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「家をせおって歩いた」
村上慧
夕書房
2017427
発泡スチロールの家をかついで歩き、国内を移動しながら生活する。
動きながら各地の民家の絵を書き留める。
その記録です。
パフォーマンスアートだと理解したら違うとか。
美術家村上慧の求める美術は私には分かりにくいです。
そこで自給制びアルバイトの多くは、基本的に人間性の否定で成り立っていることがわかった。
そこでは、それまでやってきたことや人間性や思想や信念なんか、まったく無意味なものになってしまう。職場でいかに他の人と同じように動くか、職場が定めた「ダンス」をいかに完璧に踊りこなすか、それだけが求められる。人と違う事をしたリ考えたりすると嫌われる。自分で自分に命令してなにかを制作したり、自分の通った足跡を見て、考えて、また次の政策に挑んでいくような作業は、まったくなんの意味も持たない。自分にしか基準がないものは、なにもやっていないのと同じだという「錯覚」を覚えこまされる。
8ぺージ
正直、美術家の上から目線を感じます。
ピアノを弾くときに太鼓のばちがいらないように、必要とされるものを理解するって常識じゃないかしらん?
美術家の話をしていたとき、彼が「その人たちはお金を稼ぎたくてやってるわけじゃないんだよな。俺なんか稼ぎのためにしか動けねえからな。何のために生きてんだろうなあ」といっていた。
166ページ
稼ぐために動けることは尊いことだと思うけどな、私は。
稼ぐことは生きることに直結するし。
この世界には、金を儲けたい、モテたいとかいうのを越えたものがあるんだ。好きでやってるわけじゃない。こんなのいつも辞めたいと思ってるし、それは「生きるのをやめたい」とあっという間につながってしまう。「奇抜なことをやって目をひいてる」とか「暇なんだね」とか「お金があるんだね」という人たちはいつもいるけど、そう思われることなんてはじめから分かってるし、言われるのが怖くないわけがないだろ。それでも歩kに方法が見つからな以上はやるしかない。だってやらないってことは、殺されるのと一緒だから。なんとか生き延びようとした結果、論理も体裁も空気も肥えて体が自動的に動き出す。しょうもない空気に負けて、自分がやるべきと思ったことをやめてはいけない。空気なんかぶち破ってイキがっていい。
240〜241ページ
「寒くないの?」とか「御飯は、お風呂は、トイレはどうしてるの?」としょっちゅう聞かれるけど、「いや。普通に生活してるだけです」と答えるしかない。「寒くないの?」と聞かれて「寒いですけど生きてます」としか答えられない。「重くないの?」もそうだ。「そりゃあ重いですよ」としか答えられない。だって家持ち歩いているんだから
。公衆トイレやコンビニのトイレを使ったことがない人なんているのか。スーパーで弁当を買ったことない人なんているのか。銭湯に行ったことない人や友達のお風呂を借りたことのない人なんているのか。
質問の内容は、その人の生き方や社会の在り方をそのまま表している。荒川修作はそれを「建築的身体」と呼んだ。荒川は偉大だな。彼の「徹底的に間違っているんだよ、人間の生き方は」というせりふは百パーセント正しい。彼が死んだなんて認めない。
249ページ
美術って例えれば地球上から塩を取り出すような作業だと思います。
岩塩のように一目で塩と分かるものもあれば、海水から様々な作業で作り出す塩もあります。
どんな塩になるのかは、それぞれ。
海水だと思って作業していたけれど、実はただの泥水で、水が蒸発した後に残ったのは、ただの泥。
塩なんてなかったなんてことの方が多い世界。
そちらで水遊びをしているように見えたのに後でキラキラと塩の結晶が輝いているとか。
美術は泥水をかき混ぜているのか、塩水をかき混ぜているのか、本当に分かりにくい気がします。
時の流れの中、人々の目に輝く結晶が見えるもの。
村上慧が美術家として目指すもの、人に示すもの、それが何なのか、私には見えにくいです。
ただ彼のこういう生き方、表現方法があること。
現代美術に思いを馳せた本でした。
目次
春 2014年4月5日〜6月13日
夏 2014年6月14日〜8月31日
秋 2014年9月1日〜11月30日
冬 2014年12月1日〜2015年4月8日
移住を生活する1〜182 2015年4月17日〜4月29日
あとがき
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読書
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第156回の直木賞と芥川賞の受賞作が発表されました(*^▽^*)
直木賞受賞は・・・・
恩田陸の「蜜蜂と遠雷」!!!
