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ケン・ローチのカンヌ映画祭パルムドール受賞作。安易な感動すら許さない、というか、映画による
感動という以上のものを我々に突きつけるような映画だ・・。
底流には、作家の「怒り」がある。そしてリアリズムの背後には何故か「やさしさ」がある。
ケン・ローチはなんと奥深い作家なのか・・と思う。
個人的に言えば、ケンの映画の中で僕は『レディーバード・レディーバード』が一番好きだ。
その他『リフラフ』名作『ケス』最近の『やさしくキスして』など、好意を持っている作品は
目白押しである。
『カルラの歌』や『大地と自由』などの戦争を扱ったものよりも、市井の人の怒りや、
生きていく上での矛盾を描いたような作品が好きだ・・。
左翼的だとかなんとか言われようが、社会的弱者に注がれた眼差しの徹底したリアリズムと相反するような暖かさに包まれた、その作風・・、僕が敬愛してやまない映画作家である・・。
今回のこの『麦の穂・・・』は、アイルランドの独立戦争を真正面から描いていると聞いていただけに、
どのようなものになっているのだろうと思っていたが・・・、これがなんというのだろう、安易な感動すら許さない・・ものになっていたというほかはない・・。
その昔、木下恵介は『二十四の瞳』を作るにあたって、「反戦を訴えるのに、映画というメディアで出来ることは、感動を観る者に呼び起こし、情が動いたという記憶でもって、反戦の情をいつまでも刻印すること」を念頭に置いたという。
つまり、涙を流せば、その涙の記憶と共に「反戦の情」はいつまでもその観客に留まるだろう・・、
いや留まり続けるだろう・・・、いや、留まらせてみせる・・・という覚悟を持って作品を作ったのだと
思う・・。
僕は、これを聞いて、木下恵介監督の映画人としての深い矜持を感じた。
感動すら覚えた・・・。
しかし、今回のケン・ローチの場合、もう少し次元の高い戦いに挑んだのだろうという気がしている。
ケンの描き方は、一切の「情」が介入するのすら排除している。
例えば、恋人達が結ばれるのも必要最小限しか描かないし、ラスト、恋人が兄に殺され、その兄に
その知らせを受ける恋人の怒り、悲しみというものも、極めてリアルに決して感情過多にならぬようにしか描かない・・。
僕は、ラストのこの恋人の怒り、叫びに思わず涙が自然にこぼれてきたが、その悲しみが劇的に描かれず、自然と物語が終わったので、涙は出たが、その感動は寸止めにされたという感がした。
描き方にしても、昨今の映画人達がよくやるようなスローモーション、音楽、カメラの動き、台詞のリバーブ処理など、物語を感動的に見せようという「演出」は全て廃されている。
その中で、感じさせられるのは、決して「情」には訴えかけない形の強い「怒り」であったり、
何故なんだという「疑問」であったり、もっと深い人間の業とでもいうべきもの・・だった・・・。
最初は大英帝国からの独立を目指して戦っていた仲間が、後に、その独立のあり方を巡って内戦状態となり、同朋同士で殺し合いをせざるを得なくなるという構図。
今、世界で内戦状態にある国の多かれ少なかれにこういう要素はつきものだし、この日本にだって、
こういう例はあるだろう。例えば源平合戦の後の頼朝と義経もそうだった・・・。
古今東西、似た例は幾多もあり、今後も決してなくならない、人類の業のようなこの構図。
何故、人は戦わなければならないのか?
この答がない疑問に対して、ケンは怒りを内包しつつ迫る・・。
そう基本的にケンローチは「怒りの作家」だと思う・・・。
それが、直接的に表現されているのではなく、物語の底流にしっかりと根付いた形で提出されるのだ。
キリアン・マーフィーの主人公は、ラスト「僕は何故戦うかが判った・・」という。
その何故・・・の部分は明かされない。見る人それぞれの考え方に委ねたのだろう・・。
人は自由を求める存在であるし、本来誰にも自由を奪われる、奪う権利などない。
しかし、個人個人が尊厳を持って自由を求めるが故に、悲劇が繰り返される・・という矛盾。
では、どうしたらいいのか?
もちろんそんな事に対する解答を、僕らは持ち得ない・・。
その悲劇を見守るのみ・・。
そして、一人一人の人間には限りない愛情を注いで描き、行われる悲劇には限りない怒りの感情をぶつけている・・
ケンローチの姿勢はそんな感じなのだろうか・・・。
描き方でいうと、情を徹底的に廃している。
音楽は感情にはつけてないし、見るものが人物の感情に入らないように、情があるシーンは意図的に
短くしている・・。
その結果、浮き上がってくるのは、事実の流れのみ。
ただ、今回でいうと、一つだけ文句がある。キリアンが最初はイギリスに行きたいと言っていたのが、
何故アイルランドに留まろうと決意したのかという感情の流れが少し見えにくかったかな・・という気はしている。
それは、行こうとした時に、イギリス兵の横暴さ加減を見たからなのだが、そこの所の転換点の主人公の感情の流れだけは、もう少し描いてもよかったのではなかろうか・・とは思った・・。
あとは、文句のつけようがない・・。
僕の中ではイーストウッドの『父親たちの星条旗』よりも、上の評価である・・。
ケンローチは、安易な感動すら拒否する事によって、僕らの心に深い鉄槌を残した・・という事だろうか?
リアリズムに徹しつつ、人物には愛を注ぐというのはどういう事なのだろう・・。
一つ言えるのは、登場人物を尊重するという事は、作者の側から安易な演出を加えない・・という事と
不可分のような気がしている・・。
物語を「巧く」進行させるために、作り手が過剰に語ったり、人物の感情を語る為に作り手が何がしかの工夫するのは、物語や登場人物に対する一種の冒涜である・・。
それでは、登場人物を尊重しているという事にはならない・・と思う。
人物を愛するというのは、一つには作り手が安易に工夫して料理するのではなく、
「見詰める」という姿勢が大切なのだろう・・と思うのだ・・。
しかし・・である。それが、どうリアリズムとして結実して、このような作品になっていくのか・・・、
ケンローチの総合力といってしまえばそれまでだが、何なのだろう・・。
知りたい・・。
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これは本当に安易に泣けました〜とか感動しました〜とか言って欲しくない映画でしたねえ
2006/11/25(土) 午後 11:59
そうなんです。でも、今年は各国の巨匠達が戦争映画を撮っています。 イーストウッド、ソクーロフ、このケンローチ、日本でも黒木和雄・・。 この中で何が一番良かったか・・アンケートをとりたいぐらいです。
2006/11/28(火) 午後 11:15 [ papiyon ]
そうですね、確かに「感動した」とか言う言葉とはちょっと違いました。とても奥のある作品のようでpapiyonさんの記事もじっくりと読ませていただきました。浅い感想ですがTBさせてください。
2006/12/2(土) 午後 4:41
映画を娯楽と思ってる人にとっては、退屈極まりない映画かも知れないのですけど、このケンローチの映画は一つの主張と面構えを持っていますよね。僕もChoroさんの記事読ませていただきます。
2006/12/6(水) 午後 11:22 [ papiyon ]
初めて彼の作品を観ましたが、一切の妥協を許さない完璧な映画でしたね。
2010/11/17(水) 午後 9:34