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先日、大学に合格して親元を離れる生徒たちと
合格祝勝会&お別れ会をした。
そして、大学合格ではない「元・生徒Mさん」にも連絡をとった。
Mさんは、ちょうど3年前に受験した高校を不合格になり、
二次募集の高校に進学をした。
その高校に進んだ後も、しばらくは塾に来ていたが、
やがて休みがちになり…、そして来なくなった…。
3年前の受験のときに、
私は「Mさんは合格できる」と言い、学校の担任もそう言った。
しかし結果は不合格だった。
泣きじゃくりながら
「先生ごめんなさい」と電話をかけてきたMさんに、
「責任はすべて先生にあるから、Mさんは何もわるくないよ。
すべて先生がいけない、本当にすまない」
と私は震える声で何度も言った。
あのとき、私のMさんに対する学習指導には油断があった。
そして、合格ぎりぎりの別の生徒の指導に気持ちがあった。
もう少し細かく作戦をたてて指導していたなら…。
そんな深い後悔があった。
私はMさんに何ができるのだろうか、
そう考えれば考えるほど苦しかった。
Mさんが進んだ高校は中退者が多い高校で、
私はMさんと中学で同級だった生徒に
「Mさんは元気でやっているのかな」
「ちゃんと学校に行っているかな」と、たびたび尋ねた。
そしてMさんが学校の放課後から夜にかけて、
アルバイトをしていることを母親から聞いた。
「あの子はどうしてあんなに働くのかわからないんです」と言い、
「とにかく早く自立したいようです」と母親は話した。
大学に進学する生徒達の進路が決まって、
私は思いきってMさんに電話をした。
「先生、私、就職が決まったんです!」
そんな元気で明るい声が電話の向こうから聞こえてきた。
合格祝勝会は、合格祝勝会&入社祝い会になった。
「先生、私、会社にはもう出勤しているんですよ。
あまり楽しい仕事ではないけど。
それから、実は土曜と日曜は酒屋でバイトもしてるんです。
この酒屋のバイトは楽しくて楽しくて!」
そう話すMさんに、私は一抹の不安を感じて、
「そんなに働いてばかりじゃ、身体がまいってしまうよ。
それに、会社の仕事に影響するよ。入ったばかりの会社なんだから 、今は楽しくなくても、3年は続けてみないと何もわからないから ね」と諭すように言った。
本当は、Mさんが会社員を続けられるのだろうかとの疑念から
「会社の仕事は少なくとも1年は続けてみないと…」
と言うつもりだったのだ。
そんな私に対してMさんは、
「先生、私、少なくとも会社員は5年以上はやるつもりです。
その間にもっと、いろいろな事を考えてみます!」と。
私の一抹の不安は払拭された。
Mさんは私の想像を遥かに越えて成長していた。
次の日、お礼のメールが来た。
実に爽やかな文章だった!
そして、三年越しの私の課題は、
乾燥した弥生の強風に吹っ飛んでいった。
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「教育全般」
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2月13日、それは寒い朝のことだった。
私はいつものように朝食を済ませて、新聞を読んでいた。
携帯が鳴り、画面で名前を確認しようとしたが、
それは電話には登録されていないナンバーだった。
「先生、お久しぶりです。Sです」
思い当たる同姓は数人いたから
「どちらのSさんですか?」と。
「S・Sです。就職が決まったので報告します!」
と、明るい声が返ってきた。
電話の向こうには4年前まで私の塾に来ていた男子が居た。
彼は確か中学生のときに、私の個人塾に父親と共にやってきた。
理数系の才能にとても優れていたが、国語・英語が弱かった。
そう、語学にはまったく興味がないようだった。
高校入試は、得意の数学・理科で点数を稼いだので、
地元では2番目の進学校に合格した。
そして、高校生として引き続き通塾をしてくれた。
彼は高校では弓道部に入り、
4月、5月の紫外線を浴びて、真っ黒に日焼けしていった。
細かった二の腕に筋肉が付き、
高校生活も楽しかったに違いない、生き生きとしていた。
部活のことを楽しそうに語っていた彼だったが、
初夏になった頃から、弓道を話題にしなくなっていた。
…弓道部をやめてしまったのだ。
やめた理由は聞かなかった。
中学の時の行動や言動から、彼には、
人には言えない孤独や悩みがあるように推測していたからだ。
部活をやめた後、彼は勉強にもやる気を見せなくなった。
相変わらず、数学や物理は得意だったが、
苦手な語学は仕方なくやっている、そんな雰囲気だった。
私は当時の彼に良く言った。
「やる気がないなら、もう塾には来なくて良いんじゃないか?
