|
1年ぶりくらいの、ご無沙汰である。
今年は、2つのプロジェクトが前半、後半にそれぞれあり、忙しく過ごした。
その間に、単身赴任解消があり・・、私生活がバタバタであった・・。
映画は、たぶん20本〜30本ぐらいしか見ていないのではなかろうか??
例年に比べて、少ない・・。
さて・・、である。
村上春樹の小説『ノルウェーの森』を読んだのは、大学生の頃だったろうか・・・。
当時は、純愛小説と銘打たれ、流行った・・。
ただ、自分としては、村上さんの他の小説の方がずっといいのに・・という思いもあり、ノルウェー現象をやや冷やかに見ていたような覚えがある・・。
村上さんの原作は、基本的に映像化されない・・という事になっている。
それは、村上さんが、映像化を許諾しないからだ・・。
なので、村上小説が映画に
なるなどという事は、ないと思っていた・・。
それが、映画化決定。しかも『ノルウェー』である。
しかも、監督は、トラン・アン・ユン・・。
日本語の判らない監督に、撮れるのか??
(ただ、日本語の判らないイーストウッドが、『硫黄島』を撮り、傑作に
仕上げた例もあるので、侮れない・・)
という、期待と不安を持ち、映画館に入った・・。
ただ・・・、冒頭から、中盤までは、実は期待以上の秀作だと思った・・。
何より、ワタナベを演ずる松山ケンイチのいでたちが素晴らしいと思ったし、
直子を演ずる、菊池凜子は、再登場の時(東京でワタナベと再会する時)
まさに直子そのものだと思った。
・・・あの不安定な表情、目線の動き、何かに怯えているような感じ・・、
そのあたりが、説明的な演技ではなく、まさに、直子そのものを体現している
と感じた。
特に、台詞のやりとりが、非常にリアルで、距離感が適切で・・、
なんと細やかな描写だろうと思った・・。
特に、ワタナベと直子が、直子の部屋で初めて抱き合うシーンの繊細さ・・、
ワタナベがふとした瞬間にもらす
「キズキとはしたの??」(詳細は少し違うが・・)
という台詞から、ガラガラと壊れていく二人の脆さ・・・
そのあたりが、非常に細やかに描かれている感じがした・・。
これは、傑作かも知れない・・という気がした・・。
特に、二人の東京デートを歩く描写だけで表現するあたり・・
(しかも、そこには、音楽が殆ど入らず、風音で二人の微妙な関係性が
表現されていく・・)
又、二人の初夜のシーンでは、雨音がなんと効果的に使われている事か・・。
トラン監督は、自然音を有効に使う事で、この二人の関係性、距離感を
繊細な感じで表現する事に成功している・・・と思った・・・。
そう、、である。
『ノルウェーの森』は、関係性をめぐる物語である。
そこの所が外されず、的確に表現されているような気がしたのだ・・。
ただ、その繊細さは、物語の中盤以降、音をたてて壊れていく。
まず、療養所の丘での5分以上に及ぶ長いシーンである。
メイキングで見たが、ここでは、100本以上のレールが使われている・・。
歩き続けながら、自らの秘密を打ち明ける直子と、それを追うワタナベ・・
カメラは1カットで右に、そして左になめらかに人物を追っていく・・。
直子は、最後、ある告白をして、泣く・・。
それも、大きな声を出して泣き、カメラが遠ざかる方向に走っていく・・。
それを追う、ワタナベ・・・。
そこにかかる、大編成の楽曲・・・。
僕は、そこで突如、この語り口に違和感を覚えた・・。
まずは、菊池凜子の、大仰に泣き叫ぶ演技に。
そして、そこにかかる大編成の音楽に・・・。
まずは、演技だが、今まで直子は、非常にワタナベとの距離感を意識した
上で話していた・・。
それが、ここに至って、突如、人間の関係性の中で発せられる言葉ではなく、
距離感とは関係なく、人物の心情をただ闇雲に発する台詞術になってしまうのである・・。
その時の直子の心情が、そうだから、という言い方も出来る。
それは、そうだとは思うが、あの泣き叫ぶ演技には、それまでの繊細さを
一切無視した、何か邪悪なものが潜んでいる・・そんな感じがしたのだ。
それを上手くは言えないのだが・・、
あえて言えば、それまでは、二人の関係性を見据えるという作家の精神が、
突如、あそこでは、関係性の中で見据える・・というよりは、直子の心情を
表現する・・という作家の強い「説明意欲」とでもいうべきもの・・・、
そのようなものが、意識的に否無意識的に発揮されたような気がするのだ・・。
それまでは、説明とは無縁に、カメラはそして作家は、人物の関係性のみを
強く見据える・・という高邁な精神で描いてきたのに、
あの丘の直子の心の叫びに関しては、
何か「見据える」以上の邪悪な精神が混入してきたような気がするのだ。
(僕的にいえば「見据える」という高邁な作家精神に比べれば、「説明しよう」という
作家の意欲は、下品なものと言わざるを得ない・・)
という事を、あの中盤の山場のシーンで感じた・・。
以降は、この映画の大仰さばかりが目につく事となった・・。
音楽の好き嫌いはあるが、この関係の繊細さを細やかに描いていくタイプの
映画で、僕はあのような大編成の音楽はないのではないか・・という気がするのだ。
細かい事はともかく、
この大仰さは、最後まで続き、レイコ先生との最後の一夜まで続く・・。
このシーン、学生時代に読んだ時には、人生経験のない自分には
何故、ワタナベはレイコさんと「スル」のか、判らなかったのだが・・、
これは、レイコ先生にとっても通過儀礼であり、彼女は、男の人にシテもらう
事によって、心の扉を開く重要な鍵を貰うのである・・。
又、ワタナベにとっても、そんなレイコさんを救う事が「直子を救えなかった」と
悔悟している自分に立ち直るきっかけとなる鍵を渡す事になるのだ・・。
だからこそ、ラストでワタナベは緑に電話するのである・・。
・・・という、実は、この物語のラストシーンともいうべく重要なシーンなのである。
たぶん、この二人の恢復は、ネテイル二人の表情の変化でしか、表現出来ないのではなかろうか・・、心情の動きを考えると、最中と事後の表情で
ある恢復・・を表現するのであろうという事は想像がつく・・。
(それは、原作にあった、この二人の重要なプロセスを省略するという
選択をしたのだれば・・という注釈がつくのであるが)
しかし、トランは、ある種、非常にあっさりした形で描いてしまう・・・。
彼は、このシーンの持つ重要性を当然認識していたであろう・・。
ただ、認識していたにしては、非常に淡々と、又、あっさりと、そしてある種大仰に
描いてしまっている・・そんな気がしたのだ。
何も、二人の恢復を「説明的」に描いてくれ・・とは言わない・・。
前半と同じく、ある「繊細さ」をもって、きっちりと描いて欲しいのである・・。
この描写で、全て理解してくれ・・というのは、少し乱暴ではないか・・という
気がした・・・。
(回想シーンなどを入れて工夫はしているが、それは単に小手先の工夫に
過ぎないような感がした・・)
この重要なシーンが落ちないと物語はおちない・・。
従って、僕は、この映画はおちていない・・という気がした。。。
残念である・・・。
前半戦は、『ノルウェー』が持つ関係性を繊細なタッチで描く事に非常に
成功していただけに、何故、中盤から後半にかけて失速したのか。
2時間の枠内に収めなければいけないが故に、このような事になったのか??
そこが、今後の考察のキーポイントである。
忘れている原作を読み直してみようと思う。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー






