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9日の三重県は総雨量が400ミリに達する記録的な大雨となり、
県内全域に大雨特別警報が出されるほどでした。
私ごとなから、実はその1日前、7日から8日にかけては 伊勢志摩に滞在しておりました。
まさに間一髪といったところです。 あと1日ずれていたら、観光どころではなかったでしょう。 身動きすらまともにとれなかったかもしれません。 伊勢志摩の定番の観光スポットといえば、何と言ってもやはり伊勢神宮ですが、 二見浦の二見興玉神社もまた外せません。
神社内から臨む夕暮れの伊勢湾。 夏場ということもあり、ここから見えたのはせいぜい愛知県の渥美半島くらいでした… ただ、よく晴れて空気がピンと張り詰めた冬の日などには 遠くにうっすらと富士山が顔を覗かせることがあるそうです。
ちなみに今なお戦後最大級の台風と言われている伊勢湾台風はちょうどこのあたりを 通過して行きました。
縁結びや夫婦円満のシンボルとして有名な夫婦岩。 2つの岩が大しめ縄で結ばれているのは、沖合700メートルに 猿田彦大神にまつわる興玉神石が鎮まっていて、その神石を拝むための鳥居に見たてたためだそうです。
また、こんなものも発見しました。 何だと思いますか? ただの大きな岩ではありません。 実はこれ、誰もが一度は絶対に聞いたことのある名前の石なのです。 その石とは、さざれ石。 さざれ石と言えば・・・ 君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで 我が国の国歌に登場しますね。 君が代の歌詞には、天皇御代が長く長く続きますようにという 意味が込められており、さざれ石は非常に長い年月であることを表す比喩表現です。
さざれ石は漢字で「細石」と書くように、小さな石が長い年月をかけて 一つに集まって大きな岩(巌)となったものです。
改めて写真を見てみると、確かにたくさんの小さな石が固まっていますよね。 さらに、さざれ石の上に苔が生えるとなれば、それは相当長い年月を要することになるでしょう。 まだまだ台風シーズンはこれからです。 偶々旅行を予定していた期間と台風接近が重なってしまうこともあるかもしれません。 そうなった場合、確かに、なかなかない機会ですから、少し無茶をしたい気持ちは分かります。 しかし、大荒れの天候のなか無理に観光を決行するのは時に大変な危険を伴います。 潔く諦める勇気も必要です。 |
気象(その他)
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また航空事故です。。。
ちょうど1週間前にウクライナ東部上空でマレーシア機が 撃墜され多数の死者が出るという事故があったばかり。 にもかかわらず、きのう、台湾西部の澎湖諸島で台湾の復興航空機が墜落し 乗員乗客48人が死亡するという事故が起きてしまいました。 航空事故に遭う確率というのは統計的に見ればほんのごくわずかで、 毎日飛行機に乗っていても事故に遭うのは438年に1回程度なんだそうです。 滅多に起こるはずのない航空事故。 それが1週間のうちに二度もあるとは恐ろしすぎます。 さて、復興航空機墜落事故に関しては、当時の気象状況が 関与していた可能性が高いという見方が強まっています。 事故当時、台風10号が台湾海峡を通過しており、台風の中心付近の 発達した雲が多数ありました。 特に澎湖諸島周辺には雲頂温度−70℃以下という猛烈に発達した 積乱雲がかかっていたことが上図より分かります。 この積乱雲が何らかの悪さをした可能性があります。 その悪さとは? 考えられるのは2つあって、まずは激しい雷雨により見通しがきかなくなっていたこと。 視界不良により、誤った地点に着陸してしまった? あるいは、雨ではなく、ダウンバーストということも考えられます。 ダウンバーストとは、積乱雲下で起こる激しい下降気流のことで、 過去これが原因で着陸に失敗する事故が何度かありました。 ※たとえば、1975年にアメリカのジョン・F・ケネディ国際空港で起きた事故。 イースタン航空機が着陸に失敗し、乗員乗客124名のうち112名が亡くなりました。 この事故の原因はダウンバーストとされており、事故以降ウインドシアが 世界中で注目されるようになりました。 どちらなのかは生存者の証言を聞けば分かるでしょうが、 原因が何であれ積乱雲は避けるようにするべきでした。 積乱雲に近づくうえで怖いのは雷よりも気流の乱れです。 これに巻き込まれてしまえば、操縦が不能になるほど揺れます。 