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まもなく九月だからYahoo!ブログの投稿も終わるらしいですね。
自身の投稿も父の他界を境に滞ってしまい、再開出来ぬままにこれが最後になってしまった。
ブログ友さんたちの素敵な空間にも、ずっとお邪魔もせずに後悔ばかりです。
他のBlogへの引っ越しは今年中には完了したいとは考えています。
「湖池健彦」この名前でBlogは引っ越してもずっと続けます。
「ねこ物語」も必ず復活させて出版します。
父の死と還暦を経て、生活手段としての学習塾を完全移転させて、まったくのゼロから始めることにしました。
土地の購入を終えて、今は塾の建物の設計段階にあり、今年中には完成予定です。
今日は春に植えたバタフライブッシュにツマグロヒョウモンが吸密していました。
ブログ友さんのBlog名に変更なければ、いずれは訪問させていただきます。長い間、ありがとうございました!
昆虫ガールさん、元気でね^^
明日は東京国立博物館の三国志展を観てきます。
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十行だけの独り言
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「私の父」参
今日、泥だらけの車を GSで洗ってもらっている間に、置かれていた漫画を手に取った。
表紙の「プレイボール2」の文字が目に入ったからだ。
僕が中学・高校を通してずっと心の拠り所にした漫画だ。
作者のちばあきおは「プレーボール」を連載中に亡くなった、だから「プレーボールは」は未完のまま終わった。
「プレーボール2」コージィ城倉 原案 ちばあきお とある、
故・ちばあきおが描いている…と誰も疑わないタッチだ。
ちばあきおは生きていた。その作品の中にも生きている。読者の中にも生きている。兄のちばてつやの心の中にも生きている。
僕の父も生きている。いつか逢って話せる日が来るまで心の中で生きている。
この三ヶ月、末期癌の父に何をしてあげられるのか、それしか考えることが出来なかったが、今はもう何もしてあげられない。
涙をこらえて弔辞を読み上げてくれた娘のためにも、
最期まで生きようとした父の強い意志を受け継いでいくためにも、
僕がしっかり生きなきゃいかん。
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「私の父」弐
父は一箇月の入院を経て転院、終末医療の病棟に移って三日目だ。
頭には転移がないから、意識も思考力もしっかりある、しかし。
177cm 42kg の父の身体に毎日アロマオイルを塗布する私がいる。
俺のことはいいから、早く仕事に行けと私を気遣う父がいる。
まったく食事がとれない日には、私も食事が喉を通らない。
一椀のお粥を食した父を見届けた日は、私の足取りも軽い。
市役所一筋に勤め上げてやっと母と旅行にでも、そう考えた矢先に、市長に懇願されて商工会議所の仕事をやる羽目に。
任期途中で母が急性白血病であることがわかり、すぐに辞職。
母の前では笑顔を作り、毎日二人で病院に通ったね父さん。
二十年後の今、その役目は僕一人だよ父さん。
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「私の父」
二十年前、母が一年間の闘病の末に亡くなってからずっと、
九十歳になる父は、母の衣類など遺品を何一つ捨てられなかった。
先日。父が救急車で運ばれ、入院。先はまったく見えない。
家の中は無機質で重くて冷えた空気だけになってしまった。
胸が締め付けられ呼吸が苦しくて眠られない。寂しさの塊だ。
見もしない離れた部屋のテレビを付けっぱなしにしていた父。
深夜に仕事から帰る私のために外灯をつけて待っていた父。
「先に寝ていて良いからね、その方が嬉しい」と言っていた私。
横須賀の海軍で終戦を迎えた父は、戦後を真っ直ぐに生きてきた。
「奇跡はないのですか」昨日叔父が発した言葉を、今日は私が担当医に繰り返した。
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我が家は諏訪湖を見おろす東側の高台にある。
夕暮れ近くに更に高い場所から諏訪湖をみてみた。
少年の頃は西日が眩しいこの周辺で暗くなるまで遊んだ。
冬も春も、夏も秋も、何も考えずに精一杯に遊んだ。
急坂を駆け下りるのに足を送れずによく前のめりに転んだ。
膝から真っ赤な血が流れ落ちていても家には帰らなかった。
今も残る膝小僧の傷跡に想い出が刻みこまれている。
高学年になると一つ隣りの知らない里山にも出かけた。
少し不気味な古い建物の間の小径を通って帰ったことがあった。
泣きそうになったその懐かしい道を今日大人の私が訪ねてみた。
諏訪市にはこうした風情ある小径が多く残されている。舗装しないでほしかった。
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