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数年前の「夏休み・子ども科学電話相談」への電話。
小学生Aくん「もしもし、ユーカリの葉っぱには毒があるって、本でよんだのですが、 それは本当ですか?」
動物園の園長「もしもし、Aくん、それは本当のことだよ。Aくんは食べない方がいいよね」
Aくん「えーっと、でもユーカリの葉っぱを食べているコアラは平気なんですか?」
園長「うん、コアラは普通、ユーカリの葉っぱしか食べないから、Aくんは心配だよね」
Aくん「はい、たくさん毒を食べたら死んじゃうと思います」
園長「そう、コアラは、毒があってもユーカリを食べるしかないもんね…」
I think《しめしめ、今日の質問なら答えられるぞ。コアラはユーカリの毒を分解する 消化酵素をもっているから平気なのさ、えへへ…》
園長「でもね、コアラは死なないんだ。コアラのお腹には毒を分解してしまう酵素っていう 物質があるんだよ。 だからコアラは死んだりはしない。だけど、毒をすべて分解できるわけじゃあないんだ」
I think《あれれ、他にも何かあるのかな…》
園長「Aくんは、コアラの鼻がなぜ大きいのか考えたことがあるかい?」
Aくん「いいえ、ありません。生まれつきだと思います」
園長「あはは、そう、生まれつきだよね。でも、コアラはあの大きな鼻で、 ユーカリの葉っぱの匂いをかいでいるのさ。
匂いをかいで、少しでも毒の強い部分は食べないようにしている。そうやって、 健康に生きていけるのさ」
I think《なるほど、さすが動物園の園長先生…トホホ》
さて。最近読んだ高校の英語の教科書の本文の記述に次のような文章が!
最近の科学の研究によれば、植物たちは特殊な方法で、
周りの虫たちと「コミュニケーションをとる」ことが出来るのが明らかになっている、と。
例えば、トウモロコシが芋虫に食べられている時、
トウモロコシは化学物質を空中に放ち、
その化学物質は芋虫の天敵である寄生スズメバチを引き寄せるのだという。
その寄生スズメバチは芋虫の体内に卵を産み、スズメバチの幼虫は芋虫の体内で育ち、
やがて幼虫は芋虫の腹を破り(まるで映画エイリアンのよう)、その芋虫は死んでしまう。
しかも、トウモロコシの出す化学物質は、
食べている芋虫の種類によって様々な種類の合図を使い分けているのだという。
こうすることによって、トウモロコシは特定の芋虫の天敵だけを引き寄せるのだという。
このような防御方法は、トウモロコシに限らずトマトやリンゴや豆などの他の植物も、
攻撃されている時に化学物質の合図をはっする。
オランダのワーゲニンゲン大学のマルセル・ディック教授は
「自分たちのボディガードである昆虫たちと、化学物質を通じて話をすることは、ほとんどの植物種の特徴であるらしい」と述べている、と。
地球上の生命はみな、各自が根本から自己を防衛している。さて、人間は。。。
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先日コンビニに寄った折りに、一年前の出来事を思い出した。
その日、公共料金の支払いの為に私はコンビニDに入り、
ポケットから支払い用紙を取り出し、受付の前に立っていた。
用紙を受付の台に置こうとした、その瞬間だった。
コンビニの自動ドアを通り抜けて直進してきた中年の女性が、
歩きながらつかんだ商品を、なんと!
用紙を置こうとしている私の手の下に滑り込ませて置いたのだ!