なので、積乱雲はとにかく避ける、これが大原則なのです。 日本では、気象が原因による航空事故を防ぐためにドップラーレーダーが 羽田空港や福岡空港など主要空港9か所に設置されています。 ドップラーレーダーは、降水分布や降水強度はもちろん、降水粒子の動き(=大気の動き)の 観測も行っています。 これにより、雲周辺の風の流れを観測することもでき、それでもし急激な風向、 風力の変化が解析されれば、激しい突風の危険性があるということで 危険空域の情報が速やかに管制官や、運航会社の運行担当者に提供されます。 これから夏休みに入り、飛行機を利用する機会も増えてくると思います。 空の安全を守るためにこうした努力が裏で日々行われていることを意識し 利用してみてはいかがでしょうか。 |
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エルニーニョ現象の発生が刻一刻と近づいています。 気象庁は10日、エルニーニョ監視速報で「5月はエルニーニョ現象もラニーニョ現象も 発生していない平常な状態を示しているが、エルニーニョ現象の発生に近づいた。 この夏は5年ぶりにエルニーニョ現象が発生し、秋にかけて続く可能性が高い」と発表しました。 では、ここで言う「近づいた」とはいったい具体的にはどのような状態なのでしょうか。 エルニーニョ現象はペルー沖の平均海面水温の基準値の差が0.5℃以上で、 その状態が半年から1年程度続くことが条件です。 このところの基準値との差は・・・ 3月 −0.1℃ 4月 +0.3℃ 5月 +0.6℃ というように右肩上がりが続いており、ついに+0.5℃を上回るようになりました。 しかし、だからといってエルニーニョ現象が発生したとはまだ言えません。 平均海面水温と基準値の差が、その月および前後2ヶ月の平均が+0.5℃以上であった時、 はじめて気象庁は「エルニーニョ現象が発生した」と発表するのです。 これはどういうことなのか、少し例を挙げてみます。 たとえば、仮に基準値との差が、6月が+0.8℃、7月が+0.9℃であったとしましょう。 すると、5ヶ月移動平均値は(−0.1+0.3+0.6+0.8+0.9)÷5=+0.5℃となり、 8月のエルニーニョ監視速報で「エルニーニョ現象発生」という発表があります。 ただし、エルニーニョ監視速報は、エルニーニョ・ラニーニャ現象の発生を速やかに 知らせるためのものであり、実際の定義とは少々異なります。 エルニーニョ現象の定義は、5ヶ月移動平均値+0.5℃以上の状態が6ヶ月以上続くこと。 したがって、確定するのは秋以降ということになります。 とはいえ、すでにこの夏から何かしらエルニーニョ現象の影響が出てくるかもしれません。 今、懸念されているのは、太平洋高気圧の勢力が弱く、梅雨明けが各地で遅れてしまうこと。 それにより、8月に入っても多雨や日照不足、低温が続いて、冷夏になる恐れも。 梅雨明けが遅い年というのは集中豪雨も相次ぎます。 ちなみに、世界の各気象機関も、かなり高い確率で エルニーニョ現象の発生を予測しています。 アメリカ海洋大気庁は、発生確率を夏が70%、秋が80%としています。 秋までにはほぼ確実に発生するといっても過言ではないかもしれません。 となると次、気になるのは冬の天候。 エルニーニョ現象が発生した年は、寒気の南下が鈍くなるため、暖冬になる傾向が強くなります。 絶対に暖冬になるとは限りませんが、1990年以降の冬はほぼ必ず暖冬になっているようです。 はたして来冬は4年連続寒冬続きに終止符が打たれるのか、それとも1977年のように エルニーニョでも大寒冬になるという例外パターンにあたるのか...まずは9月の寒候期予報に 注目したいところです。 |
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関東に住んでいる方なら誰もが一度は考えたことがあろう問題。 それは、埼玉は北関東に分類されるのか?それとも南関東に分類されるのか? 北関東というと、茨城、栃木、群馬で 南関東というと、千葉、東京、神奈川であることは ほぼ共通認識となっているのですが、埼玉だけは... 人によって考えた方は様々で、北関東ととらえている人もいれば、 南関東ととらえている人もいるようです。 それもそのはず... 埼玉は関東平野の真ん中にあって、何とも言えない微妙な位置に存在するのです。 実際はどっちなのか? 街中を見渡してみると、株式会社○○北関東支店、 ○○北関東工場といったように、北関東を名乗る会社や工場が 目立っています。 