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名町奉行!大岡越前! 「天一坊事件」「三方一両損」「石地蔵吟味の件」「実母継母の子供争」… 数々の何事件を明晰な頭脳で解決、人情に厚い「大岡裁き」、われらが町民の味方!それが南町奉行、大岡越前様だ〜! …なんて思っていませんか? 実はこれは、江戸時代に「大岡政談」という小説によって作られた幻想である。 「大岡政談」に出てくる大岡忠相と、実際の歴史上の大岡忠相ははっきり別人と考えてよい。 実際の大岡忠相このような裁きをした事実はない。 これらの事件、裁判は大体が江戸以前の日本や中国の故事や説話を焼きなおしたものである。 「天一坊事件」に至っては、同時代の町奉行が裁いた事件をアレンジして、大岡忠相の手柄として「大岡政談」に組み込まれたものである。 では実際の大岡忠相が暗愚なボケナスであったかというと、そんなことは無い。 彼は8代将軍徳川吉宗の下、享保の改革における非常に重要な地位にあったのである。 では大岡忠相は実際には何をしたのか。 1.江戸の防火対策 これはかなり有名であろう。 江戸は冬場は非常に乾燥するうえ木造家屋が密集しているため、火事が非常に多かった。 忠相はこの対策として、「いろは47組」の町火消を創設した。 TVなんかではこの程度しか言わないが、それだけでなく 建築物の耐火構造化を強引に推し進めたり、 市街地に「火除け地」を作ったり、 あらゆる角度から、江戸の防火対策を推し進めた。 2.物価対策 実はこれが大岡忠相が最も腐心したところであろう。 これは大岡忠相の功績を語る上で一番重要なのだが、 読んでくださる皆様には、一番眠くなるところでしょうから簡単に。 大岡忠相はこの時代、大きな社会問題と化していた物価問題に取り組み、物価を安定させるために 商人に組合を作らせ(株仲間の原型)、商人を一元的に支配しようとしたり 物価引下げ令を出したり 金銀相場に介入したり 貨幣を改鋳したり と、いろいろやっているのである。 必然的に巨大商人(特に上方商人)との戦いとなり、大岡忠相はその戦いに敗れて、町奉行の任を解かれる。 幸いにも8代将軍吉宗の信頼の厚かった彼は、失脚⇒悲惨な末路、とはならずに、寺社奉行に栄転という形で遠ざけられたのである。 ちなみに寺社奉行は地位としては高いが、実務権限には乏しく、また、将来を嘱望された若い大名がなる役職なので、さほど家格の高くない、しかも老人の域になってきた大岡忠相には非常に居心地が悪かったようである。 3.新田開発 これは町奉行としての職責ではないが、忠相は「地方御用掛(じかたごようがかり)」という職を兼ね、関東地方の農政も担当した。 ここで、忠相は新田開発を推し進め、特に武蔵野(東京の西部)の開発に大変、力を注いだ。 現在のこの地に暮らす、資産何十億という地主はこの時代に忠相によって入植させられた子孫が多いらしい。 この他にも、救貧対策や、人材登用でも大変に功績があった。 こんな積極的な「改革派」のお奉行様に庶民は共感し、「大岡伝説」になっていったのだろう。 ちなみに、大岡忠相の知行地(領地のようなもの)は相模国高座郡堤村(現神奈川県茅ヶ崎市堤)にあり、墓も同所の「浄見寺」にある。 つまらない自己満足のお話に付き合っていただき有難うございました。
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大岡越前が架空の話だということは知ってましたが、実際の功績はなかなか知る機会が無いですねえ。防火対策で思い出したのですが、江戸時代は火事が広がるのを防ぐために、火元の家の隣三軒をぶっ壊したそうですね。
2007/10/28(日) 午後 4:30 [ さとぱい ]
め組のひとを創設したんですね。「た組」なんて匠みたいで良いけど「ち組」はなんか乳首とかってバカにされそう・・・って本当にそんな言い方だったのですか?「うちの組なんかよりあっちの組に入りてぇなぁ」なんてこともあったのでしょうか。組どうしの喧嘩なんかもあったんでしょうね。
2007/10/28(日) 午後 4:38
木村さんこんにちは。
そうですねえ、江戸時代ではまとも消火の方法は無いですからね。そうやって、類焼を防ぐしかなかったでしょう。火元の家は諦めもつきましょうが、そのとばっちりでぶち壊された家の住民はたまったものじゃあなかったでしょうねぇ。
2007/10/28(日) 午後 4:44
ペガサス先生こんにちは。
「へ組」「ら組」「ひ組」は無く、「百組」「千組」「万組」に置き換えられていたそうです。「へ」は「屁」、「ひ」は「火」で嫌だったんだろうけど、「ら」は何故?
