(以前の記事)落語

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娘のお下がり

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娘が”ipod touch”を買ったので、Walkmanが下がって来た。
これで音楽を聴くつもりはないので、落語をmp3に変換したものを50タイトルほど入れてみた。
これを聴きながら散歩をする。

とりあえず、六代目三遊亭圓生の「牡丹燈籠」から「栗橋宿」と「関口屋のゆすり」を聴きながら歩いてきた。
1978年、真打の粗製乱造に反発して落語協会を脱退した圓生が落語三遊協会を立ち上げ、その第1回独演会の録音である。

圓生、志ん生、正蔵がいない現在、こういう怪談噺や人情噺の大ネタを積極的に演じている一人に、桂 歌丸がいる。
歌丸と言うと、一般には笑点のメンバー(現在は司会者)としてのイメージが強いと思うが、大ネタの演じ手として貴重な存在なので、今後もがんばってほしいと密かに念じている。

小学館から「落語 昭和の名人」CD付きマガジンが刊行中。
隔週発売で全26巻、今年いっぱいの企画である。
落語ブームなどと言われて久しいが、昭和の名人たちの全盛期の録音が中心、本寸法のところに切り込んで来た企画であると言える。
登場する噺家は26人。
全て故人から選ばれていて、当然のことながら当代の談志、小三治、圓楽などは含まれていない。
東京の噺家中心だが、上方からは松鶴と、東京で活躍した小南が入っている。
これも健在の米朝は入っていない。
枝雀が入っていないのは残念だが、米朝が入っていないのに入れるわけにはいかなかったのかも。

巻数と人数が同じだが、1人1巻というわけではない。
1人2巻与えられているのが、
 志ん生、文楽、圓生、金馬、正蔵、小さん、馬生、志ん朝
の8人。
美濃部家だけで6巻というのはやっぱり凄い。

それにしても、第1巻が志ん生でなく志ん朝だったところにちょっと驚いた。
比較的若い聴き手には志ん生よりも馴染みが深いだろうとは思うが、志ん生から入った自分にはちょっと意外だった。

演目を見ると、それぞれの十八番を揃えている。
演目が発表になっているのは13巻まで。
最終巻が三木助になっているところに、最後は暮れの噺である「芝浜」で締めようという編集者の意図が見える。
今年の暮れは、三木助の芝浜を聞きながら旨い酒を呑みたいものである。
もちろん、夢にならないように。。。

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とりあえず、第1巻から
華があり、艶があり、何ともいえない色気のある噺家だった。
変な表現だが、自分が女だったら絶対惚れるだろうと思う。
口跡も良く、啖呵も切れ、誰が聴いても面白い、理想の芸と言ってもいい。

この本の中には、文楽が志ん朝を評して、圓朝を継ぐのは彼しかいない、と語っていたという面白い逸話が紹介されている。
圓生を買っていなかった文楽がそんなことを言っていたというのはとても興味深い話である。
圓生よりも志ん朝の方が上だ、という文楽の意思表示か?
一方、その圓生も志ん朝を非常に高く評価していたようである。

収録されている録音は、40歳前後の脂が乗り切った頃の録音で、やっぱりいいものを選んでいると思う。
これを聴いて面白くなければ、落語はあきらめた方がいいかも知れない。
あまり落語を聴いたことがないと言う人は、ぜひ一聴を薦めたい。
■夢金
「ああ、夢だった」という話は「鼠穴」「心眼」「夢八」「夢の酒」など数多い。
ここでの主人公は強欲な船頭だが、一面憎めないところがある人間である。
船頭が出てくる噺でも「船徳」は初夏の噺で、暑いというところの表現が必要。
こちらは寒い雪の夜であって、その寒さ、冬の夜の静けさまでを表現するのが芸の真髄だろうか。

■品川心中
客を客とも思わない海千山千の花魁と、間抜けな客が心中するという噺。
客は結局一人で海に飛び込む羽目になり、女は金が出来たので逃げてしまうというひどい話。
男は命からがら親分のもとに逃げ帰り、ドタバタのひと騒動があって、そこで笑わせて切る。
多くの録音と同様、志ん朝もここで切っているが、本来はこの先があり、女に仕返しに行くことになる。
「品川心中」は名作であるだけに多くの噺家が手がけているが、志ん朝のものが最高と言われているらしいが、この録音を聞けば納得。

