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自らの死を思う時、憧れる死に方がある。
銀河英雄伝説のジークフリート・キルヒャイスのように、
ドラゴンランス戦記のスターム・ブライトブレイドのように、
バトルロワイアルで想いを寄せていた女子を探し回り、
その彼女に撃たれて死ぬ間際にも彼女のことを思っていた彼のように、
友情、愛情、自らの誓いを果たし守る為にこの命を使い、
自己犠牲的な死を悔いることなく死んでゆける。
そんな死に方を自分も出来ればカッコいいなって。
それはただの憧れであって、実際には何かの大事故に巻き込まれた時に、
自分だけでも助かろうと、他人を見殺しに見捨ててもがく姿を晒してしまうかも知れない。
高潔な志しを抱き死ぬか、醜くも生きるか。
そのどちらが良いかは分からない。
善悪の基準について未来の姿をハッキリと予測しながら命の価値をつけれない。
人間らしい感情の欠落した、人を不幸にしたり殺したりする人間の命を救うべきかとか。
そもそも人類の数は増えすぎている。
このままの勢いで人類の総数が増え続ければ、他の生物達の生活環境を破壊し、
種の大量絶滅を引き起こす原因となり、地球上の生態環境を破壊し、
ひいては人類の存亡さえ脅かす問題だ。
そう思った時、缶ジュース1本分の寄付金で何食分もの食料や薬になる。
それで世界の何処かにいる縁もゆかりも無い他人を助ける事が出来る。
日本では年間で632万t〜1800万tの食品関係の無意味な廃棄が行われている。
鳥とか野良の犬猫とかにエサを与えないで下さい。→
最終的に地域の人々の為にならないから共存しないようにしようって呼びかけだろ。
なんで人間だけを助ける必要がある?
他の生物達を思いやらず分け与えず自分達だけのご都合で善悪の基準すら作る。
なのに世界の貧困国で自分の家族の事を顧みず人助けをしている人間を好ましく思う?
それは人が人を助けるのは当然の様に好ましい姿であるからだ。
犬猫の殺処分を0にしょうと奮闘している人々の姿をみるも同じ。
私は気づいた。
そもそも人類の数は増えすぎている。以下の下りで。
どちらにせよ人類は結局、存亡の危機にさらされる。
早いか遅いかの違いだけであり、
人類存亡の危機に陥り、結局地球上の生態環境はバランスを保つのだ。
人類が何をしようと結局人類の総数は激減する。
その時地球上のバランスは成るのだ。
成らば今に生きている我々の命や人生は無為なるもので在るのか?
人類の滅亡を遅め、その間にやるべき事がある。
人類の魂の浄化。
良い心の持ち主を未来へと残し悪しき心を断つ。
そのシステムプログラムの法整備。
そんな事は今更に限ったことでは無いだろうが
良い物は次世代へ、
次ぎ続けることでしか未来への杞憂を晴らす術は無し。
サル達よ。
神を信愛し友と思い信仰を抱く猿達よ!
人と成れ。
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