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『変な人の書いた世の中のしくみ』斎藤一人著 2012年10月20日発行
著者は、長者番付が発表されていた期間、株や土地、相続を除く事業所得のみで、
12年ものあいだ高額納税者のトップだったそうである。 長者番付は未発表になったので、確認することはできないが、記録は続いているかもしれない。 本の内容は、タイトル通り著者のとらえる“世の中のしくみ”が書かれてる。
どのようにして、幸せな人生を送れるようにするか・・・。 どうすれば、楽しく仕事ができるようになるか・・・。 男とは・・・。女とは・・・。結婚とは・・・。 そのようなことが、親しみやすい文章で書かれている。 著者は『神』の存在を信じているそうだ。
本書で語られていることは宗教ではないと言いながら、何度も『神』の存在や『輪廻』『魂』を説いている。 「信じなさい。」という押し付けがましさはない・・・。が、読み進めると、漠然と信仰が刷り込まれた大半の日本人なら、『神』の存在について、様々な角度から裏付けがされていると感じるのではないだろうか・・・。 初期仏教で「わざわざ他宗教を批判してはいけない。」と(おそらく)釈迦牟尼が語ったと同じように、著者は、それぞれの信じる信仰(宗教)を肯定する姿勢を見せる。
一方で、例えば現在の多くの宗教団体の信者が“経を読む”行為は、説いた本人(教祖)に説いた内容を聴かせると言う、言われてみればもっともな“矛盾”を指摘する。
著者の説く『神』は、仏教で否定している“欲”を肯定し“儲ける”ことを奨励する。
強すぎてはいけないが、上手に付き合えばいいと主張する。 中学卒業後すぐに社会に出て働き始めた著者が、長者番付に名前が挙がるまでになった事実が、本書で書かれている“世の中のしくみ”や“『神』の存在や『輪廻』『魂』”などについて、一つの説得力になるのかもしれない。
・・・のだが、 “走るおっさんライダー”は、『神』『輪廻』『魂』については、容認できる内容ではないと感じる。 それ以外の部分については、多くの点で同意できるのだが、この点については同意できない。 まず『神(または仏)』の存在について、
「神(仏)は〜〜〜と考えており、実際にその通りのことが起こっている。」といった論調がある。 この時の“〜〜〜”の部分は、主張する主体によって様々に変化する。 イカサマ宗教などでは、過去に言ったことと、今言うことが違うこともある。 これは、現実に起こっている現象に対して、追認する形で“神(仏)の意思”を決めているからだ。
逆に言うと“神(仏)とはどういうものか”の定義が統一されていないのである。 ある誰かの言う『神(仏)』の定義に矛盾が見つかり、存在が否定されても、他の誰かがその矛盾を埋める変更を加えて、別の定義で『神(仏)』が存在すると言い出すのだ。
そして、確認できない点では、存分に自説を展開させる。 しかし、どのような説からも『神(仏)』の存在を証明する普遍の定義は見えてこない。 例えば、飼い犬にとって飼い主である人間は、大げさに言うと『神』のような存在だ。 生殺与奪の“権利”というと少し語弊があるが、その力を持っている。 しかし、なんでもないのに、その生命を望んで奪うことを正常な人間ならしない。 また、そうしたくない為に、つまり良好な関係を保つために、飼い主は飼い犬を躾ける。 飼い主が飼い犬を躾ける時、良い事をすれば直ちに褒め、悪い事をすれば直ちに叱らなければならない。 何が良い事か、何が悪い事か、明確に理解できなければならない。 “直ちに”でなくていい場合は、相手が、具体的に何が褒めるに値するか、叱られているのか理解できる場合に限られる。 “走るおっさんライダー”の考え方は明確だ。
もし『神』が存在し、人間の生殺与奪の権利を有するのなら、そして『神』に望んで人間を抹消しようと言う意思がないなら、人間が過ちを犯した時には、何が過ちかが明確に分かる様に罰を与えるだろう。 「それも『魂』の修行だ。」と言う人もいるが、何が過ちかが理解できなければ、同じ過ちを繰り返す可能性が大いにある。 地球では、今だにどこかで戦争が行われ、地震や津波、台風や竜巻、落雷や豪雨などで失われる命がある。 病気や事故、貧困で失われる命もある。その全てに罪があるのだろうか?どんな罪があるのだろうか? 生後間もない命が失われると「前世での罪」などと言う人がいるが、そんな罪なら、命を授かる以前の問題ではないだろうか? もし『魂』が『輪廻』を繰り返して修行の為にこの世に生まれてくると言うなら、
「“まれ”に、前世(と主張する)の記憶を持つ人が現れる。」と主張しても、それが前世の記憶だとどうして言えるのだろうか? さらに言うなら、“まれ”にではなく、“常”に前世の記憶を持って生まれるべきである。 それでこそ、前世の罪を償い、『魂』の修行ができるはずである。 “走るおっさんライダー”は、『神(仏)』『輪廻』『魂』の存在を信じていない。 しかし、だからといって人や物を粗末にすることはないし、人間関係を軽視することもない。 社会の中で生きる以上、人間同士のルールを無闇に無視できないからだ。 それは、単体で生きられない人間の本能にも反すると思っているし、人間のルールは『神(仏)』が決めるのではなく、人間同士や社会が決めるものであって、それを破れば人間が罰を与えると考えるからだ。 誰も見ていないからといって、何でもしていい訳でもない。
誰も見ていないと思っていても誰かが見ている事もあるだろうし、 見ていないとしても、その時にやったことは、不用意に誰かの前で出てしまう事があるだろうと思う。 わざわざ『神(仏)』を持ち出さなくても、この世がより良い社会に向かって欲しいと願うのに充分である。 逆に『神(仏)』の存在を認める人は、そうでなければ人の道を外れてしまうのだろうか?・・・と不思議に思うくらいだ。 著者は“世の中のしくみ”としているが、“走るおっさんライダー”が読んだ限りでは、 “しくみ”と言うより、どのような“心構え”で居るか・・・と言ったところではないかと感じた。 さて最後に余談になるが・・・、 著者が事業所得のみで高額納税者になったのであるなら、随分利益率の高いビジネスをしているんだなぁ・・・と思う。 利益率の高いビジネスは、IT関連の企業、すなわち情報関連のビジネスとか、特殊な技術や権利を有するビジネスが殆どではないだろうか。 商品の製造・販売のビジネスで高い利益率を確保できるのは、そもそも商品の価格設定の面で・・・(略 などと、うがった見方をしてしまう。 商品に特別高い付加価値を持たせることで、高い利益率を得ることもできるが、競争相手が出てきて、なかなか長くは続かない。
利益率や利益額の高い企業の中には、その利益をオーナーの所得にするより、株主への配当とか、社員へ還元したり、福利厚生を充実させたり、或いは技術や新規事業の投資に回すのが一般的だと思うが、そうはしていないのだろうか? それに、企業が高収益を上げ、高額な税を払いたいなら、所得税で払うより、なぜ法人税で払わないのだろうか・・・。 そこにどんな意図があるのかはわからない・・・。 |
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