「アロマ物語」の挿絵

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信州、上伊那郡箕輪町の蕎麦畑が満開である。
今年は珍しく一般的な白い花の蕎麦が育てられている。
というのは、毎年ここは赤蕎麦の花で満開だから。

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うーん、ピントが甘い! 大福よりも甘い!
泣きそうだけど、決して老眼のせいにはしないぞー。
そっ、そうだ! この写真は仕事場に急いでいく途中で撮ったからだ〜 (あまりにも苦しい言い訳に・・・涙する)

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ここで。
なぜか葱畑を走り回る少年のイラスト↑である。(やっと本題)
実はこの傑作イラストは「アロマ物語」の中で、
なぜかボツになったものなのだ。
本来は「アロマ物語」のp.54に挿入されるはずだった。
もちろん、イラストを描いた杁栖(いりす)さんは、
著者の僕をキッと睨んで言った「なぜ、ボツなんですか!」と。

話は杁栖さんの怒り爆発から少しさかのぼる。
編集者からの一本の電話…。

「…湖池さん、オナガアゲハを見つけた少年が葱畑を最短距離で突っ 走り、葱をなぎ倒してしまって、
 校長先生に呼び出されるシーンがありますよね」
「ええ、それが何か?」
「あのシーンって、夏の設定ですよね」
「ええ、それが何か?」
「夏に葱は育ってないはずです…普通は…」
「…え、でも、(かなりやばい…)夏に育つ葱もあるはず…」
「でも湖池さん、夏の葱畑、読者は変だと感じると思います」
「えーっと、締め切りはいつだっけ?」
「締め切りは明後日ですけど、このシーンのイラストは使えません。 それから、葱畑の設定を夏の作物の畑に代えてくれませんか?」
「うー、わ、わかりました。(と言いながら、杁栖さんの怒りの表情 が浮かぶ)怒るだろうな、彼女。(恐ろしいー)」

 ようするに僕が軽率だったのだ。
 少年の頃に蝶を追いかけて葱畑を倒して叱られた記憶から書いた
 シーンだったのだが、
 「アロマ物語」は全体が夏の設定でストーリーを書いていたから、
 今さら季節を変えることは不可能だし…どうしよう。うーん…
 ここは正直に話して謝るしかないよなー、うんうん。

「湖池さん、なぜ、ボツなんですか!」と杁栖さん。
「かくかくしかじか…ということで、この葱畑のイラストはボツにな っちゃたのです。申し訳ない…」
「…あ、そういう訳でしたか。では仕方ないですけど、葱畑の設定は 何に代えるのですか?」
「夏だからトウモロコシにしようかな。美味しいし(単細胞^^)」
「あのぅ、蕎麦畑ではどうでしょうか?」
「なるほど蕎麦畑か、信州だし、そう、そうしてみるよ(素直^^)」

 とまあ、こんな具合で葱畑は蕎麦畑に代わったのでした。
 それにしても、この葱畑のイラストは惜しかったなぁ。
 
 まあ、最後に僕のミスもあって迷惑かけたけど、
 仕事の合間を縫ってがんばった10ヶ月だったから、
 充実した楽しい時間でした。
 癖になりそう…否、もう、癖になってる^^


※2016年の8月下旬に開始する「湖池健彦のアロマ教室」
  のブログは下記↓になります。アロマの話題はそちらにて (^。^)

 

 
 



私の著書「アロマ物語」の40ページの挿絵(by 杁栖やよい)についてです。

いつもは元気な健くんですが、
香織ちゃんの屋敷での不思議な経験に体調を崩してしまいます。

人は未知との遭遇において、
無意識の領域で大変なエネルギーを使ってしまう。

高熱を出して、幻覚をみることも多い。

こどもの頃に経験した高熱では、
私の足の爪先から猫が這い上がってくる幻影に、
「猫が攻めてくる!」と
大声を出して飛び起きて泣いた事があったそうだ。

人は、視覚・触覚・味覚・聴覚などを使い、あらゆるものを具体化するが、
それらはすべて脳が捉えていく。

脳の捉え方が少しでも違えば、
それだけで目の前の猫は、虎にもなるし、恐竜にもなる。

この世には、私が捉えられないものに満ちている。
昼間には見えない星だが、実際にはずっと存在している、そんなもんだ。

人は自分が見えているものを語ろうとするが、
実際には、それは存在しないものなのかもしれない。

偉そうに語る評論家の言う戯言など、すべて無視して、
一所懸命に生きれば、それで良いじゃないか。と自分に言い聞かせよっと。

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私の著書「アロマ物語」の22ページ、四枚目の挿絵(by 杁栖やよい)についてです。

無数の精油が置かれた棚に限らず、
小説内のイラストが細かく描かれたものに対して、小説の内容とは別に、
少年時代の私は、特にワクワクしたものだった。

小学生の頃に読んだモーリスルブランの「奇岩城」において、
やはり、その奇岩城を描いた挿絵の精密さに、
奇岩城の内部の複雑さを思い、
ルパンを追いつめるパリ警察との攻防を最高に想像できたのである。