その行動にあきれた私は、コンビニの店員の顔を見た。
胸に外国人と分かるネームプレートを付けたその店員は、
事もあろうに、
平然と中年女性の差し出した商品のバーコードを読み込み、
値段を告げた。
その女性は無言でお金を払うと、さっさと店を出て行った。
さて。
先日、弁当を買うために寄ったコンビニSは混んでいた。
二つある受付の片方は、
店員さんが年配の夫婦に
100円コーヒーの入れ方を教えるために離れていて、
もう片方のカウンターに数人の人垣が出来ていた。
だから私もそのカウンターに並ぶことにして順番を待っていた。
あと二人で私の番になったとき、
100円コーヒーの入れ方が解決したらしく、
機能していなかったカウンターに受付の人が戻った。
私が再開されたカウンターに行くために移動を始めた瞬間に、
そのカウンターの前に大柄な若い男性客が立った。
彼はその行動から察するに、
どうやら知的障害をもった男性のようだった。
私がその男性客の後ろに並ぼうとすると、
彼は私を見ながら定員さんに言った。
「このひとの方が先だと思います」と。
私は何だかとても嬉しくなって、
彼に「ありがとう」と言ってから弁当をカウンターに差し出した。
私たちを見ていた店員さんは、
満面の笑みを浮かべて弁当を受け取った。
私は再び彼に「ありがとう」と言った。
彼は困ったような顔をして、笑顔の店員さんの方を見ていた。
私は店をでた。
滅多にないくらいに嬉しかった。
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☆ 詩 ☆ 「すてきな人たち」
どんなことだって
前向きに
考える人がいる
どんなに失敗したって
人のせいに
しない人がいる
いくらけなされたって
それをバネに
がんばる人がいる
そして
あなたに出会えて
よかったと
思う人が
いる
以上は、平成19年(2007年)の某朝刊に載った詩である。
(選者 新川和江 とある)
書いたのは東京都 足立区の15歳の女の子である。
「あなたに出会えて よかったと 思うひと」、つまり、
そう思った人、そう感じた人は、この女の子自身のはずである。
私たちが世の中で生きていく上で、
非常識極まりない人にあうことがある。
そんなとき、自分が生きていくのが嫌になったり、
人間を憎悪の対象としたくなったりする。
でも、「前向きに 考えるひと」や
「人のせいに しないひと」や
「それをバネに がんばる人」を見るとき、
やっぱり真面目にがんばってみよう! と想う。
人を元気にするのは、金メダルやノーベル賞の受賞だけではない。
15歳の女の子の書いた詩が、今日も私を元気にしている。
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小学生の時には、とにかく良く遊んだ。
私の家は小学校に近くて、家の玄関にランドセルを放り込むと
すぐ遊びにでかけた。
春にウスバシロチョウ(正式にはウスバアゲハらしい)が
現れる頃から、
秋に羽がボロボロになったヒョウモン蝶たちが姿を消す頃まで、
雨の日以外は小学校の裏山で昆虫採集をすることが多かった。
秋が深まると、山の斜面に深く堆積した落ち葉を使って
豪快にすべりおちる遊びをした。
冬には本格的にソリ遊びをして、
自分のソリ(父親の手作りだったが)を自慢した。
その他にもメンコや隠れんぼ、鬼ごっこや缶蹴り、
山に秘密基地を作ったり…
とにかくありとあらゆる物を使って真っ暗になるまで友達と遊んだ。
さて。
友達は遊びを終えて帰宅すると、
夕飯の前後に学校の宿題をやっていたらしい。
次の日に宿題をやってなくて後ろに立たされたり、
先生から無視されるのは、
たいてい私だけか、もう一人くらいだったから。
私は小学校の時に一度だけ宿題をやっていったことがある。
あの時、たった一度、たいそう担任の先生が褒めてくれた。
だから鮮明に覚えている。
今、勉強を教える立場になって思うのは、
例えば数学の苦手な生徒の根源には、
やはり算数の基礎学力の不足がある。
通分や小数の計算ができない生徒に、
いきなり応用問題を教えるのは難しいのだ。
数学の素質がかなりあるのに、である。
私は小学校の時に身につけるべき基礎学力の多くを、
何年も後になって自分でやる羽目になった。
それは非常に苦しかった。。。
当時、一緒になって遊んでいた仲間たちの現在だが、
学校の理科の先生、内科の医者、大手航空会社の整備マネージャー…
みんなとてもまともな大人になっている。
そして。
「一緒に遊ぼうぜ!」と誘いに行っても、
その都度、教育ママゴンだった母親が出てきて、
「うちの◎◎は勉強中だから先に行って」と、
いつも勉強をさせられていた友達は、
その後、地元の進学校から一流大学に入ったが、
就職することもなく、現在は引きこもりをしている。
学校から出された宿題だけはやるべし!!
そして、小学生の時は自然の中で大いに遊ぶべし!!
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塾の仕事に従事するようになって既に27年近くが過ぎようとしている。
始めた頃は20台(代?)後半だった私も、
今ではに50台の半ばに達している。
若い頃には可能だった熱血指導は、今は気力・体力的に出来ないが、
それに代わるもの・能力として「待つこと」が出来るようになった。
こと学力においては、
すぐに最短距離を進むことの出来る要領のよい子も居るが、
一つ一つ疑問や道草をはさんでから進んでいく奥ゆかしい子もいる。
どちらが良いとか悪いということはないが、
試験に強いのは圧倒的に前者である。
私自身はというと、
宿題は小学校の頃に一度だけやったことがあるだけという、
怠け者・愚図の代表選手で、
蝶採集の他はゴロゴロしていて本ばかり読んでいるような子だった。
でも一つだけ良いところがあった。(自分ではそう思っている)
それは今も変わらないが、いつも目標を持っていること。
目標に対する歩みは常に蝸牛のようにslowlyだけれども、
しかも要領も悪いので遠回りだけれど、
歩みをとめることはなく…それだけは長所だと思っている。
生徒たちの中にも、要領がわるくて、
ちっとも結果を出せない子が多くいるけれど、
そんなことを気にしないでほしい。勉強法は一緒に考えていこう。
自分で自分の限界を決めない限りは、つまり歩みを止めない限りは、
君たちが望んでいる自分をきっと実現できるから。
やがて分かる日が来る。
しんどいけど、この過程が生きるってことなんだなって。
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