第2巻は志ん生
現在、第4巻まで出ている。

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えー、面白くも何ともない話を一席。

なんか、落語ブームだそうですな。
そんなことはあるまいと思うんですが、お若いご婦人なぞが寄席にお出かけになるらしいんですな。
どうもテレビドラマなんぞの影響が大きいんだそうで。
ご婦人がたは流行に敏感ですからな。
ただ醒めるのも早いんで、噺家連中もあまり浮かれてるとロクなことはありませんよ。

あたくしなぞは昔からの落語好きですが、楽しみ方は何の変哲もないんです。
昔の名人上手の録音を繰り返し聞いて楽しんでいるだけ。
カビの生えたようなファンですな。

あたくしは志ん生や金馬から入りましたもんで。
金馬って、もちろん先代ですよ。
友達のうちにLPがありましてね、借りて聞いたところが、これが面白いの何の。
早く言えばバレ噺みたいなものでしたけどね。

それに昔はテレビでもラジオでも、落語番組がよくありましたもので。
志ん生や金馬はその頃すでに故人でしたが、円生、小さん、馬生や先年亡くなった志ん朝なんかの高座がしょっちゅう放送されていたんですから、今から思うと贅沢なもんですな。
黒門町の良さはそのころはわからなかったですね。ずっとあとになってからですね。
稲荷町の師匠も若い頃のを聞くといいですね。今では大好きな師匠ですよ。
当代の談志師匠なんか、あとから録音を聞いて凄さがわかりましたね。
あの頃は選挙に出てましたからね。本格的に聞く機会がなかったんですな。

今のテレビなんか、見るもんありませんな。
よくまああんな下らない番組を毎日毎日流して恥ずかしくないもんです。
たとえばですけどね、TBSなんか、昔の名人上手の高座のビデオを山ほど持ってるんです。
もったいないことですな。

そういうのは全部カセットテープに録音してあったんですよ。
ただね、これはあんまり保存にはいいもんではありませんね。
伸びちゃったり、からまって切れちゃったりね、随分ダメにしましたよ。
もったいないことをしましたな。

何年か前に、全部MDってやつに移したんですよ。
今200本以上のMDが手元にあるんです。
ところが、このMDというのも将来的にどうなるかわかりませんよね。

落語はそんなに音質を気にしないんですから、iPodとか言うデジタルプレーヤーに収めてしまうのがよさそうだと思ったんです。
iPod、まだ無いんですけど。
とりあえずパソコンに取り込もうと思ったわけです。

デジタルオーディオプロセッサーなるものを買って来ましてね。オンキョーのSE−U33GXPというやつです。
パソコンと、MDやアナログプレーヤーの間に接続するんですが。
パソコンとはUSBでね、MDやアナログプレーヤーとはピンケーブルでつなげるんです。
フォノイコライザーが入ってるんで、アナログプレーヤーが直接つなげるいう便利なもんですが、今の人はわからんでしょうね、この話。

パソコン側で録音するために、専用のソフトが付いてるんですが、CDドライブがおかしいのか、どうしても読み込めないんですよ。
しょうがないので、とりあえず「超録」っていうフリーソフトを使ってみたんですよ。
これでパソコンの中にMP3形式で録音してる所なんです。
まあ、今年中に全部できるかどうか、というところですけどね、そのうち携帯プレーヤーを買ってそっちに移そうと思ってるんです。
10Gぐらいで全部入っちまうんじゃないか、と思うんですけどね。

LPレコードも、これはほとんど全部クラシックですけど、1000枚ぐらいあるんです。
これもCDで持っていないものは、デジタル化した方がいいかなとも考えてるんですけどね。
ビデオなんかもっとひどいですよ。
うちの娘の子供時代の映像なんて、8ミリビデオですから、今じゃ再生できませんよ。
以前、DVDに保存も考えたんですけど、すでにDVDの将来性に疑問がありますからね、どうしろって言うんですかね。

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林家こぶ平が九代目林家正蔵を襲名する。
世間では好意的に受け止められているようだが、少し異論を唱えさせていただく。
こぶ平は、七代目(ななだいめ、ではない、しちだいめ)林家正蔵の孫に当たる。
その意味では、九代目襲名は筋論としてはおかしくはない。
七代目林家正蔵は名人だったらしい。
昭和の大人気噺家であった、林家三平はその息子である。
三平の落語は地噺といって、一般の古典落語ではない。一種の漫談に近いものである。
三平の芸は一種独特の名人芸であって、否定するものではなく、私も別に嫌いではない。

