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この映画を見て、まず感じたのは、新藤監督・・齢99歳にして語るべく力は衰えず・・・という事だ。
ただ、99歳の監督が作った映画だから、と言って、手放しに誉めるのは、
それは新藤さんにとっても失礼だろう、と思うのだ・・。
そう考えると、この映画を批評する前に、99歳の人が作ったという事実、と
それを度外視して考えるという・・2点が必要であるし、
又、これが「戦争を体験した人が作った映画」である、という点と、
それを度外視して考えるという視座を持つべきであろう・・と考える。
まず、1点目。
99歳の監督が作ったという所から考えると、賞賛以外に、感想が思い浮かばない。
この執念、みずみずしさ、彼らしい軽妙さ・・・面白い映画だ・・。
ただ、それをなしで考えてみると・・・・、
1枚のハガキを巡って、豊川が大竹を訪ねるまではいいのだが・・、
それ以降、大杉を巡る三角関係の顛末、そして、大竹が豊川と共に生きたい・・
と思うに至るまでの感情の描かれ方が、少し、飛びすぎてないか・・と思うのだ。
もっといえば、少し乱暴すぎませんか?とも思うのだ・・・。
かたや、戦争で亭主を失った女、かたや、戦争のおかげで妻に密通うされた男、
「戦争」を介して不幸に陥った男と女が、結びつくにしては、いやに理屈がなさすぎる
というのが、正直な感想だ・・・。
確かに、リアルに考えると、そんな所に「理屈」はない。
あるのは、欲と、打算と、しかし、何がしかの魅惑と、
もしかしたら少しばかりの恋情も・・・あるのかも知れないのだが・・、
実際、生きた人たちには、
戦争の荒廃の中で生きざるを得なかった人たちには、
「理屈」もへったくれもなかったのかも知れない。
そこには、ただ生きざるをえないという事実だけがあり、
そこに、たまたま、ある男が目の前にいた・・
(あるいは、ある女が眼前にいた・・)
という事しかなかったのかも知れない・・・。
物語の作り手はそこに「ロマン」を求めるが、
現実にあるのは、そういう単純な事実に過ぎない・・ともいえる・・・。
しかし、事実がそうであったとしても、物語を作る上では、
シナリオを構築していく上では、何がしかの「理屈」がなくてはならない・・と思う・・。
その「理屈」を理屈としてではなく、「情念」として見せ、
決して「理屈」と感じさせる事なく、しかし、何がしか感じさせるのが・・・
作り手として優等である事の、一つの資質である・・と思うのだ・・・。
この映画でいえば、そのあたりの男女の機微が、軽やかに放置というか、
飛び越えられていて・・・、「これでいいのか?」と思えてくるのである・・・。
そこの所を、老人の作り手ゆえの「天衣無縫さ」と好意的に見るか、
否定的に見るかによって、この映画の見方は、
決定的に変わるだろう・・と思うのだ。
もちろん、僕の見方は否定的だ・・・。
好意的に見るのは、新藤さんに対して失礼だろう・・と思うゆえだ。
そして、もう1点。
戦争体験者=新藤さんが監督である・・という事を、批評的にどう考えるか、
という点についてだが・・・。
「戦争を体験した新藤さん」が台詞を書いた・・と考えれば、
大竹の台詞にしろ、豊川や大杉の台詞にせよ、その背後に「戦争を体験した」人がいるわけだから、それを考慮して映画を見ていると、胸につまされるものがある。
ある種の信憑性を感じざるをえないのだ・・。
そこの所は、重い・・・といわざるをえない・・・。
しかし、もし、そんな前情報をなしとして考えると・・・、当然の事ながら、
台詞の重みは台詞のみでは感じない・・・。当然のことだ・・。
それでは、重みはどこで感じさせるか・・・。
物語のリァリティーと役者の演技によって・・・という事に当然なる・・・。
しかしながら、僕の感想からいうと・・・、
物語のリァリティーに関しては前述したように少し強引で
人物の感情が飛ばされているような感がするし、
役者の演技に関していうと・・・・、
大竹はさすがに上手いが・・、
ただ、あの舞台調の演技は彼女の悪い面が出たような気がするし・・・
豊川の台詞術では、台詞の感情が100%伝わらない気がしたし、
大杉のオーバーな演技は紙一重なのだが、少しやりすぎなのではないか・・
と思った。
つまり、役者の演技に関して、監督として統括できたかどうかかについては
やや疑問という事なのである。
・・・・と、こう考えてくると、99歳の新藤さんのこの映画・・・
最後の映画(?)という事もあり、
かつての新藤さんにはあった「理屈」というものが何処かに追いやられ、
やたらと「戦争を描きたい」という「情」ばかりが優先された
ものなのではなかろうか・・・と思ってしまう・・・・。
つまり「理」ではなく、「情」が優先されたが故に、物語の人物たちの行動は、
どこかで飛ばされ、ある種の「激高」「号泣」というような判りやすい感情の
発露のみをもって・・・描かれるだけで終わったのではないか・・・・。
そんな気がしている・・・・。
つまり、映画作家として、「描く」という事よりも「伝える」「伝えたい」という情念が
先行した結果、このような形の映画になったのではなかろうか・・・・と邪推するのだ。
そうなる事によって、かつての新藤さんにはあったであろう「理屈」「透徹された論理」
というものが、脇に追いやられ、告発するというよりは、より広範な人々の感情に
訴えかける・・・という類の映画になったのではなかろうか、と思うのだ。
それが、いいのか悪いのか、それは見る人の判断である。
しかし、映画作家に対して正面向かって批評するならば、
「99歳の」という事は度外視すべきではないか・・・・。
それから、この映画を見て感じたのは、「体験者」が「戦争」を描く事の限界である。
それは、あの「戦争」から60年以上が経ち、
記憶が風化しつつある事とも関係がある。
「体験者」たちの記憶が風化しつつある結果、「戦争」に対する批評が「理」ではなく「情」に押し流せれるようになってきたのではなかろうか?
それは、つまり、「体験者」が高齢化してきたという事とも関係がある・・・。
新藤さんの、この映画を見て・・、そんな事を感じた。
つまり、「戦争」を描くのは、体験者の「主観」ではなく、
その次の世代の透徹された「客観」であろう・・・という事だと思うのだ・・・。
確実に、描き手の世代は変わってくるであろう、という事なのだ。
但し、このように書きつつも、新藤さんの今までの作品を汚すつもりは全くない。
「第五福竜丸」「原爆の子」素晴らしい作品のオンパレードである・・・。
ただ、それをもって、今回の作品の批評をするのは、新藤さんに対して失礼だろう、
そんな事を思うのだ・・・・。
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