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ってことで、やはりこの作家、アンチ権力なんです。 (そこいら辺が在日関西人の私と共通している点でもあるのですが) まずは引用。 普通、人間の性(さが)として、加害者は被害者の苦痛や苦悩そして悲しみを本当に理解することはできない。しかも加害者は意識するしないとにかかわらず、自らの立場を自己弁護するものだ。加害者は永久に被害者の苦痛や苦悩を理解できない。ブラントはそのことを承知のうえで、あえてポーランドを理解しようとしている。てて無し子という汚名と苦悩、亡命者という負い目と屈折、政治家ブラントは被害者の視線に限りなく近いのではないだろうか……
(春江一也著『ベルリンの秋』)1970年にポーランド国交正常化基本条約を締結した西ドイツ首相ヴィリー・ブラント。 ノーベル平和賞受賞した彼の礼賛ではあるわけです。 さて、その少し前には彼が著作で何度も繰り返す次のようなテーマが出ています。 権力とは悪である。そして権力者は神ではない。権力者が生身の人間であるかぎり、一人の罪深い人間として権力の行使に思いをいたすべきなのだ。あくまでも、かりそめの権力者にすぎないブンデス・カンツラー(ドイツ連邦共和国首相)である前に、一人の人間、そしてドイツ人、ウイリー・ブラントとして誠実であるしかない――。ブラントの決心であった。
(同)そう、問題は、この「誠実」。 ここで問題です。 (何でやねんッ!) ある熱狂的なプロレス・ファンが、友人と食事をする約束をしていたとします。 彼はその約束の時間に、大切なタイトルマッチの放送があることを忘れていました。 当日、かれは友人との約束よりテレビを優先するとします。 その時に、彼が友人に電話をして話す言い訳。 「大切なプロレスの試合があるので行けない」 or 「腹の調子が悪くなって行けなくなった」 さて、どちらの方が誠実でしょう? ちなみに友人はプロレスに興味がないばかりか、イカサマのエンタテイメントだと思っています。 答えは… 立場や関係性、それまでの経緯やその後の経過によってなかなかどちらが誠実か難しい問題です。 (本当のことを言うことは、相手の思いを簡単に無視できる神経ともいえます) 真実は大切ですが、真実が問題を解決するどころか複雑化することもあります。 カントの『真善美』は決して究極の哲学になりえない、な〜んて難しいことではありません。 どうすれば仲良くなれるか、どうすれば背反し合う関係を脱することができるのかという思いがあり、 逆に、どうやったら相手をやっつけることができるのか、どのように自分を優位にするかばかり考えるひともいます。 要は生き方の問題といえるのでしょうか。 (中断)
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