|
今の若者は。。。
今の親は。。。
魔女、魔女出てけ。。
いつの時代にも言い続けられるこの迫害の言葉。
しかしご注意。
よぉく考えようではありませんか。
今の若者は。。。
例えば性風俗に関しますと
赤松啓介氏
下半身の民族学者の『夜這いの法則』は赤裸々に語っています。
昔の若者の乱れた性。すなわち夜這い。
毎晩色々な若い男の子が玄関を潜って
家の娘と交渉に来たらjirojiro、ノイローゼでしょう。
でもそこまで自由だった時代、
オナゴのパンツ、お金出して買いますでしょうかね。
今の若者は、しっかりしているのかもしれません。
優しくて、偏見に満ちていなくて夜這いしてる訳でもなくて好きです。
最近の親は。。。
に関しますと
例えば児童虐待など取り沙汰されます。
コインロッカーに遺棄と聞くと過酷極まりなく
胸が痛みます。
しかし社会学の母性の歴史を調べますと
育てられない子の「間引き」は多く行われていたのです。
それにやっていけない家の子の奉公
バブル期の飲み歩いて育児を省みない父親
はたまた逆に最近のイクメン。
教育ママ、
モンスターペアレントなるものまで出現。
しかしどの時代にも
背負う社会背景は大きく異なっても
写真に写る親の眼差しは
そんなに変わったものでしょうかね。
親って言うと途端に批判的な熱い言葉でもって
合言葉みたいに頷く風潮を感じるけど
でも全員そんな何かしら不完全な親から生まれてきて
何かを学び 共に生きてきたんですよね。
魔女魔女、出てけ。
これもまた何世紀にも渡り聞かれてきました。
絞首刑、火あぶり。その他残忍極まりない不幸な虐待。
しかし現在
人は困ると金を出してでも魔女の力を借りたい。
もしくは
スピリチュアルな現象への憧憬は
魔女も真っ青なくらい
発展しています。
でも。
いざとなると、胡散臭い。
この異種なもの、見えないものへの心の狭さ。
魔女として
本当に必要なものほど皆「ただ」なのだと呟きたい。
親の愛も。
多分「ただ」な部分だけが子供は必要なわけで。
打ち震えるその無償なものの喜びに心を開いたら
案外
そんな遊び心の内に
多くの魔女書物の鍵はあるのかもしれませんや。
そろそろ出てけって言うな。
多様性の中に心を開け。
こんなことを言いたくなったのは
実はとあることから 大変悲しい気分になったことにございます。
子供の自殺に関わることなんですが。。。
子供の自殺の原因は家庭や主たる家庭の教育にもあることがある。
学校だけを問題視するだけでなく、家庭にあった問題も調査すべき
とかいうもんでした。今後の予防のためにも原因究明すべき。
それは最ものようですが
何か悲しい。
私の知人は、全国的にも有名になった自殺事件の被害者の親です。
全国的に大きく報道し戦いました。
この場合、はっきりした本人の手紙があったのですが
もし無かったらば、
親は自身だけを責める可能性もあったのですかね。
こいうのって必ず何かしら言いたがる世間の目があるんですよね。
その家も、家庭にも問題があった、夫婦喧嘩の声が聞こえたと相当言われました。
子供を苛められ亡くした上に、自分たちを批評されなくてはいけない苦しみ。
子供の自殺の場合、1次的な原因が欝などは少数となるので
虐め自殺を私はここでは指して言っているのですが
被害者の親は黙ってればいいんでしょうか。
被害者の家庭の問題を調べるべしであれば
加害者の家庭問題は調べなくっていいんでしょうか。
もし被害者の家の問題。。とか言い始めると学校はそこへすがる様にして
問題を擦り付けて逃げないでしょうか。
問題は学校が加害者や自身を庇ってきちんと何があったのか話さず隠すことにあったのだと思います。
いじめなど無かった。
でも実際はどうだったでしょう。
本当に無かった現場はあったでしょうか。
嘘ばかりだとしたら。
親として黙っていられるでしょうか。
だから話は大きくなり、学校側は包み隠さす話すよう