どうやら会社組織では北関東に区分されることが多いようです。 さらに選挙区も南ではなく北関東ブロックになっています。 しかし、一方で気象庁の「地方気象情報等で使用する細分地域名語」では 東京都(島しょ部を除く)、埼玉県、千葉県、神奈川県は、 関東地方南部と定義されています。 天気予報では、北ではなく南関東扱いされるわけです。 個人的な意見を申し上げると、 埼玉は地域によって北関東か南関東か異なってくると思います。 たとえば、所沢、さいたま、川口、春日部、越谷、草加などは南関東。 都心へのアクセスが良好ですし、気候は東京の多摩地域と似ているところが多くあります。 それに対し、久喜、熊谷、本庄、行田などは北関東。 こちらは都心よりも群馬の方が近いですし、気候も北関東要素が強いです。 夏場の雷日数を比較してみると、東京は約6日ですが、熊谷は約13日(前橋は14日)。 雷が多いという北関東の特徴がよく表れています。 また、東京以上に暑いことも多く、群馬の伊勢崎や館林と同じくらいの暑さ。 きのうの最高気温は、館林で36.3℃、熊谷で35.0℃と両地点ともに猛暑日となりました。 明確な基準がない以上、北か南かに区分するのは難しいかもしれませんね。 はたしてこの議論に決着のつく日は来るのでしょうか? さて、きょうも埼玉北部は“北関東らしさ”が出ます。
猛烈な暑さとなり、熊谷は34℃まで上がるでしょう。
2日連続の猛暑日となる可能性もあります。
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きょう6月1日は気象記念日です。 1875(明治8)年6月1日に現在の気象庁にあたる 東京気象台が創設され、気象観測と地震観測が始まりました。
これを記念したものが気象記念日なのです。 東京気象台が創設されると、その後も明治政府によって 全国に次々と測候所が作られていきました。
そして9年後の1884年6月1日には天気予報を発表することができるまでになります。 当時の天気予報は、各県ことではなく全国向けで、1日3回発表されていたのですが、 日本の技術だけではまだ不十分だったので、日本人ではなくドイツ人技師によるものでした。
その記念すべき第1回目の予報がこちら 「全国一般風ノ向キハ定リナシ 天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」 (風向きははっきりせず天気は変わりやすい。ただし雨が降りがち) いったい晴れなの?曇りなの?雨なの? あまりにもあっさりしすぎていますよね。 でも、よくよく考えてみてください。 この頃はまだ全国に観測所が20箇所ほどしかなく、 そこから得られるデータというのも気圧や天気、気温に限られてしまいます。
そんな乏しい観測網で天気予報ができること自体すごいことではありませんか? 当時の苦労を考えると、ほんとに頭が下がります。 では、一般市民はどのようにして天気予報を知っていたのでしょうか。 1884年からの数年間は、東京市内の交番に予報が掲示され、それを確認していたそうです。 やがて1892年6月15日からは、より多くの人に予報を 利用してもらおうということで、ある画期的な方法で伝えられていました。
その方法とは、旗を用いるというもの。 気象台の鉄塔などに掲げられた旗のかたちや色によって天気を表現していたようです。 それがどういったものなのか、表に示すとこのようになります。 (文部科学省 予報警報標識規則より) 旗の色を、晴れなら「白」、曇りなら「赤」、雨なら「青」、雪なら「緑」で表す。 さらに二色以上の色を組み合わせることによって天気の変化を表すこともできて、 たとえば晴れ時々雨なら「白」と「青」の二色で塗り分けたりすることも…
四色全てを用いて霧を表現するというのは面白いですね。 また、旗が見えない夜間はどうしていたかというと、 ランプを用いてその光の色で予報を伝えていました。
しかし、この画期的だった伝達手段も通信網や放送網が整備されていった 高度経済成長の頃には姿を消してしまいました。
今や伝達手段は多種多様で、テレビやラジオのみならず、 パソコンや携帯電話やスマートフォンからも予報を入手することができるようになりました。
いつどこにいても最新の予報を手に入れることができる… こんなこと130年前にはとうてい考えられないことです。
これだけ便利になったのだから、最大限に予報を活用しないと、
なんだか明治の人々に申し訳ないとさえ感じてしまいますね。
皆様はどのような手段で天気予報をチェックされていますか? ちなみに私の場合は、専ら気象庁HPですね。 |


