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圧巻だった・・。
猿の惑星:新世紀(ライジング)である。
我々の世代は、猿の惑星の世代だ。TVで全5作が放送された頃…
一大ブームが巻き起こった・・。
猿が征服していた惑星は、地球だった・・・と最後の自由の女神で判った時は・・
ある種の戦慄が走った‥。
又、第4作「征服」で、話せる猿・シーザーが、人間社会を征服する様は、
子供心に怖かった…。
そして、11年の「創世記」に次ぐ、この第二作である。
感想は…、
エンターティメントの枠で、ここまでやるのか・・という驚きというよりは、
これはエンターティメントなのか?という感想である。
巷間の感想でも言われているように、これは、民族と民族の、又、国家間の戦争が
何故起こるのか・・という事を、情を交えず冷徹に描いた傑作である。
戦争が起こるメカニズムというのか、どのような掛け違いが、戦を起こすのか、
という事を、物語性豊かに描いたものだといえる。
従って、主人公の心情というか、そういうものは最低限のレベルでしか描かず、
いわゆる、システムというのか、構造というのか、そういったものを描いたものと言える。
最後のシーザーの一言が、端的である。
「人間は、戦争をやめない」or「闘いをやめない・・」
少し、台詞が違うかも知れないが、そういう内容の台詞。
つまり、シーザーは、リアリズムで考えた時に、人間VS猿の戦争は
個人の厭戦の気分などお構いなしに、始まってしまい、止まる事はない、
と悟ったのだ・・。
それは、あくまで、自分の生きる現実と、周囲の様と、今と現実を冷静に見極めた
結果・・そう悟ったのだ・
だからこそ、彼は仲間を守る為に、鬼となった…。
それが、最後の彼の目元のアップである‥。
ここには、社会を現実をリアリズムで見つめる登場人物がおり、
しかも、映画が描き出す現実を、今の社会と対置して、冷徹に描き出すリアリズムがある。
「猿は同胞を殺さない。だから、猿は人間より優等だ」と信じていたシーザーが、同胞の猿を
殺した瞬間、彼は真の意味でのリーダーとなった…。
しかし、それは、ある種のロマンを捨てて、リアリズムの側に立たねばならない、という
悲しい決断だった‥。
猿を殺した後の、シーザーの表情が素晴らしい…。
新世紀は、シーザーが、リーダーとして目覚める回だった…。
それは、猿という種を守る為には必要な事なのだが、
何かは失われた…。しかし、失う事によってしか、生き延びる事は出来ないのだ…。
その、生存していく為には、矛盾を内包しないといけないのだ・・という所が悲しいのだ。
しかし、それを、抒情で描くのではなく、あくまでリアリズムとして描くから、
なおの事悲しい・・・という事になる。
ハリウッドは、モーションキャプチャーの新技術を使って、現実社会を投影する
かくも素晴らしい映画を作った・・と僕は思う。
少なくとも、このエンターティメントの皮をかぶった、社会派映画が、アメリカでヒットしている
事には、快哉である。
日本でもヒットするだろうか?
しかし、思えば、日本の戦争関連映画・・・
例えば、「永遠の0」あたりの、思い切り、特攻隊員を抒情たっぷりに描く物語、映画からは、
涙と安っぽい感動しか生まれないだろう…。
ひるがえって、この「新世紀」・・・
涙は出ない。もしかしたら、感動すらないかも知れない。
しかし、見終わって、戦争も政治の世界も、極めてリアリズムの世界だ・・という認識が
生まれる。そんな中で我々一人に何が出来るのだろうか?
立ち往生せざるを得ない・・・。
しかし、それこそが、今21世紀、まさに戦争の世紀に生きる我々の生の感情、感覚に
近いのではなかろうか?
イスラム国、ウクライナ、尖閣諸島・・・この世界は紛争という名の戦争の種が一杯なのだ。
そんな戦争の世紀に立ち向かう為には、雰囲気ではなく、安っぽい情ではなく、
冷徹に物事を見定めること・・・それこそが、物事の本質を見誤らない唯一の方法論なのだ、
と思う。
この映画を見ていると、描き手のリアリズムに徹した描くスタンスをこそ、
学ぶべきなのだ、と痛感する、
特に、空気で動く我々日本人にとっては‥‥。
はてさて、少し仕事も落ち着き、時間もあるので、
又、感想を書きなぐってみようと思っている・・・。
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