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あるところに、国一番の大富豪がおりました。
贅沢をして暮らしていましたが、いつも家族がいがみ合っていて、心の休まる暇がありません。毎日くらい気持ちで過ごしておりました。 ここのご主人は生まれたときからお金持ちなので、貧乏のつらさを知りません。 裕福なのが当たり前なのですから、お金があってもちっともうれしくありませんでした。 それでも、「なんといってもお金の苦労がないのは恵まれているよ」と出入りの商人は思っていました。 |
文学と香り
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何十年の間にたくさん本を読んだけれど、本というものは読むべき時期に、引き合うような出会いがあって読むものだと思う。それは人生の中で1回きりのこともあるし、何十年もたって再び出会うこともある。
昔に感じなかった、理解の及ばなかった文章がその世代世代で心に沁みてくる。それでも、やっぱり自分が当時の少年少女だった頃と、本質的にはさほど変わっていないと再確認する。
書店にある何万冊もの本の中からその一冊を手に取り、そしてページを開き、その中に心が震える言葉を見つけたとき、かわるがわる、誰かが私にメッセージを届けてくれているような気がするのだ。
昔に感じなかった、理解の及ばなかった文章がその世代世代で心に沁みてくる。それでも、やっぱり自分が当時の少年少女だった頃と、本質的にはさほど変わっていないと再確認する。
書店にある何万冊もの本の中からその一冊を手に取り、そしてページを開き、その中に心が震える言葉を見つけたとき、かわるがわる、誰かが私にメッセージを届けてくれているような気がするのだ。
2009/10-2010/1まではこちらで書いています。http://parfum-satori.com/blog/cat150/cat153/
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雪の研究で知られる中谷宇吉郎博士の随筆集から、樋口敬二氏が編集した岩波文庫の一冊である。
以前も、博士の「雪」という本について書いたことがある。
「理系の人は文学的な表現に関心が少ない」と私は思っていた。
が、博士の書かれたものは、平易な文体でありながら美しい。
さながら、雪の結晶が正確で論理的なように。 世の中のさまざまな現象や人とのかかわりを、科学の目で観て話されている。
ユーモアもあり、篤実なお人柄が偲(しの)ばれる。 博士がまだ子供のころの思い出がある。
北国の、まだ夜明け前の寒い朝。 釜で炊かれたご飯のお焦げで作ったあつあつのおにぎりを握ってもらうシーンからは、香ばしさが漂ってくるようだ。 もちろんご専門の雪の結晶の話もあるし、バラエティに富んで親しみやすい。
是非お勧めしたい本だ。 たくさんある楽しい随筆の中で、あえてこの「硝子(ガラス)を破る者」に今の心境に通じるものがあった。 太平洋戦争が終わって半年後くらいの日本。1946年と思われる。
中谷博士が北海道から鉄道で東京へ出る、その汽車の中の風景である。 樺太(からふと)からの引揚民でいっぱいのその汽車は窓ガラスが破れ、零下10度の風が入ってくる。身を縮めて前に座っている男が、半分ひとり言のように言った。
−「戦争に負けりゃあこんなもんだ。仕方がないや。」とつぶやいた。私はちょっと可笑しくなって「だって君、これは何もアメリカの兵隊が割ったんじゃないんだよ。ガラスを割ったのは皆日本人なんだろう」と言うと、その男も「そう言えばそうだね」と苦笑した。
日本人が汽車の窓ガラスを破るようになったのは、窮乏のために平常心を失ったからであり、窮乏は敗戦に原因する。そういう意味では、戦争に負けたから雪の吹きこむ汽車で寒い思いをしなければならないというのは本当である。しかし、「戦争に敗けたんだから」という言葉を、今日のように皆が無考えに使っていると、とんでもない錯覚に陥る虞れがある。−(中谷宇吉郎随筆集166p)
さらに、平常心を無くしたために起こる生産性の低下、流言蜚語(りゅうげんひご)についても、「なぜ起こるか」「どうしたら止められるか」を声高でなく、あくまで事実の積み上げで恬淡と語られている。
ここではかいつまんで説明するにとどめるが、本書には当時の世情、情景描写も細かくされていて、表現の素晴らしさに立派な文学と感じた。
人は歴史に学べというが、同様のことがなぜ繰り返されるのだろう?
多くの本を読んでいると、違う時代、異なる舞台で、似たような経緯をたどっていくケースを見ることがある。
一見違った問題でも、同じ公式があてはまるのに、
どの公式で解くか、答えを見るまでわからないかのようである。 「想定外の災害」に「人災」までも含め、なんでも「想定外だったから仕方がない」で済ませてはならない。 この本にこの考えを結びつけるのは論理の飛躍か、こじつけだろうか。
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香水を知らなくても、ラリックと言う名前と、コティのアンブル・アンティークのボトルを見たことのある人は多いと思う。
このアンブル・アンティーク(Coty Ambre Antique 1905)の香水は、オポポナックス的なバニリンの甘さの有る香りだ。
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今から10年ほど前、パリの骨董本専門の店で見つけた、アンティーク香水の本。
そのお店では、いつもちょっとした本を買っているのだが、その日は奥から出して来てくれた。
1925年と書いてある。 本の値段を聞いてびっくり。
「ええー、どうしようかなー」と、うろうろ。 でも、こういったアンティークの物は「出会い頭」なので、そのときに思い切って買わないと、後できっと後悔する。
迷った挙句、結局「よしっ!」と買うことにして、カードを出したらダメだっていう。
「そんな現金、普通持っているわけないじゃん。」 そしたら、丁寧に(向こうも必死)キャッシュ・ディスペンサーのありかを教えてくれて、ニコニコしながら「行って来い、行って来い」という。
キャッシュだったらちょっと負けてよ、ということでようやく交渉成立。
若かったからな〜。
ユーロを引き出しに、走って行って帰ってきた。 本を手にした時は嬉しかった〜。 しかし、すっごく重くて、5kgもあった。
その日は、その本一冊を買っただけで部屋に戻ったのだった。 部屋でもう一回じっくり読む。
古い香水の本物のポスターがとじ込まれ、白黒の香水瓶の写真に、ラベルは実物が手で貼ってある。 たぶん、丁寧に古いボトルから手ではがしたラベルを使って、きれいに本に張りなおしたんだと思う。
そんな古いラベルだけを売っている骨董店もあったから。
いったい、何部作ったんだろう・・・?
ラリックやガレ、ドームの香水瓶はもちろん、有名な香水店の古い写真や、シャラボーの初期の工場、古い花の処方など。
飛行機に載せるときも、大事だったので機内に持ち込んで、逆にワインをスーツケースにしまった。
東京に帰ってきて、私の香水アンティークコレクションと一緒に撮影したときは、「よく持って帰れた」と再び喜びを実感したのだ。 香水は、ボトルだけ詳しくても、中身=香水だけ知っていても完全じゃない。
その時代背景の中で、その香りが生まれたという歴史。 どんな香りなのか、パフューマーの意図とその構成を知っていること。 そしてそれにふさわしい名前と、
シンデレラの靴のようにぴったりの美しい香水瓶。 すべてが合わさって、香水のことを理解したと言えるのだと思う。
La parfumerie Francaise et L'Art dans la presentation 1925年
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