八代目林家正蔵のことを考えて見たい。
彼が、蝶花楼馬楽を名乗っていたころのことである。
先年亡くなった五代目柳家小さんの名跡問題があった。
彼は、若くして小さんという大きな名跡を継ぐことになった。
それには色々と、異論があったらしい。
ひとつは、「こんな大名跡を若くして継いで、うまくいかなかったらそのあとに継ぐ名前はない」ということである。
だが、これは本人の実力次第の問題であって、事実小さんは大看板(おおかんばん)になったのだから杞憂であったと言える。
もうひとつは、若い小さんよりも年も格も上の蝶花楼馬楽の方が、名前が格下だということであった。
馬楽にふさわしい、もっと大きな名跡はないか、という議論になり、七代目が亡くなって空いていた林家正蔵の名跡に白羽の矢が当たったわけだ。
かくして、蝶花楼馬楽は八代目林家正蔵を襲名する運びとなった。

今では「彦六の正蔵」として知られる八代目は、江戸っ子を絵に描いたような人物で、最もいい意味での頑固者で律儀な人物だった。
長屋に住んで、都電の定期で寄席に通い、プライヴェートでは定期を使わなかったという人物である。
「林家正蔵」という名前は本来、三平が継ぐべきものであり、自分は三平の家から借りているんだという意識を持っていて、いずれは返そうと考えていたのである。
ところが、想わぬことに自分より若い三平の急死により、そのタイミングを失った八代目は、数年間思い悩んだ挙句、この大名跡を返上したのである。
本来あり得ないことである。歌舞伎の世界で言えば、団十郎がその名を返上したようなもの。
本人曰く「名無しというのも変だから、何か名前をつけなければいけないと考えましたら、昔<彦六大いに笑う>という映画がありまして。落語家だから大いに笑うなんでいうのはとてもいいんじゃないか」
という考えで、初代林家彦六という名前を勝手に考えて名乗ったわけだ。
地位や名誉にとらわれない、「彦六の正蔵」のこんな考え方、生き方に共感する人は多いのではないだろうか。
このような経緯を踏まえても、こぶ平が九代目を継ぐことは、八代目の意思にも合っていることだし、別に異論はない。
でも、八代目の矜持を思えば、こぶ平は「自分はいまだその任にあらず」というのが本当ではないか。
確かに、最近のこぶ平は芸に精進していると聞く。
九代目襲名に備え、大きな噺にも積極的に挑戦しているという。
それはいいとしても、順序が逆ではないか。
本来、「この人はいい芸をもっているから、この名前を継がせよう」というのが筋であったはずだ。

惜しくも亡くなった二代目志ん朝を思い出してほしい。
一世を風靡した名人、六代目志ん生の次男であり、その実力は折紙付きであった。
大袈裟でなく、志ん朝こそ落語の歴史上最大の名人と言っても過言ではない。
もちろん、志ん生とは違う。志ん生は唯一志ん生であって並ぶものの無い存在であった。
しかし、志ん朝はまた唯一志ん朝だった。
志ん朝が七代目古今亭志ん生を襲名するという話ならば、どこからも文句の出ようのない、素晴らしい話だったはず。
ところが、志ん朝は継がなかった。なぜか。
志ん朝ほどの名人にして、父親である志ん生は余りにも大きな存在だった。真実、七代目襲名は怖かったのである。

こんな話がある。
志ん朝が死ぬ直前、談志と飲んでいる時、談志が「そろそろ継いだらどうだい」と水を向けると「兄さん(あにさん―談志のことをそう呼ぶ)が襲名披露の口上をやってくれれば」と半ば冗談で言った。
いい話に聞こえるけれども、裏がある。
談志は落語教会を飛び出した人物だから寄席には出られない。襲名披露の口上なんかできるわけがないのである。
それを前提にした話であって、婉曲に断ったわけである。

彦六の正蔵や志ん朝の志の高さを想うとき、こぶ平の九代目襲名を果たして祝っていいものかどうか、落語を愛する人は少し考えてみるべきではないか。

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