「ち組」はあったのでしょう。そもそも江戸時代に「乳首」という用語があったかどうか…笑。そんなので喧嘩していたら江戸時代ではなくて「エロ時代」・・・。
2007/10/28(日) 午後 4:49
何を隠そう・・・・私は、「サト万組」の組長です。新しい書庫が、いつの間にか出来てたんですね、オメデトゴザイマス。
で、上の話を要約すると、「エロ時代の MEGUMI は、良し胸なので、H前に、た出すけ?」ってことでよろしかったでしょうか?
次回、「その時歴史は止まったー遠山の金さん銀さんに惚れないヤツは悪だけさ!ー」に期待しています。
2007/10/28(日) 午後 5:54
大岡噺も、ありがとうございます。すごく色々やった人なんですね。面白いです。ところでこの絵は加藤剛似ですね。品格のある大岡越前でした。が、自分の中ではやはり横内正の演じる忠相。暴れん坊将軍吉宗が「ただすけ!」と呼んで親しく色々相談する、という図、そこには有馬一郎の「じい」もいました。あの頃は松平健もやせていました。。。町火消はめ組の頭が北島三郎で龍虎も出てました。そうですか、火消についてそんないきさつがあって、あの設定だったのですね。納得。長くなりましたが、てぃーちさんとは世代が一緒とのことで、ちょいと自分の思い出話、書いてみました。
2007/10/28(日) 午後 8:15 [ ぷくぷく ]
実在の人物なのに架空の話と言うのはおもしろいですね。
一休さんみたいな感じですかね。
実在の人物が立派だったから後から話が付け足されたのかな。
歴史は詳しくないのでここで勉強させていただきます。よろしく。
2007/10/28(日) 午後 8:25
さとまん先生>
サト万組の組長だったのですか〜。やはり、火事の際には纏を担いで屋根の上でご活躍に?ちなみにF君は1年1組の平組員です。
話の要約はそんなところでございますが、今改めて思うにさとまん先生ってかなりのおっ○い星人なんですね〜。ふむふむ、これは歴史上の大発見かもしれません。
遠山の金さんはあまり詳しく知らないのですよね・・・(汗)。歴史も筆も止まりそう・・・
2007/10/28(日) 午後 11:14
ぷくぷくさん>
実際も大岡忠相は吉宗時代のほぼ最初から最後まで、幕政の中枢におり、吉宗の信頼も絶大なものがあったようです。忠相と同様に長期間幕政の中心にいたのは御用取次人の加納久道しかいません。
「暴れん坊将軍」は私も子供のころ親と一緒によく見ていました。今はもうやっていないのでしょうか。松平健がサンバ稼業で忙しいから??
2007/10/28(日) 午後 11:22
あきばこさんこんにちは。
おそらく、在職中から人気があったのでしょうね。お察しの通りそれで後年、色々なお話が作られていったのでしょう。確かに一休さんみたいなものかも(笑
歴史…いくつか取り上げたい話もあるのですが、私の話はどちらかというと通説とは違った方向に流れるおそれもありますが。。。
2007/10/28(日) 午後 11:26
なぁ〜んだ!大岡裁きは無かったんですね
〓■●〜☆です。しかし頑張った人ではあったんで
安心しました。現実はそんなもんですね!。
勉強になりました。
2007/10/29(月) 午前 5:11 [ keiko ]
けいこさん>
夢を壊しちゃいましたか〜。すんません・・・。現実の大岡越前と、物語の大岡越前は別人、と思ったほうが良いかもしれませんね。
ただ、現実の大岡越前も素晴らしい人物で、私は彼を江戸時代の優秀な政治家BEST3に入れています。
2007/10/29(月) 午前 11:05
あへ〜〜〜大岡裁き・・子供の頃から
「凄いな〜」って見てたんですけどね(汗)
歴史上の人物にはよくある話しですよね!
2007/10/29(月) 午後 3:50 [ - ]
MISYAさんこんにちは。
そうですね。源義経、一休さん、水戸黄門…歴史上の人物にはよくある話ですよね。でも、大岡忠相は裁判以外のことで偉大な人物ですよ〜。
2007/10/30(火) 午前 0:16
沢山居た奉行の中で大岡が有名なのは、世界初の
「出版統制」をしたからでしょう。
検閲をし、徳川体制に都合の悪い物はダメでした。
2013/1/22(火) 午前 11:22 [ 衛鴉瓏改竄の日本史を抉剔する ]