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★『充実した人生を送るために・・・』
「層」には「二面性」がある。ひとつは「段階的連続性」をもつ「層」。
もうひとつは「透過的流動性」をもつ「層」である。
単純に言い切るならば、前者は「1・2・3・4・5・・・」であり、後者は
「非1・2・3・4・5・・・」である。
この『二面性』こそが、「宗教」と『信仰』を明確に区別するアイテムになると
「層の論理」は主張する。
金持ちの青年議員がいた。彼はトップエリート集団に行きついたにも
かかわらず、日々にむなしさを感じ、充たされない思いでいた。
そんなとき、イエスを見かけた。走りよって言葉をかけた。
「良き師よ」・・・と。
当時、「師(ラビ)」という呼びかけは、十分な尊敬を表す言葉だったから、
彼の言い方は「尊敬申し上げる先生様」のような議員言葉だった。
「わたしを良き師と言うのか。良き師はもっと別にいる!」
イエスは青年に怒りを覚えたのか、かなり冷たく突き放している。
「永遠の命を得るにはどうしたらよいのでしょう」と彼は尋ねた。
「もう知っているはずだ。戒めを守りなさい。父母を敬え、姦淫するな…」
青年は悩みをむき出しにして、こう言った、
「そんなことなら、小さいときから守っています!」
・・・ここに、「段階的連続性」の「層」に属する「宗教」の、限界がある。
その宗教の戒めを、幼いときから守り続けても、「永遠の命」すなわち
生き生きした充実感の人生を歩めないでいると、青年は訴えた。
1・2・3・4・5・・・という階層的な社会に暮らして、その極みに「神」を
安置する。その神は、自分がいて神がいるという「対照的な宗教構造」
である。すなわち、人も神も、同じ土俵にいることになる。
その神は、ギリシャ神話のように人間的で、迷信的にいわしの頭を
拝んだりする宗教となる。さらに、その宗教の神を信じても、日々の不安、
退屈の気分、むなしさは、少しも解消しないのである。
青年の告白が、まさに、それを語っている。
信じても、信頼しても、どこか心がむなしくて、不安で、退屈なのである。
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