うれしいです。
直木賞と芥川賞受賞作は、毎回、一応目を通しています。
ミーハーなので・・・・。
でもでも恩田陸だから・・・
既に読了♡
図書館で借りたんですけど・・・。
基本、本は図書館で借りる主義です。
でもすっごく気に入って何度も借り出しするくらい好きな本は、購入。
恩田陸の本は何冊も購入しちゃってます♡
この「蜜蜂と遠雷」もすっごくよかったです。
とあるピアノコンクールが舞台。
正規の音楽教育を受けていない天才ピアニスト風間塵。
ピアニスト界のエリート街道まっしぐらのマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。
母親の死からピアニストとしての舞台から遠ざかっていた栄伝亜矢。
ピアニストとして歩むことなかった高島明石。
彼らをめぐる物語。
それぞれの人生とピアノとのかかわり。
一気に読みました。
正規の音楽教育を受けていないと、どんなに才能があっても排除されてしまう。
これは本当にあるらしいですね。
バイオリストの千住真理子とかもその被害にあったとか。
日本画家として高名な兄の千住博や、やはり作曲家として高名な次兄千住明が語っているのを聴いたことがあります。
そんな世界に一石を投じる・・・ではなく、劇薬を投じちゃうのが、今は亡きユウジ・フォン=ホフマン。
推薦状にはこう書かれています。
皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。
文字通り、彼は『ギフト』である。
おそらくは、天から我々への。
だが、勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『厄災』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
そして、当のカザマ・ジンには、ユウジ・フォン=ホフマンはこう語っているのです。
「音楽を外に連れ出しなさい」
と。
今は便利ですね〜。
YouTubeで、バッハだろうとラフマニノフだろうと、聴きたい音楽がすぐに聴けます。
小説の中の課題曲を聴きながら、私もコンクールを体験したような気分になりました。
そして、大阪クラッシックで大植英次がよく言う
「敷居は低く、格調は高く」
という言葉を思い出しました。
はたして、音楽を外に連れ出すことが出来るでしょうか?
ちなみにドイツ語でギフトは”贈り物”という意味と”毒薬”という意味もあるそうですね。
推薦状はそれを踏まえているんですね。
それを私が知ったのはボーカロイドの初音ミクの「眠らせ姫からの贈り物」という歌でした。
♪眠りなさい、このギフトで
よく眠れるギフトで
・・・・・
とてもよく効く薬なの。
永遠に眠れるほどよく効くの ♪
時々、口ずさんじゃう自分が怖い・・・(-_-;)
それにしても・・・。
恩田陸が、直木賞を受賞して本当にうれしい!!!
133回直木賞の候補に「ユージニア」があがったときには、もう受賞は決まった!と思ったのに・・・。
134回直木賞の候補に挙がった「蒲公英草子 常野物語」は本当に素敵な作品で、すっごく好きな作品で、読んでいない人がいたら、このシリーズ第1作の「常野物語」と合わせて絶対読んでほしいと熱く推薦しちゃう。
140回直木賞候補の「きのうの世界」、146回候補作の「夢違」、149回候補作の「夜の底は柔らかな幻」。
そして、今回の「蜜蜂と遠雷」。
直木賞受賞!!!
おめでとうございます\(^o^)/
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今や日本を代表する芸術家の村上隆の「芸術闘争論」読みました。
表紙は彫刻作品の「Jesus」。
ジーザス?
イエス・キリストでしょうか?
なんか知らなかったけれど、今の季節にぴったりの表紙の本を読んでいたんですね、私。
賛否両論、毀誉褒貶が激しい人です。
見た目もちょっと胡散臭いブローカーのよう。
(見た目で論じちゃダメ!)
