|
名言ず What's good?
わたしを除くと
ほかの人たちはみんな
わたしのしたことを、後からふりかえって見るしかない。
彼らに見えるのは
結果にあらわれたわたしの活動だけだ。
だが、わたしはいま行動しなくてはならない。
結果のことなど、わからないまま。
だから、わたしにとって自分の行動の意味は
ただ、可能性としてあるにすぎない。
「ぼくは、いま結果のことはさておき、これをやってみたいんだ」−−−
本当の意味は、いつもここからしか生まれない。
わたしのなかには
なにかを書きたがっている自分がいる。
なにかの理論をつくりだしたい自分がいる。
彫刻をしたがっている自分がいる。
人に教えたがっている自分がいる・・・・・。
自分をひとつの役割に押しこんだり
これが天職だと決めつけると
わたしの多くの部分が死んでしまう。
わたしにできるのは
今日一日をやすらかに迎えることだ。
わたしにできるのは
いまの一歩をふみだすことだ。
くりかえしを恐れず
新しい一歩をこわがらないことだ。
なにかをやりたいというのは、ひとつの欲望であり
頭のなかで行う作文ではない。
しかし、やりたいことを「決める」とき
わたしは自分の欲望を、頭のなかで作文して言葉におきかえ
その言葉にしたがって行動する。
このとき、わたしは欲望を自分のこころの内からとりだし
自我(エゴ)のなかに移しかえているのだ。
「自分はどうすればいいのだろう」と思うとき
いつもながらの答えが頭にうかんでくる。
そのとき過去から響いてくる声は、「いつもと同じようにしろ」と言うだけで
こころがどこにむかっているかを、うまく語れる言葉などないのだ、という事実は
すっかり無視されている。
自分自身であるということは
自分の身を危険にさらし
危険を承知で、新しい行動を起こし
新しい考え方や、あり方を試してみるということだ。
そんなふうにしてみることで
自分と手をとりあって歩んでゆく感じが
だんだんつかめてくる。
ものを書きたいと思っても
実際に書くことがともなわないなら
本当は書きたくないのだ。
冷蔵庫の前に立ってみて
おなかがすいているだろうか、と思うようなら
おなかはすいていないのだ。
「ひとりになる」というのは、へんな言い方なのかもしれない。
わたしにとって、ひとりであるとは
「ともにある」ことを意味している。
わたしと自然がともにあり
わたしと存在がともにある。
わたし自身が、ほかのすべてと、ふたたびひとつになる。
ひとりのとき
わたしのバラバラな心はひとつに結ばれ
怒りや恐怖で引き裂かれていた自分がひとつになる。
こうして、小さなことは小さなこととして
大きなことは大きなこととして
ありのままに見えるようになってくる。
ヒュー・プレイサー「わたしの知らないわたしへ」(抜粋)
よい一日をお過ごし下さい。
ぱぱ太
わたしのよいコトnews
よいニュースばっかりの投稿サイトです。
気分のいい一日をスタートできます。
http://news.yoikotonet.com/
友禅作家 大舘大さん なごみの燈です。
とてもなごみます。
http://yoikoto1.zg.shopserve.jp/
ぼーっとすることをおすすめするブログを書いています。
よかったら読んでみてやってください。
http://bo-nosusume.blog.so-net.ne.jp/2007-05-06-1
心友の「アントレプレナー塾」塾長 三丘 大詩(みつおか ひろし)さんのブログです
http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777/
信友のジョージDさんの楽園散歩ブログです。
http://ameblo.jp/rakuen358/
伸友の料理研究家・柿澤一氏さんのお料理ブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kaki8kaki8/32233119.html
|