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(大火砕流の流下域) 今日(3日)は東京都心では最高気温24.0℃まで上がり、汗ばむ陽気となりました。 東京都心で20℃を超えたのは4日ぶりです。 お昼は島原そうめんを美味しく頂きました。 ところで、今日はあの悲劇から丸20年が経ちます。 そう、長崎県島原市にある雲仙普賢岳で大火砕流が発生した日です。 雲仙普賢岳は1990年(平成2年)に198年ぶりに噴火を起こしました。 1990年の噴火は始めはさほど激しくありませんでしたが、翌年(1991年)になると急に 火山活動が活発化し、たびたび火砕流が発生するようになりました。 そして、ついに6月3日午後4時8分に大火砕流が発生してしまいました。 森林や179棟の家屋が焼失し、住民を守っていた消防員の方々や新聞社・テレビ局の方々などが 巻き込まれ、43人が亡くなりました。 大火砕流発生時のようす↓ http://www.youtube.com/watch?v=r0gFFJUsIrE その後、同年6月8日にも2回目の大火砕流が発生し、1人が亡くなって207棟の家屋が 焼失しました。 そして、同年9月15日にも3回目の大火砕流が発生し、218棟の家屋が焼失しました。 6月3日の大火砕流以降、島原市などに地方自治体は強制力を伴う警戒区域を設定したため、 最大1万1000人が避難生活を余儀なくされ、犠牲者は1人に抑えられています。 降り積もった火山灰は雨が降るたびに土石流となって、ふもとの家々に襲い掛かりました。 なかでも、1993年(平成5年)4月から8月にかけてはたびたび大きな土石流が発生し、 500棟以上の家屋が被害を受けました。 雲仙普賢岳の噴火活動は1995年(平成7年)に終息しました。 火砕流とは、火山の噴火に伴い、高温の火山灰やガス、岩石などが一団となって高速で斜面を 流れ下りる現象のことです。 その様子が雲のように見えるため、別名「熱雲」とも呼ばれています。 温度は摂氏数百度〜1000度、流れ下りる速さは時速100km以上に達します。 とても逃げきれるような速さでありませんね。 火砕流は高温高速で斜面を流れ落ちるので、破壊力が極めて高く、通過した地域のほとんどすべてを 焼き尽くします。 また、発生してから逃げるのは大変困難なため、火砕流は火山現象の中では最も危険なものの ひとつとされています。 火砕流に巻き込まれないために火山活動の状況によって火山災害予測図(ハザードマップ)を参考にして災害予測区域警戒区域や避難勧告地域に設定し、予め避難しておく必要があります。 雲仙普賢岳で起きた大火砕流は「大」という言葉が含まれていることから大規模な火砕流に思えますが、 実は火砕流の規模そのものでは、小規模な部類に含まれます。 数万年に1度発生するような極めて大規模な火砕流になると、その到達距離は火口から100km以上に 及ぶことも。 1902年にカリブ海に浮かぶ西インド諸島マルチニーク島のモンプレー火山で起きた噴火では火口から8kmある町が火砕流襲われ、逃げる間もなく市民2万8000人が全滅したという記録があります。 それは、わずか数分の出来事でした。 火砕流には・・・ ・火口から垂直に上がった噴煙の一部が降下したスフリエール型 ・溶岩ドームの爆発に伴うプレー型 ・溶岩の崩落過程で生ずるメラピ型 があります。 雲仙普賢岳の場合はメラピ型の火砕流が発生し、今年1月から活発な火山活動が続く霧島山・新燃岳 ではプレー型の火砕流が懸念されていました。 ところで、世界的に有名な火山学者クラフト夫妻がこの雲仙普賢岳の大火砕流に巻き込まれ、
亡くなっています。 世界中の火山を巡ってたくさんの映像を撮って、火山学の発展に大いに貢献してきました。 噴火の現場はあまりに危険すぎるので、学者でも近寄ることはできないのです。 だからこそ、クラフト夫妻が撮影した画像は今でも大変貴重な資料です。 雲仙普賢岳が噴火を起こした際にも駆けつけてきて報道陣と一緒に映像を撮影していたそうです。 そして、突然の火砕流に巻き込まれてしまいました。 彼らは生前「火山と一緒に死ねたら最高だ」とおっしゃっていたそうです。 クラフト夫妻が撮影した映像↓(一部異なるものも含まれています。) http://www.youtube.com/watch?v=0CC-4LsUXuI |
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