調査の必要を問われているのではないでしょうか。
一人の子が亡くなったわけです。
私は悲しみの中黙っているのも親の最もな自由だけどそれだけが美徳じゃない。
それでも戦ったことで
現在教育現場にいじめ対策マニュアルが出来
不完全ながらも真剣に静かな、優しい子供の立場が守られるようになったという
成果に素直に感謝しています。
しかしながらその陰で
家庭に問題だってあったといわれ
どれほど、傷ついた家庭があったのか。
そのことも もっと知られるべきと考えます。
子供は虐めに関しては事実を隠すことは多々あります。
元気に会話していて ぽっと逝ってしまう。
普通の会話だけが成されていることだってあるわけです。
第一が親は気づいて何度も学校へ足を運んでいることも
多いのではなかろうか。
加害者側の親子はもっと
この様な真実の会話は無かった可能性は高くないだろうか。
いじめてる、なんて自己申告せんわけで。
親はそれでなくても生涯自身を責めると思います。
要は、学校もいるのであれば加害者もきちんと本当のことを知らせる義務はある。
親側の調査以前の問題として
この時点で親は喋り捲り、黙っているのは学校側、ってことも
あるんではないかとすら妄想します。
暴力は いじめは世の中から無くならないかもしれない。
その考えは大切だ。
でも
子供の世界だから学びの場と考えるのではなく
完全に廃止するのだという
辛らつな大人の毅然とした態度は大切だ。
それには性善説に基づく国と性悪説に基づく国では大きく考えが異なるが
新しいテキストも必要だ。
苛められない子に
苛めない子に育てる。
そこからちょこっと抜け出して、多様性を愛せる社会に。
元気な子、明るい子と標語しないで
静かな子、優しい子だっているってこと。
色んな子がいるってことを知らせたい。
やり返せない子だっているし
言い返せない子だっているんだけど
それがそんなに悪いこと?
どの様な家庭環境にあろうが
その子がどの様な状況であろうが
いじめにそんな言い訳、理由など許してはいけない。
いじめられる側にだって問題がある。
これほど日本の社会の甘えの構造映し出している言葉ってなくありませんか。
色々な背景を抱えて子供は学校にいる。
大半は家庭にいるのではなくって
大きくなれば
殆ど寝にしか戻って来やしません。
朝早くから暗くなるまで学校です。
朝の6時後半から、夕の6時くらいまで。
家では4、5時間しか起きてはいませぬ。
それでも家庭教育は基本ですが。
でもそれって本当?
そんな中学校教育でも家庭でもどうしようって親や子もいる場合もあるわけで。
教育ってもっと広い場で行っても良いんじゃないですかね。
私は長男坊を育てる中でそれを学びました。
親が全て育ててるんじゃなくって、
そういう考えが、当てはまる人間が全部って訳でもなくって。
色々な人が育てるべき
愛されるべき子っているんです。多分。
マスコミ報道が過剰であることの全てが悪いわけではないんでないか。
あぁしなくては
学校教育って微々ともしなかった。
単なる理想主義と言われるかもしれない。
でも。
疎ましがられるような人間こそが時として改革者であることもある。
新しい時代
新しい発想を求める時代だからこそ
大人も子供も生き易い世の中
苛める人間って恥ずかしいと思えるイデオロギーを
作ったっていいじゃん。
最後に
やっぱり、私は辛い中
大声で世間に叫んでくれたそこの家の両親に頭をさげたい。
家のジンは、その学校の教師たちに
理解され 救われています。
|
精神保健福祉士と教職をめざして
[ リスト | 詳細 ]
|
今日、アートセラピーの試験に合格しました。 |
|
アートセラピーの資格取得を始めた。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
父の法事が終わり、帰るなり |
|
ジンのことの悩みで担任に電話したら、 |