月謝がもったいないしね」と。
そんな時、彼の回答はいつも決まっていた。
「う〜ん。でも先生、オヤジが行けって言うからさぁ…」
彼の、やる気の無いような、あるような、
そんな塾通いは高校3年の晩夏まで続いていた。
或る日、彼は「先生、入りたい学校を見つけた」と学校案内と過去問題集を持ってきた。
それは自衛隊の戦闘機に搭乗するパイロットを養成する学校だった。
「ふーん、こんな学校があるのか。知らなかった」と私は言ったが、
彼の学力で志願倍率の高いこの学校の学科試験をパスできるのか、
その時点では何とも言えなかった。
その日から彼は別人のように勉強を開始した。
苦手の語学にも意欲的に取り組んだ。
そして一次試験をパスした。
二次試験は、主として体力測定みたいなものみたいだから、
すんなり合格できると思った。
予想もしないことが起きた。
心電図で引っかかってしまったのだ。
戦闘機に乗るには急激な気圧上昇・下降にも平気な心臓が求められると言うことなのか…
彼の夢は遠のいてしまい、その落胆ぶりは気の毒な程だった。
しばらくして、
「ここに行きたい」と持ってきた大学のパンフレット。
初めて聞く名前の大学だった。
航空宇宙工学を学ぶ大学で、教授陣にはノーベル賞受賞者も…
彼はこの大学に進学した。
無線…、小型航空機…、そうした小さなステップを乗り越える都度、
彼はメールに国家試験の合格証を添付して報告してくれた。
アメリカにも語学留学をした。
それは当たり前である。
彼の目指す先には国際線の大型旅客機のコックピットがあり、
英語が出来なければ機長は務まらないのだから。
電話の向こうの声は弾んでいた。
「4月から◯△□航空の東京勤務になります」
「え、あの◯△□航空の旅客機を操縦をするってこと?」
「はい、そうです!」
「世界中を大型旅客機で飛び回るってこと?」
「はい、そうです!」
「Sくん、おめでとう! 夢がかなったね」
「ありがとうございます。夢がかないました」
「落ち着いたら、東京で会おうよ。楽しみにしているからね!」
「はい、お願いします!」
人は言う。
成りたいものがあれば、俺だってがんばれるのに、
成りたいものがないから頑張れない、と。
そうだろうか? そうではないと思う。
そもそも、成りたいものを見つけようとしないのだ。
見つけないほうが楽だから、見つけようとしないのだ。
本当に価値のある夢を実現しようと思ったら、
好き勝手に遊んだり、ずっとテレビの娯楽番組みて過ごしたり、友だちとダベって時間を垂れ流ししていては、夢の実現はありえない。
自分にも夢がある。
昨年のこの時期には、待望の本の出版を経験したが、
それは山の登り口に立っただけで、まだ何も踏み出せていない。
未だ、総てにおいて自分に勝てないでいる。
その程度の自分だ。
もし、Sくんと同じ立場に自分が居たとしても、
自分には彼と同じことは出来なかったに違いない。
とても格好悪いけれども、
そのことを正直に認めて自分に勝ちたい。
勝てる自分を目指したい。
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寒い信州だからというわけでもなかろうが、
他県からみれば遅い合格発表が本日、3月22日にあった。
合格した生徒たちの声が、電話の向こうで弾んでいる。
その嬉しさの数値を代弁しているその声のトーンと音量は、
偏差値の高い高校とか、偏差値の低いとか、そんな陳腐なものには決して比例しない。
では、何に比例するのか。
勉強にかけた努力の質と時間である。
「努力は人を裏切らない」というが、それは真実なのだと思う。
少なくとも、私は塾の授業中の彼・彼女しか知らないわけだから、
彼らの努力の大きさや質をすべて知っているわけではないが、
それでも努力をし続けている生徒の顔つきは確実に変わってくる。
わずか半年足らずで、模試の偏差値を10も上げた生徒がいる。
もちろん彼女が生まれつきの優秀な知能指数をもっていたわけではない。
どう転んでも、
泉忠司のように「偏差値30から全国1位をとった僕の勉強法」みたいな本を書く人にはなれない。
むしろ彼女は、とても勉強の要領が悪く、小学校時代から本を読むことをせず・・・
だから基礎学力は限りなくゼロに近かった。
でも、意外な素質があった。
素直。それが彼女の素質だったのだ。
学校で配られた「◯研究と対策」みたいな本を基本書として、私の言う通りに、
大きめの付せんをびっしりと貼っていった。よく分からない所を聞いたり調べたりして書いたものを。
