俺の映画日記

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『南極料理人』『女の子ものがたり』と邦画を2つ続けて見た。

『南極料理人』に関していえば、面白いといえばオモシロイ。
小劇場系の芝居を見せられたような感がした。
特に、生瀬がいるので、アンサンブルもしっかり取れていた。
(思えば堺雅人も元々は小劇場系の役者だ)
生瀬を中心に、映像系の豊原や売り出し中の高良なども健闘していたように思う。
周りの観客も、笑わせ所できっちり笑っていた・・・。

しかし・・、と考えるのだ。
これでは、小劇場の芝居と何も変わらないではないか?
映像独自の表現は何処にいったのだ・・・とひねくれものは考えるのだ。

一番気になるのは・・、細かなギャグの連発による「極限」にあるはずの人間達の「オカシミ」を
追求するのはいいのだが、その「極限」が何か?観ているものに伝わらない所である。

もちろん、『ひかりごけ』やらのように、戦争状態における異様な極限状況を描け・・と
いうのではない。南極探索において、何が「極限」なのか、描き手が描こうとしていないので、
「オカシサ」が単純に「ギャグのオカシサ」にしかなっていない。

それに関して言えば、そもそも、この人たちの南極での仕事は何なのか?
それぞれの役割は説明されているのだが、主たる観測業務の目的は何なのか?
描かれているようで描かれていない・・・。
つまり、登場人物が、社会とどのように関わって生きているのか?
それは、たぶん彼らの仕事により認識できるようになるのであろうが、
それが描かれていない・・。
なので、登場人物たちが「社会的存在」として認知できないのだ・・。

つまり、劇は社会に対して閉じている。
これでは、狭い小屋で社会性とは関係ない所で、自分達の固定ファンに対してのみ、
ギャグをかます中小劇団の芝居と変わらないではないか?

僕は、この映画を見て、そんな気がしたのだ。


『女の子ものがたり』に対しての印象も同じようなものだ。
これは、確かに、中年女性から見た「ある失われた時代のオマージュ」なのだと見る事が出来る。
しかし、単純にそれだけではないのか?

作家が森岡なので期待したのは、西原の少女時代の貧しさをきっちりと表現してくれるだろう・・
という事だった。
しかし、それは全く裏切られた。

少女時代の、主人公の友人達に、全く「ビンボウ」な感じや「下層階級の匂い」というものが
しなかったのだ。というか、欠片も描かれてなかったのだ。
まず、キャスティングが違う。もっと、ビンボたらしい子じゃなくちゃ駄目でしょ・・・。
(キャストは、それなりに可愛い子だった・・)

又、男の子に「ビンボー」と言われる割には、着ている服がそう見えない・・。
風呂に、月に何回しか入っていない・・という割には、キレイだ・・。

その昔、少年時代を大阪で暮らしたので、その匂いというのは少し判るのだが、
主人公の周囲の「ビンボー」なり、悲惨な状況が描かれていない・・
つまり、登場人物の設定がきっちり描かれていないから、
物語が嘘の物語にしか見えないのだ・・・・。

『キューポラーのある街』とまではいかないが、人物の周囲の状況にリァリティーがないと、
物語は絵空事にしか見えないのは自明の事である・・・・。

思い出したが、「この街は腐っている。この街から出たい・・」と登場人物たちは言う。
つまりは、この街にいるかぎりは、腐っていくしかないのだ・・という事を言っているのだが、
映像は、海あり、田園もそれなりに風情があり、街並もそれなりに風情があり・・・、
映像的には、全く「腐った街」という風に見えないのである。
エンドロールから想像するだに、愛媛の内子がロケ地だったらしいが・・・、
自分も少し行った事があるが・・、あそこは、時代劇を撮るに風情ある街である・・・。
従って、台詞が全く浮いてしか聞こえない・・。というか、深く響いてこないのだ。


監督は40年代(いや30年代?)を再現する為に、あそこを使ったのだろうが、
映像のルックと内容が要求する街の雰囲気との「乖離」に気が付かなかったのだろうか?
気が付かなかったとすれば、初歩以下のミスとしか言い様がない・・。


『女の子ものがたり』に関しては、映像の初期設定にのれないというか、リァリティーを感じられないので、続く2時間は苦痛以外の何物でもなかった・・・・。

思えば、この映画も、登場人物の社会性に関して描き手が注意を払っていなかったのか、
もしくは、手加減した為に、人物が生きているように見えなかった・・としか言い様がない。
いくら、人物の感情をきっちり描いたとしても、設定にのれない以上、人物の感情にものれないのだ。



と、現在の邦画を見た所で、つい2.3日前に読んだ『昭和の劇ー映画脚本家笠原和夫』を思い出す。
東映の任侠映画、特に『仁義なき戦い』など実録路線で名をはせた脚本家のインタビュー集である。
めっぽう面白かった・・・。
ただ、ここで何が面白かったか・・というと、笠原は実録路線を書くにあたっては、
取材を重視し、又、設定やら何かに、密かに自分を投影させていたことである。
この場合、「自分」というのは、笠原が戦時中海軍の二等兵曹だった経験があり、
戦争、そして、戦後的なものに独特な見方があった・・・点である。
ここには、明らかに独自の、自分が今生きる戦後的なものに対する批評眼があり、
その自らの「社会性」から登場人物の台詞が織り成されている・・という感がする。

確かに、全ての映画を見た訳ではないが、『県警対組織暴力』など、明らかに、
戦後的なものに対する批判と批評が冴え渡り、彼と深作監督の代表作だという気がする。

詳しくは書かないが・・、そこには「劇を作る時において、明らかに作者と題材が求める時代というか
事象が、どう切り結ぶのか?」という視点があるような気がする。
視点というか、作者が劇を作る立脚点に必ず「時代と向き合う社会性」がある・・と
いうような事だろうか?

思えば、『南極料理人』『女の子ものがたり』に限らず、昨今の邦画の描き手に、
そのような立脚点があるのだろうか?
皆無だとは言えないが、乏しくなってきている・・といわざるをえない。
そして、それは、観客ももちろん、とすれば、日本人全体ともいえるかも知れぬ・・。


しかし、それでいいのだろうか?と思うのだ。
思えば、我々日本人の政治に対する無頓着な感じも、こういう所に垣間見える・・・。

せめて「社会に開かれた」映画を見たい・・と思うし、
又、そういう映画を作りたいと思って欲しいのだ。
少なくとも、海外の映画は、全部とは言えないだろうが、やはり社会というものには目を見開いている
ような気がするのだ・・・。

社会に対して開いた眼差しがないと、やがて作るものは自家中毒を起こしてしまうのではなかろうか
という気がするのだ。
それは、何も単純に社会性のあるものを作る・・ということでもない。
作る上での姿勢というか、立脚点の問題だ・・という気がするのだ・・。

邦画を2本立て続けに見て、そんな事を感じた・・
9月の最初の週末だったのだ・・。

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