題名も題名だし、さぞとんがったことを言っているのだろうと思ったのですが・・・。
意外にも直球。
もちろんバッリッバリに芸術を多方面から論じています。
でもまっすぐに正論。
”理解者を得ることは難しくない”という章では、こんなことを書いています。
仕事にもピラミッドがあります。
若い人は下の方からのスタートです。
やる気がある若い人がいると、真ん中くらいの人が、この子にまかせてみようというので、製作費も含めてふじょうしてくるわけです。
そこで頑張っていると、さらに上の人がおもしろいねと引き上げてくれようとします。
信用を得てはじめて上の仕事ができます。
ぼくのつきあっているその若い人の場合、その局面でさきほど述べたような社会性がネックになってしまったわけです。
ところが、自由神話では大人が悪いとか、社会がダメだということになっています。
彼らの仲間の中では時間を守らない、人の言うことを聞けないという行為は是とされます。
彼のやっていることこそが社会との戦いである、もしかして。そのように思っているのではないのか、これは本人にもそう言いました。
こういう若い人はいっぱいいます。
もちろん、ぼくも年をとっているので「いまどきの若いものは」という感じがあるかもしれませんから一方的にぼくの言っていることが正しいとは思いません。
けれど、冷静に考えてみてください。
とにかく無節操に自由でいたい。
人の顔を潰そうが何しようが自由がいちばん。
社会構造を理解するより自由な立場を優先したい。
しかし、うまい話にはのりたい。
のっても、その旨い話を自由気ままに好き勝手にやりたい。
それは出来ない相談です。
しかもキャリアも成功例もそれほど持ち合わせていない。
それなのに、どうして自分のいまの社会的立場を理解しようとしないのか。
それは、そういう訓練を受けてこなかったし、仲間内でも社会に馴染まないことが正義という共通理念が発行熟成してしまったからかもしれません。
「可哀相」「そこまでいわなくても・・・」。
その通りかもしれません。
しかし、自分を知らないといけない。
なぜ、何も実績をあげられていない若者が最初から無節操な自由を手に入れられると思えるのでしょうか。
大きな企画をネゴシエートするというのもやはり信用が必要です。
その時は学歴よりもどういう仕事をしてきたかという実績が問われます。
引用がながくなりました。
これ、芸術の世界だけでなく、すべてのことに通じると思うのです。
著者も「日本式企業経営の話のように聞こえるかもしれません」と言っていますが。
すごく大切なことは、やはりどんな世界でも変わらないのだなと、ちょっと感心しました。
目次
まえがき
芸術とは何か
京の芸術
日本のアーティストよ出でよ
第1章 今日のアート 情況と歴史
美術、アート、芸術、横文字の「ART」
「西欧式のART」とは何か
現代美術作品はなぜ高いのか?
芸術のための芸術
芸術の貧困
ゴッホ、貧芸術の象徴
「芸術は貧しいものである」という正義
日本芸術神話解体
ダミアン・ハーストの栄光
流通する芸術
ピカソは天才か?
ピカソ以降
中国のアート
ARTのルール
言葉なんか待っていられない
自由な不自由
アーティストは行動する
歴史はどう学ぶか
第2章 鑑賞論
『現役美大生の現代美術展』という実績
洗脳解除
芸術は難しい?
現代美術の最先端
鑑賞の四要素
現代美術のゼロ地点
「描かない絵画」の発明
「便器でもアート」「描かなくてもアート」
『バクマン』と現代美術
視線の誘導
自身による村上隆
フォームの発見
日本抽象芸術の夜明け
もっとも民主的なアート
コンテクストの違い
MADはART?
個性は作られる
日本アーティストはなぜ少ない?
第3章 実作編
絵を作る
コンテクストと個性
私は知らない。私は知っている。
天国のお花畑。
727
高度な絵画、幼稚な絵画
本当のアートとは
純粋な芸術はあるか
お金をかけないと良い作品は作れないか
どこに出せばいいか
大きさが大事
心の救済
何を作ればよいのか
作品ににじりよる
第4章 未来編 アーティストへの道
日本のロウアートマーケット
アートの地政学
アーティストになるには
日本と海外の優劣
アーティスト志願
美大受験の現在
予備校教育の罪と罰
GO TO Chelsea!
日本がダメなら絵画は
海外美大進学
学校と教育
プロトなるには
ギャラリーを選ぶ理由
画商というお仕事
職業としてのギャラリー
エージェント
カイカイキキ哲学
アーティストのオリジナリティ
自分を掘り下げる
学歴は必要か
年齢と芸術家
A級になるには
ウォーホールの戦略
密室の評価
展覧会の画
勝負のわかれ目
理解者を得ることは難しくない
肉親を説得しろ
日本画という不幸
人生は短く、芸術は長い
あとがき
『芸術起業論』以降のARTシーン
『芸術起業論』→『芸術実践論』→からの『芸術闘争論』へ
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現代美術の旗手、会田誠の著書です。
「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」
会田誠
幻冬舎
題名からして、ロリコンじゃないかと思わせます(^_^;)
私が、会田誠を知ったのは、大阪の国立国際美術館で公開制作されていた「滝の絵」でした。
この公開制作については、この著書でも”公開制作はもう嫌だ”という章で、触れています。
公開製作中に「ルノワール展」(2010年)があり、ルノワール展帰りのオバチャンにじろじろ見られ、調子が狂いっぱなしだった・・・みたいな。
「ルノワール展」は、男女比1対4くらいで、ほとんどオバチャンだったとか。
・・・・。
ええ、ええ、オバチャンで申し訳ないですね〜。
「ルノワール展」見ました。
大挙して押し寄せたオバチャンの1人です。
そして、公開制作中の「滝の絵」見ました。
でも1965年生まれのあんたより年下じゃ〜!!
