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緒方監督といえば、『独立少年合唱団』『いつか読書する日』と、寡作で、しかも、
どちらかというとテアトル新宿系の映画を撮る人だ・・というイメージが強い。
ただ・・寡作ではあるが、公開された映画は不思議なパワーに裏打ちされていると感じる。
現に、僕は両作ともに好意を持っている・・。
そんな緒方が、いつものコンビである青木研次とのオリジナルではなく、
原作があるものに挑戦した・・という。
興味があって見に行った・・・。
感想としては、ある安定感のある熟達の技の冴えとでもいうべきものを感じた・・という事だろうか。
ある種、安心して見ていられたのである。
冒頭、いきなりフライパンのUPから入り、作る小西真奈美の顔の表情のUPとなる。
次に子供が出てきて(これが何故手持ちなのかは少し判らなかったが・・)
次に、引きの絵になると、何故だか誰だか判らない男が寝ている・・
という風になる。
その後、幼稚園の朝の送りのグループの所に顔を出した小西と娘が、そこに
憤然と来ると、娘が「バイバイ」と言うのだ。我々は「あれ??」と思うのだが、
その後の、簡潔なやりとりと映像の積み重ねによって、
小西の置かれている状況とこれからの物語の指針が示されるのだ。
説明に陥ることなく、要を得て簡潔な描写は、まず冒頭からして見事と思った・・・・。
その後も、説明描写というものは一切なく、
物語の進行と人物描写が、本当に見事な程、要を得て描かれていく・・・。
普通、この手の独立系の監督たちは、妙に小手先で描写したり、何か普通とは違う表現をして、
時に物語を台無しにするのだが、緒方は本道をゆったりと時に軽やかに歩んでいく。
しかも、人間描写が的確なので、面白い・・。
是枝さんにしても、この緒方さんにしても、原作物が初めてだという事だが、
それはそれで、本当にきっちりと作品に、見世物として面白い物にする事に成功している・・・。
侮り難い・・・。
僕は、あの写真館の息子が村上淳だとは、最後まで気づかなかった・・。
ま、それは、僕が、村上をあまり知らない・・という事もあるのかも知れないが、
それ以上に、あの青年に見事にハマりきっていた・・と思う。
彼のイメージは、どちらかというと「とっぽい」感じなのだが、
親思いで地元に根付くさえない青年が、実に等身大に似合う・・という事が判った・・。
これだけでも、収穫だ。
又、彼と小西のラブシーン(未遂と言うべきか?)にしても、1カットで撮っているのだが、
実にチャーミングで切なく、しかも色っぽい、艶っぽい、という感じがしたのは、僕だけだろうか??
これが、実に良いのである。
それは、たぶん、二人の人物の微妙な距離感(心理的な)が、きっちりと意識され、
反映されているからだろう。
最近見たラブシーンの中でも異色に良かった・・という印象だ。
と珍しく褒めてばかりなのだが・・・・・、
唯一、僕が、気になったのは、母と子である。
小西と娘の2人のシーンがもっとあった方が良かったのではなかろうか?
小西の女の部分は、非常に描いているし、見えるのだが、
母親としての部分が少し足らない気がした・・。
それはちょっとしたシーンでいいとは思うのだ・・。
例えば、幼稚園に連れていくとか、寝顔を見ているとか・・・、
説明のシーンというよりは単に状況を描いていくだけでもいいのだが・・・。
例えば、岡田の夫が、幼稚園から娘を連れだすシーンの前に、娘と母のシーン
(この場合は、娘が忙しい母に対して、少し淋しく思っている・・というような事が判るシーンか)があれば、娘が岡田のダメ夫に付いていく気分ももっと判ったと思うし、
ラスト近く、いよいよ弁当屋を始める、その朝、岸部の店に行く前に、
小西が娘の顔を見てから行くなどというシーンが入れば、
もっと母としての小西の気分が出たのではなかろうか・・と思うのだ・・・。
そもそも、小西の主人公に関しては、物語上、「娘に対しての母親」・・というよりは
「一人の女としての自立」に焦点が置かれている。
それに関して、確か岸部の台詞だったか、
「お前さん、女としての自分ばっかり見てないか?」という類いの台詞を吐かせて、
ある種の批評性を担保しているのだが・・・、同じ立場の女性から見れば、どうなのだろうか??
「母親として何をやっているの?」「母親をやっていれば、そんなに簡単に動けないえわよ」と
思うのか、「判る」という風になるのか・・・。
昨今の女性の「母親と女の間の配分」というか、住み分けはこのあたりがリアルなのだろうか・・。
そのあたりが、男の自分には判りにくいので・・・、何とも言えないのだが。
ただ、本来でいうと、夜に仕事があるとはいえ、家に帰る前に、寄り道をしている・・というのも、
「子供をほっぽらかして何をやっているのか・・」という風に取られかねない訳で・・・、
そこは、小西の独特な清潔感で何とか成立させてはいるのだが・・・、
同じような立場の女性、また年配の女性から見れば、どうなのだろうか??
そこが知りたい・・・。
ただ一つ言える事は、女性と母親の描写の狭間で、
母親を描く事は、逆に女を描く事の足かせになるのではなかろうか・・・と
作り手たちが考え、あえて、母親の小西の部分を描くのを意識的に少なくした可能性はあるだろう・・
という事だ。
その部分では、母親の部分を意識させて、失敗するよりは、
見せない代わりに疑問を呼び起さないという今の作戦の方が功を奏した・・という感じがする。
ま、実際に、作り手たちがどう考えていたのかは判らないが・・・・。
どちらにしても、小西の一生懸命さがそういう疑問を吹っ飛ばすものになっているのは
事実なのだ・・・。
ただ、ラストシーンで、主人公のある表情でストップモーションというのは、
70年代の映画の名残だよな・・と思ったのは、僕だけだろうか??
又、ラスト近く弁当を作るシーンだが・・・、
泣く小西は全身ショット、よしんばズームしたとしてもウエストまでだろう・・と
感じたのは、僕だけだろうか?
あの泣くシーンに関していえば、小西の気分は判りにくくはないのだが、
前シーンの倍賞に母親が、ヘタな弁当と手紙を置いていくーそれを見るというシーンから、
時間経過を作ってはいけないのではないか・・とは思った・・。
時間経過を作ると、人物の気分も少し飛んでしまうような気がするのだ・・。
そこが、自分的には、少し「・・・」という感じだった・・・。
ともかくも、最初の話に戻るが、案外、こういう人間の機微に触れたプログラムピクチャー的なものを
緒方が撮るというのは、案外いいというか、
凡庸なる作り手だと感じた・・・・。
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