬も春も、夏も秋も、何も考えずに精一杯に遊んだ。
急坂を駆け下りるのに足を送れずによく前のめりに転んだ。
膝から真っ赤な血が流れ落ちていても家には帰らなかった。
今も残る膝小僧の傷跡に想い出が刻みこまれている。
高学年になると一つ隣りの知らない里山にも出かけた。
少し不気味な古い建物の間の小径を通って帰ったことがあった。
泣きそうになったその懐かしい道を今日大人の私が訪ねてみた。
諏訪市にはこうした風情ある小径が多く残されている。舗装しないでほしかった。
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大リーグで活躍しているマーくん。年俸も20億円以上である。
そのマーくんの登板試合で、著名な大リーグ解説者が試合中に
「ピッチングコーチがマウンドに行くのに通訳を同行するな!」
「外国人の投手はベースボールの言葉を覚えろ!」と
テレビ中継で意見したことが物議をかもしている。
大リーグではマウンドに通訳を同伴するのを認めているから、
ルール上は何の問題もない。しかしながら、
マーくんは渡米してからすでに3年も経過しているMLBの投手だ。
そんな記事を読んでいて、
私はかつてマリナーズでクローザーとして大活躍していた
長谷川投手のことを思い出した。
彼は日本のオリックスのプロ野球投手だったが、
早くから大リーグ挑戦の夢を持ち、オリックス時代から英会話学校にも通い、
通訳なしで記者会見をして大リーグのマウンドにも立った。
さらにアメリカに渡ってからも英語の勉強を続けて、
「メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法」(幻冬舎)を
出版するほど英語が堪能であり、1998年には米国永住権も獲得している。
しかもオリックス時代には並の投手だったにもかかわらず、
2003年、大リーグでは35歳にして、
マリナーズであの「大魔神」佐々木に代わるクローザーとして大活躍し、
その年の防御率は驚異の1点台であったと記憶している。
オリックス時代に最高140キロだった球速は、
大リーグに移籍してから149キロに達している。
これは大リーグ入りしてから続けたウエートトレーニングの成果である。
オリックス時代から大リーグでやるという目的をしっかり持ち、
英語もしっかり勉強してから渡米した長谷川投手。
目的意識が高く、飽くなき向上心を持ち続けている長谷川滋利さんは、
プロ野球の選手というより、人生のプロフェッショナルである。
《参考》☆長谷川投手の英語 ↓
《参考》☆川崎内野手の英語 ↓
マーくんはMLBのプロとして、
20億のほんの一部を英語の勉強に使ってほしい。
MLBで生きていく選手なんだから。
専属の家庭教師を雇えば良いだけの話なんです。
※参考
湖池健彦のアロマブログはこちらです↓
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「ザ・ピーナッツ、永六輔さん、逝く」
ザ・ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなった。
5月18日のことだったそうである。
双子の姉のエミさんはすでに4年前に亡くなっているから、
姉妹は今頃、天国で再会して歌っているのだろうか。
私が小学校に通っていた頃のことだが、
毎年の紅白歌合戦で、ザ・ピーナッツの歌を聴くのが楽しみだった。
小柄な二人のポップな歌は、歌唱力も声量も抜群だった。
高学年になったころには、何ともいえぬ大人の色気も感じていた。
昭和の歌謡曲の黄金時代があった。
その時代を代表する歌手、ザ・ピーナッツ。
自分は、あの時代に居られてホント良かったなぁ、と思う。
※ザ・ピーナッツ「情熱の花」↓
※ザ・ピーナッツ 映画「モスラ」挿入歌より↓
※参考「プロの歌手・ザ・ピーナッツ」(2013年6月28日)↓
永六輔さんも逝ってしまった。
普段はラジオを良く聴いている自分にとって、
「誰かとどこかで」(1967年1月2日〜2013年9月27日)
を聴くことは時計の代わりになっていて、あるのが当たり前だった。
永さんが疎開して来た信州での想い出を語っていた放送もあった。
遠藤泰子さんとの二人三脚の安定したトーク。
泰子さんが語る桃屋のCMが放送の合間に入る。
あの間合いは昭和そのものだったよなあ。
放送が終わってしまった時の無力感・脱力感は忘れられない。
なぜ、人は逝ってしまうのかな。とても寂しい。
※永六輔・遠藤泰子の「誰かとどこかで」↓
◎参考までに。 湖池健彦の「アロマブログ」を
こちらで始めました↓アロマテラピーに関心のある方は どうぞご覧下さい。
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「古い物置小屋」と「蕎麦の花」
↑ 信州・上伊那郡 箕輪町にて
信州の朽ち果てそうな物置小屋である。
今も農家が使っているらしく、農機具が置かれている。
車で通る度に、以前から気になっていた。
小屋の前面に植えられた蕎麦が満開になったので、
カメラを持っていって撮ってはみたが、
自分が思ったようには撮れていなかった。
実はもっと魅力的な建物なのである。
小屋の左側は葡萄棚で、右は林檎の木である。
売るほどには作っていないので、
家族みんなで食べるのかな。
信州の果物は美味いもんね!
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