彼女の本は分厚い。だからカバンだって3つも持って、
その分厚い本を何冊もいつも入れて持ち歩いていた。
明るくて希望に満ちた声だった。同時に自信に満ちた声だった。
やはり、努力は人を裏切らない。
例え結果がどうであれ、彼女は福寿草のように花を咲かしたはずだ。
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師走のことだった。
電話を受けたとき、
私はてっきりその女性が、お子さんの受験に関する話をしているのだと思った。
「あのう、看護学校を受けたいので、塾で勉強を教えてほしいのですが」
「この塾のことはどちらでお知りになられたのですか?」
「私の会社の同僚のKさんの娘さんが、そちらに通っていたと聞いて、お願いしたいと思いまして」
「そうですか、Kさんのお知り合いなのですね。懐かしいです。頑張り屋の娘さんでしたよ」
「看護学校の入試はいつですか?」
「年内に社会人入試がありますので、小論文の書き方を教えてほしいんです」
「そうですか、お子さんは社会人なのですね」
「あの・・・。受験するのは私なんですが」
「え。あの、あなたが看護学校をこれから受験なさるのですか。失礼ですが、おいくつですか」
「43歳ですけど、どうしても看護士になりたいんです」
「・・・」
「あ、あの、とにかく一度、教室の方に来ていただけますか」
「では、引き受けていただけるのですね」
「とにかく話を聞かせてください。その上で考えさせていただきます」
その女性Sさんは、高校を卒業してからすぐに今勤めている会社に就職して現在に至るという。
お姉さんが一人いて癌を患っているという。
Sさんは看病の為などで病院に通うようになって、どうしても看護士になりたいと思ったらしい。
「先生、私は若い人と一般入試で競っても、とても学力では勝てないから社会人入試で入りたいんです」
「社会人入試は小論文だけですか?」
「はい、小論文と面接だから、私が本当に看護士になりたい気持ちを伝えれば・・・」
「でも、受験する人は全員、そういう気持ちですから、なかなか難しい戦いになりますよね」
「ええ、だから上手い書き方を教えてほしいのです」
「うーん・・・」
受験に必要な小論文の添削を、お小遣い程度の金額で引き受けた私だったが、
私には社会人入試の合否が、小論文や面接で決まるとは思えなかった。
おそらく履歴書を重視して、ある程度の理系の知識があると思われる社会人を合格させるであろうと。
社会人入試の結果はすぐに出た。
数十人の受験生の中で、合格したのは、ほんの数名だった。
あらかじめ履歴書で選抜した中から、小論文と面接で決めたはずだ。
「先生。忙しいのに小論文を見ていただいて本当にありがとうございました」
「いえ、よく頑張りましたよね。結果よりも、その挑戦する気持ちが大事ですよね」
「はい・・・。それで、あの、これから一般入試に受かるように受験勉強したいのです」
「え、これから受験勉強ですか」
「はい、受験科目は国語、英語、数学です。これが過去問です」
過去問を見ると、高校入試程度と高校1〜2年程度が半々くらい出題されている。
社会人がこれから2、3ヶ月で、勉強して受かるには大変だと思った。
Sさんは、国語と英語は比較的得意そうだが、数学が・・・。
Sさんの挑戦が始まった。
会社には退職願を出して、背水の陣である。
数学は、中学の基礎の計算から始めて1ヶ月、次に高校の範囲に突入した。なかなか苦戦。
そこで、以前に知り合いの塾の先生から教えてもらった数学の㊙参考書を取り寄せて、問題を絞る。
この判断は的中した。
Sさんの数学の学力は驚く程上がった。
それもそのはず。Sさんは朝から晩まで、繰り返し繰り返し同じ問題をやったのだ!
43歳の受験生は、第一志望の看護学院こそ不合格(合格者は46人中6人のみ)だったが、
第二志望の看護学院には無事に合格した。
Sさんは合格が決まると、お菓子を持って御礼にきてくれた。
その時に来ていた塾生全員にお菓子を手渡して、
「こんなおばちゃんでも頑張ったのだから、みんなも頑張って勉強してね」と笑顔をみせた
「先生、本当にお世話になりました。必ず看護士になって社会貢献してみせます」
Sさんが看護士になる。
考えてみれば、私も少しだけ間接的に社会貢献したことになるのかな(笑)
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