|
ハウステンボス
お正月
バレンタイン
お兄ちゃんになりました
大好きな河川敷
毎年行った宮崎シーガイヤリゾート
お誕生日
数え切れない旅の行き先
お伊勢さん 高千穂峡
雲仙でのんびりし過ぎて船にギリギリ飛び乗った
素敵な太郎のカレンダー
良い顔でモデルしています
病気になる前後はイヤーフリンジが貧弱でしたが
手術して難病の治療後2年ほど経つと
イヤーフリンジが伸びてきました
身体に栄養が行き渡り投薬はあるけど
健康に近い体調になった
おかげでたくさんの旅の思い出と
楽しい日々を送れました
幸せな太郎でした
|
全体表示
-
詳細
|
太郎は命にかかわる難病と闘った
本来の病気、リンパ球形質細胞性腸炎・リンパ拡張症
そして自己免疫を攻撃する免疫疾患 ステロイド・炎症性腸炎薬と免疫抑制剤の3種の薬を服用
ステロイドと免疫抑制剤は相反する効能があり最良の効能とする為
主治医の絶妙なさじ加減が必要だった
絶妙なさじ加減が出来る主治医のおかげで8年間生きた
この難病は発症して3頭に1頭はすぐ命を落とす 手を尽くしても2年ほどが命の限界と聞く 太郎が生きた8年の間には命にかかわる危機も何度かあった 闘病開始後1年から2年の間は数値が安定せず
「生きられないかも・・」と考えた事もあった
でも太郎は一生懸命ご飯を食べて必死で生きようとする姿を見せた
「ママ、生きるよ僕!」って強い生命力を感じ
命をあきらめかけた事を心から反省して太郎に謝った
そこからは一生懸命太郎が生きる為に出来る事は全てやり切った
病院の指示通りの食事、投薬、既定の通院等々守り切った
そして、幾多の困難をも乗り越えて
奇跡のごとく8年も太郎は生きた
太郎が「もう限界なんだ〜」って・・
2018年2月初めにおう吐した
闘病8年目とうとう本来の病気に薬が効かなくなってきた
4月にはステロイドも免疫抑制剤も効かない
それでもまだ「もう少し頑張る」・・って
ご飯も手作りに変わった最初は食べたけど次第に偏食に・・
少しでも心配させないように元気そうにしてた 旅立つ2週間前まで頑張った
命の炎が消えるまでのカウントダウン
旅立つまでの予定
3月末に行くはずだった大好きな宮崎の旅のかわりに
4月22日京都1泊の旅に行った
10年間お世話になった「プリンセスファンタジー」で最後のシャンプー 「きれいにしてくれてありがとうと」伝えに 宿にチェックインまで時間があるので「京都御所」散策した 4月29日パピヨンのオフ会「貴族の祭典」に参加
山梨のちゃちゃ家、大阪の姫家が会いに来てくれた 5月3日雨だったけどたくさん遊んだ河川敷へお別れに 誰もいなかった!カートでぐったりだったけど「ママ降りる!」 河川敷で遊んだ土の感触を楽しんだ♪
この日娘と孫が太郎に会いに来た 5月4日目が離せないので移動ベッドの為にコストコに頑丈な段ボール確保 5月5日朝一番に今日は太郎の誕生会だ! 長く会わなかった長男にも会えた!
全部クリアした太郎〜全ての予定をやり切った
思い残す事は何も無い
5月6日朝、食卓の下で行き倒れてた
ベッドから降りて動いたけどベッドまで帰えられなかった様子 昼には娘と孫達がまた見舞いに来た(見舞いと言っても遊びに来て騒いでる) 娘は太郎の為に食事用スタイや洗浄綿等便利グッズ持って来た
太郎は騒がれたり追われるのが嫌で1階に避難
孫たちも散々遊んで帰り静かになって夕方シリンジで5㏄の栄養補給 この日は口からこぼして飲むのを拒否! こぼれた液体で体毛が汚れたので洗面所で部分洗いして
久しぶりにドライヤーしてブラッシング
見ると目やにが固まりカピカピなので食卓にバスタオル敷き 太郎を寝かせて目やにとか他も念入りに隅々まで綺麗にした
お布団に寝かせて2時間後・・
体調を崩して3カ月・・5月6日10時過ぎ
傍にパパが居たけど息を引き取った事すら分からないほど
太郎らしい静かな最期だった
パパが「太郎が・・・」って声で駆けつけると まだ身体は温かかった
心臓マッサージと思ったけど パパが「逝かせてやれ・・・」って
大声で泣いた、喚いたと言っていいかも
太郎は3㌔位の体重だったけどもう2㌔少し位まで落ちてた
細く小さな身体から温かさが無くなり冷たくなるのは早かった
息をしないけど顔は生きているように安らかで
目が半分開いて輝きを見せてる〜「生きてるよね」と思うほど・・
動画を撮った生き返りそうで・・あり得ないのに・・
もう痛いおもいも苦しい思いも、薬も飲む事無くなった
太郎を抱きしめて一緒にいた愛おしく優しい長い時間が
最後の苦しい時を包んで安らかに逝った
声も出さず息も静かに
蝋燭の炎が静かに消え入るような最後
太郎が難病でも生き抜いた事はかけがえのない奇跡!