・・・なんて(・_・;)
まあ、私は残念ながら「公開制作中」という看板と描きかけの「滝の絵」を見ただけで、会田誠が製作中の姿は見ることが出来なかったんですが(^_^;)
この滝の絵、スクール水着の女子中学生40名ばかりが、滝のある渓流で、水遊びに興じているという絵です。
これまた本の題名ではないですが、ロリコンかい!という突っ込みを入れたくなる絵です(^_^;)
でも本人がエッセイに書いているように、ぶっちゃけそれは「南アルプス天然水」のテレビCM(2010年当時)。
さわやかなイメージ。
その後も、国立国際美術館を訪れる機会があり、気が付いたら絵は完成していました。
で、私の中では会田誠=「南アルプス天然水」、つまりちょっとロリコンっぽい爽やかな絵のイメージでした。
それが・・・。
2012年11月17日から2013年3月31日まで森美術館で「会田誠 天才でごめんなさい」展が開催され、東京のみで巡回することがなかったので、実際に見る機会がありませんでしたが、テレビの「ぶらぶら美術博物館」で紹介されて、初めて他の作品を知りました。
で、びっくり。
HP
え???
けっこうえぐい・・・。
そうかと思えば、おにぎり仮面みたいなゆるキャラ(?)めいた作品があり・・・。
なんだか、イメージと違う・・・。
そして、別の機会で会田誠に触れる事がありました。
インターネットで、皆のお気に入りの絵画を貼っていくトピみたいなのがあり、フェルメールもあれば横尾忠則もある、と、様々な絵画が紹介されていました。
その中で会田誠の絵が貼られ・・・。
「何!?これ」
「女性が多いトピにこんな絵を!」
と、皆からすごい拒絶。
速攻、削除されていました・・・。
そのトピの利用者は、30代40代の女性が多かったというのもあると思うんですが・・・。
「会田誠ってエログロの絵で有名な人みたいですね」
「なぜそんな人の絵を・・・」
みたいな反応でした。
そのトピで削除された作品は会田誠の作品のみでした。
一定の層からは強烈な拒否反応を食らう作品。
ある種の嫌悪感を感じるかもしれません。
確かにインパクトがあります。
私に作品の良しあしをあれこれ言うことは出来ません。
が、私は好きな作品です。
確かにエログロ的な作品も多いですが。
なので、この本を読んでみました。
作品が好きでも、共感できない思想も多かったです。
それはヘンクツというものではない?みたいな。
でも共感できる部分、共感できない部分も含めて、読んで良かったなと思います。
ピンクの蛍光ペンで書きこまれた落書き。
なんとなく会田誠の画家としての矜持を感じます。
特に好きだったのは、”藤田嗣治さんについて”と、”ダーガーになれなかった/ならずにすんだ僕”。
特に、”藤田嗣治さんについて”で、藤田嗣治と奈良美智の少女の絵の共通項について書かれているところ。
藤田嗣治も奈良美智も好きな画家ですが、考えたこともなかったので、言われてみれば!と、大いに納得。
やっぱり会田誠の展覧会、見たかったな〜。
関西でもやってくれないかな〜。
帯より
前代未聞!!
著者による落書き入り
エッセイも天才でごめんなさい。
アーティストの日常から語られるアートの最前線、日本のアートが根源的に抱えている問題、社会通念に対する強烈なアンチテーゼなどが万華鏡のように語られ、読みはじめたら止まらない、名分の誉れ高いエッセイ集!!
この本自体が作品です。
乳房とは「無常」である―。
人間の女性の乳房にはもっと高次の存在意義がある。
なかんずく少女の膨らみかけた乳房には、ただ単に性欲を喚起するような銃声を超えた、神々しいばかりの美を動物ならぬ人間ならばそこに認めるはずなのである。
それをロリコンの一言で括って排除する者は、人間の中の銃声と共に、聖性をも掃き捨てようとしているのだ。
―本文より
目次
はじめに
「まずは『星星峡』連載のエッセイを・・・・」
北京でCM俳優をやった件
僕のみみっちい「ユリイカ!」
霞の中のジャンボ旅客機・・・・
北京で憂国
美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか
公開制作はもうイヤだ!