また、同じくTVドラマ「タイムトンネル」の第一回には
アリゾナの地下数百メートルに建設されたタイムトンネルの基地を
上方から映している映像が出て来る。
幾重にも重なる道路の上を車が走り、その映像から空中都市を想像し、
少年だった私は大いに興奮したものだ。

今のようにCGがない時代に、細かなイラストやら映像を作り出すのは大変だったと思う。
クリエーターの根気の他に、仕上げる期限みたいなものもあるから、
その努力たるや相当なものである。

CGがある現在は、
本物と見間違うくらいの画像や映像を、お金さえかければ作りだせてしまう。
たしかに、先日みた「宇宙戦艦ヤマト」の映像などは
ここまでの映像をTV漫画で観られることが不思議な気さえした。

では、それを観ている子ども達は、
私が少年時代に感じたように、胸躍らせる興奮を得られているのだろうか。
もちろん、同じー否、それ以上のものを感じているに違いない。

だが、私は思う。
私のあの時に感じた興奮は何回でも、何年経っても甦ってきた。
比較して、CG画像からのものはどうなのかと。

いくら細かなイラストを描こうとも、
リアリティにおいてはCGにはかなわない。
でも、あの頃の私は、細かなイラストとリアリティーを埋めるものとして
想像力をフル活用したのではないか。

想像力は未来に通じる。
自分の未来や将来を巨視的にみること、想像する事は
やがて努力して創造することに繋がっていくのではないか。
そんなことを考えてみると、
今の子どもや学生が置かれた環境は幸福とは言い難い。
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私の著書「アロマ物語」の19ページ、四枚目の挿絵(by 杁栖やよい)についてです。

今、私の家の庭にはローズマリーが薄紫の可憐な花をつけ、
その独特の香りを辺りに漂わせている。
数年前に、購入した苗を庭の一番痩せた土の所に植えたのだが、
その成長は実に順調で、剪定しなければ他の植物を排斥するほどに強い。
また、その強烈な樟脳の香りは毛虫すら寄せ付けない。

「アロマ物語」では、ローズマリーはラテン語で「海のしずく」を意味すると紹介したが、
確かに、この花は岩場に打ち寄せて砕ける「海のしずく」を連想させる形をしている。
また、聖母マリアが青いマントを白い花の咲く木にかけたら、花が青色になった伝説から
「マリアさまの薔薇」というニックネームもついている。

アロマテラピー検定テキスト(AEAJ日本アロマ環境協会)にも記述されているが、
中世ヨーロッパの僧院医学において、ハーブや精油が用いられ始めた頃のエピソードに、
「ハンガリー王妃の水」=ハンガリアンウォーターがある。

ハンガリー王妃エリザベート1世は若くして夫を亡くしたあと、長く君主として善政をしいたが、
晩年には手足が痛む病気にかかってしまった。
そのことを知った修道院の僧が、王妃のためにローズマリーを主体とした痛み止めを献上
したところ、状態がみるみる改善されて若返り、
70歳を超えた王妃に、隣国のポーランド王子が求婚したという。
このことから「ハンガリー王妃の水」は「若返りの水」として今に伝えられている。

ローズマリーの成分は、身体に対しては血液の循環を促進したりする効果があるし、
頭には集中力を増す効果があるから、
私が経営している学習塾において、受験シーズンには抗ウイルス作用のある精油と
ブレンドしてディフューザーで教室内に拡散させている。
また、私自身には、記憶を要する勉強時には、ローズマリーをブレンドした精油を
キャリアオイルに希釈したものを首に塗布している。
これ、かなり効果あり!
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私の著書「アロマ物語」の12ページ、三枚目の挿絵(by 杁栖やよい)についてです。
少年の頃。まさか携帯電話が出来るとは思わなかった。

TVの巨大なブラウン管が無くなり、薄型TVが出来るとは思わなかった。

ましてや、インターネットで世界がつながり、
瞬時に世界情勢がわかるなんてことは思いもしなかった。

子供の頃に不可能だと信じられていたことが、
今では当たり前のように実現している、それが科学技術だ。

その意味では、「アロマ物語」に出て来る空中に浮く電球、
それによって温度・湿度などを総て管理できている空間などは、
夢とはいえずに近未来では当たり前に使われているに違いない。

私は小学生のころ、SF小説が大好きだった。
そこには天才科学者の出現によって、不可能を可能にする発明があり、子どもの夢を託せたからだ。

科学技術の発達は、これからますます加速されて、
「夢」を現実の世界がたちまちに追い越してしまう時代がくるのだろう。

諏訪から江戸まで何日もかけて歩いた時代と、
わずか数時間で行かれてしまう現代では、
現代の方が便利で幸せという比較は成り立たない。


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江戸まで何日もかかって行く過程には、
その旅自体に人生があり、仕事・楽しみにも
なるのだ。

数時間で行かれてしまえば、その浮いた時間分は、余分に仕事をしたり、
他の楽しみを余分に見つける努力が必要になる。

科学技術の発展が、かえって私たちの手枷・足枷にもなっているのは皮肉なものだ。



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