難病であっても歩んできた太郎の生涯に悔いは無い!
ママも太郎の為に出来る全て全力で惜しむ事無くやり切った!
深い愛情で太郎の生涯と向き合い悔いは無い!
そして、同じ世界にもう生きられない事を少しづつ教えてくれた
『僕の心臓の鼓動がもうすぐ止まる事を受け止める心の準備しておいて!
僕は逝くけど悲しまないで、旅立っても傍にいるって事!』
太郎が少しずつ教えてくれてたから
太郎の亡骸を抱きしめ凄く泣いたけど・・
旅立っても慌てなかった
太郎ありがとう
ママは幸せだった〜今もね
(2019年5月6日太郎の一周忌から)
太郎へママからのyahooブログ最後のメッセージ
2018年8月31日
|
|
たくさんの想い出を残せましたありがとう
僕パピヨンの太郎
![]() 2007年12月16日ブログ開設 太郎の日々の記録として始めました
太郎は2018年5月6日旅立ちました
享年11歳11ヵ月11日
2019年8月31日
Yahoo!ブログでの太郎家の記録も完了
12年間 楽しい事、悲しい事、喜怒哀楽書きこみました
yahoo!
ブログに出会えてよかった! 書庫にあるように「太郎の日記」をふだん更新し
大好きな河川敷でいっぱい遊んだ
「太郎の旅日記」では北海道から九州まで全国に旅しました
鹿児島県
北海道
「太郎の通院記録」では難病と闘う日々を残しました
病院のモニターで
太郎最後の日が近づき「太郎の介護日記」を書き
「太郎カレンダー記録」ではプロのカメラマンが撮り
太郎家の記録がyahooブログに
ずっと残せると思っていたけど
本当に残念です
たくさんの友達に出会い
多くの場所を訪れる事で想い出も増えました
ブログのおかげで折れそうな気持の時も支えになりました
ほんとにありがとう
忘れないよ
さようなら
ありがとう
Yhoo!ブログ!
|
|
僕パピヨンの太郎です
太郎は2018年5月6日旅立ちました
享年11歳11ヵ月11日
序章
太郎が生きられた奇跡の物語
太郎が生まれたのは2006年5月25日
奇跡その1
太郎が生まれて来た事
奇跡その2
犬アレルギーがある娘が初めて小さなパピヨンと出会った
太郎だけアレルギー発症しなかった事
奇跡その3
アレルギーが起こらない事で学生の身分にもかかわらず
世界で太郎だけが家族として家の子になった事
奇跡その4
太郎はまったく吠えない子
生涯吠えた声を聞いた事が無い
(余談ですが:数年前のお盆の真昼間に泥棒がベランダに侵入
気付いた太郎がこの時は吠えた!パパを守ろうと必死で吠えた
勇敢な太郎の行動にパパも怒鳴って撃退した)
いつもはとっても大人しく穏やかな子ですが
そして、犬だけど身振り手振りで器用に意思疎通ができる事
奇跡その5
2010年10月満4歳の時命にかかわる病気を発症
リンパ球形質細胞性腸炎・リンパ拡張症・免疫疾患と診断されました
発症して3匹に1匹は亡くなり、手を尽くして療養しても2年は生きられない病気ですが。亡くなるまで8年間太郎はステロイドと免疫抑制剤、炎症性腸炎薬を名医の院長が絶妙なさじ加減で太郎は生きてきました。発症時は嘔吐、吐血、下血等があり何もしなければ4カ月の命と言われました。吐血下血の日は休診日で箕面救命救急病院へ駆け込みプリンセスファンタジーのオーナー夫妻の友人の獣医師がたまたま当時勤めていてタンパク漏出性腸炎と診断。しかしタンパク漏出性腸炎はリンパ球形質細胞性腸炎を含め7種程病名があり開腹手術で病理検査をして病名の特定しないとピンポイント治療が出来ずやはり命を落とす可能性があると聞かされ手術お願いしました。しかし開腹手術にはアルブミンが低すぎて腸を切除してもボロボロで縫えない!そこで輸血による一時的にアルブミンをあげる治療で手術が出来る事になったけど・・次は輸血ドナー犬探しになりました。ドッグトレーナーの犬舎や保護犬舎や河川敷色々とビラも配りましたが無理でした。ちょうどブログを初めて2年でしたが、関東のパパパパパピヨンズのメンバーが一斉に「太郎のドナー探し」を記事にしてUPしてくれました。パピヨンは小さいのでパピヨンズの数人のメンバーに大型犬の知人がいて幾人かの方を経て信じられない奇跡です、病院の裏の方に行きつきボーダーコリー2匹紹介してくれました。多くのパピヨンのメンバー犬友の応援、支援のおかげで
8年も生きる事が出来ました。
1冊の本が書けるほど奇跡のパピヨン太郎です。
太郎が8年生きた事が奇跡なんです。
いくら頑張っても一人では太郎の輸血ドナーは見つからなかった
ブログから繋がったyahoo ブログのお友達
パピヨンズのメンバー
身近に気にかけてくれる河川敷のお友達
あたたかい絆に感謝
本当にありがとう
太郎が生きた奇跡の8年をありがとう
一緒に過ごした11年間は宝物
どんな宝石よりも輝く太郎
太郎は宝物 |