俺様ファッション全史
二十歳の糞作品
リトアニアでの展示―僕の本職の一例
ついに水槽の話まで・・・・
僕の死に方
ただ、なんとなく、赤提灯が作りたくなっただけなんです・・・・
提灯・結果
「次に色々な雑誌に書いたものを・・・・」
大いなるイラスト
もっとラディカルであれ
藤田嗣治さんについて
ダーガーになれなかった/ならずにすんだ僕
よかまん
「ウェブ連載『昭和40年会の東京案内』より・・・・・」
中央線が嫌いだった
東京のアート?
東京改造法案大網
「最後にオマケとして、僕の初連載エッセイ《Vinta!》の『れっつ!ネガティブシンキング』を・・・・・」
情熱について
オマエは大学に行くな!
嫌われてけっこう!
国際人はそんなに偉いのか
英語できない自慢
メキシコの話
あとがき(に代えて)
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「モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん 修復家・岩井希久子の仕事」
名画も年を取れば病気になります。絵を蘇らせてきた名医が語る修復の現場。
美術出版社
(2013年6月15日)
読書ネタです。
表紙がモネの睡蓮。
モネ、ゴッホ、ピカソも修理した・・・なんて言われたら読まずにはいられません。
岩井希久子・・・さすがに知らないなぁと思いましたが、テレビの「美の巨人たち」の山下清の回で修復時の話をしていた女性だと読んでいて気が付きました。
またNHK「プロフェッショナル」シリーズにNHKで2010年11月22日取り上げられていたんですね。
見ていなくて残念でした。
美術館めぐりは好きだし、もちろん美術展も好きです。
何より絵画が好き。
その修復に携わる仕事について語られた本です。
絵というのは、目に見えない汚れがどうしても付着するものだというのは、素人の私にもよく分かります。
でもそのクリーニングに、もっともオーソドックスなのが唾液を使うなんて、
「おいおいっ、まじっすか!?」
って、つっこみを入れたくなります(・_・;)
この方法が修復の技法としては基本・・・。
唾液、凄い。
修復されていない絵画は、めったになく、そして修復によって絵のオリジナリティが、失われていく・・・。
裏打ち、ニス・・・etc
そんな中、絵画にやさしい修復を目指す岩井希久子の姿勢は、素晴らしいと思います。
以前、カラバッジョの行方不明の絵画「キリストの捕縛」の発見に至るまでの本「消えたカラヴァッジョ」(ジョナサン・ハー)を読んだことがあります。
発見者が絵の修復をしたのですが、昔ながらの修復にこだわって、絵に虫がわいた(-_-;)という・・・。
せっかく発見された絵画がぁ・・・!!!
もちろん、すぐに新たな修復がほどこされたそうです。
(虫がわいたのを見つけた時は(虫のせいで)「絵が動いた!?」と軽いパニックがおこったそう)
やはり修復というのは、その時の最新のやり方がいいのでしょう。
ショックだったのは、岩井希久子が指摘する日本の美術館の現状です。
日本の美術館には基本修復部門がない。
つまり絵がどれだけ劣化しようと、放置・・・!
えぇぇぇぇ!!!(;O;)(;O;)(;O;)
大阪の美術館は、どうなんだろう・・・?
私の大好きなモディリアー二の「髪をほどいた横たわる裸婦」とか大丈夫か、心配です。
モデリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」画像
何度もとん挫している大阪市立近代美術館で展示予定なんですが・・・。
今現在、どんな風に保管されているのでしょう(;O;)
岩井希久子は日本の美術館のあり方を”うつわ行政”って批判していますが、大阪市立近代美術館はその”うつわ”すら出来ていないという・・・(;O;)
大阪市立近代美術館
HP
目次
まえがき
第1章 さまざまな「病気」にかかった、名画の修復
ゴッホ《ひまわり》の修復
異なる運命をたどったふたつのピカソ
コラム 修復の道具とは?
修復家への道のり
多忙な日々の始まり
コラム 油絵の修復とは?
第2章 世界でいちばん絵にやさしい修復を目指して
自分らしい修復とは? 地中美術館のモネ
現代アート、セル画、多彩な表現に挑む
かつてない修復方法に挑んだ山下清の貼り絵
コラム 紙作品の修復とは?
修復を通じて感じた日本の美術館の問題
芸術の意味を再認識した絵との出会い
シベリア抑留体験が描かれた作品
コラム 作品のコンディションチェックとは?
対談 宮本信子(俳優)×岩井希久子
対談 秋元雅史(金沢21世紀美術館館長)×岩井希久子
コラム 「低酸素密閉」とは?
第3章 未来へ託す「タイムカプセル」をつくりたい
ベトナム絹絵修復プロジェクト
福島で発見された絵をめぐって
コラム 身近にある絵の保存方法とは?
あとがき
本書で紹介した美術館
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