『生きる実力養成講座:「信」のセミナリオ』

◆『春のいぶき』を感じるように、輝く言葉に出会いたい

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■ここは「信」を学ぶ人たちのカルチャースクールです

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   本が大好きだった こどものころ

   10mm×6mm×5mmの 「のぞき箱」をもっていた

   おばあちゃんが買ってきた何かの 「おまけ」についていたらしい

   孫は たくさんいたのに おばあちゃんは それを ボクにくれた

   宝石箱のような形で プラスチックのレンズの 小窓がついていた

   中が 拡大されて ちっちゃな ちっちゃな 「のぞき箱」なのに

   すごく はっきりと見えていた

   それが何か わからなかった 

   見えているのに わからなかった

   みんなに ナイショだったから

   わからなくても かまわなかった

   そして それが なにか 少し わかるときが きた

   それは「英語」らしい・・・ということだ

   中学生のお兄ちゃんに こっそり見せたら

   「学校の先生に 見てもらう」・・・と 持っていった

   「先生も 読めないって」・・・と 返してくれた

   先生も読めない むずかしい英語?

   ますます ふしぎで のぞくのが 楽しくなっていた

   ・・・ ・・・ ・・・

   そして 大人になった ある日

   納戸に入れてあった 机の引き出しのすみに

   その「のぞき箱」を 発見した

   「そうか! これは むかしむかしの 英語で・・・」

   思い出は 一瞬のうちに 子供時代に ワープして

   あまずっぱく 心に広がった

   そして また 「のぞき箱」は 引越し荷物にまぎれて

   どこかに 行ってしまった

   でも また いつか 出てくるだろう

   あまずっぱい思い出を いっぱいに 増幅させて

   この家のどこかで 息をひそめているのだろう

   静かな夜 そっと その吐息を きいてみたくなる

   誰もいない部屋で コトン と 物音がする

   それは きっと 思い出が ゆれた音 かもしれない

 



   小さいころから、ふしぎと、「心に響く言葉」に夢中でした。

   父は校長で、その書斎には、専門書や指導要領、中国の書道の手本書、

   絶版になった古書など、それはそれはすごい数の本がありました。

   もちろんこどもが読める本は、ほとんどないのですが、少しでも読めるものを

   見つけると、興奮して、線を引いてしまうほど、夢中でした。

   線を引いたことを知りながら、黙っていてくれた心の広さもあったのでしょう。

   本に囲まれてすごす時間の楽しさに、書斎にこもるのが、日課になっていました。

◆  そんなある日、すぐ下の弟が、隣町の教会の子ども会に出席しました。そして、

   おみやげだといって、7×5cmくらいの薄い本を、渡してくれたのです。

   それは、後でわかったことですが、「山上の垂訓」・・・新約聖書の一部分でした。

   左のページは英語、右のページにそれを訳した日本語、いわゆる、「対訳聖書分冊」

   だったのです。

   「これなら読める!」と思いました。難しいけれど、漢字にはすべて、読み仮名がありました。

   私は夢中で読み続けました。書いてあることのほとんどはわかりましたが、話はわかっても

   深い意味などわかりません。でも、わからないけれど、ふしぎと夢中になったのです。

   もともと本が好きで、弟におやつを取られていても気がつかないほどで、ひとり家に

   いると、あかりをつけるのを忘れて読み続けるなど、熱中する少年でした。

   父が33歳という若さで校長になったため、山奥の学校に転校しました。その町には

  「本屋」はなく、「パチンコ店」さえなかったのです。交通手段はバスだけ! それも、

   一日に2便、町はずれを通るだけだったのです。

  でも、うれしいことに、学校は「本」をくれるところです。もらったその日に、家で、

  すべて読みつくしました。「教科書」という本を、全ページ、始業式のその日に。

  ですから、次の日から、読んでわかっていることを習うことになったのでした。

  活字に飢えていた? いえ、「心ゆさぶる輝く言葉」に飢えていたのでしょうね。

 
■『自己否定…即…自己成就の世界』

   「弟子はその師以上の者ではなく、しもべはその主人以上の者ではない。

    弟子がその師のようであり、しもべがその主人のようであれば、それで十分である」

                              (マタイ10:24,25)

 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

◆ これは、何かのワクの中、集団に属している人が、どの程度成長できるかを示しています。

  習い事をしている人でも、どんどん上達していっても「先生を越えない」。

  銀メダルをとったスケートの選手が、金メダルをとるためにコーチを替えるのは、今のコーチでは

  自分は(ここまで)と思うからです。

◆ 宗教の世界でも、同じです。教団の教理や信条の「ワク」の中では、成長しても(そこまで)。

  ワクの中の「教えどまり」。それは、しかたがないことなのです。

  新約聖書時代の宗教指導者やメンバーは、民衆からの「見た目」を気にしていましたし

 「見栄」に生きることに必死でした。

  会堂から聞こえる「祈りの時間を知らせる鐘の音」に、聞き耳を立てていました。そして、

  鐘が鳴ったときに、右足を上げたところであれば、そのまま足を上げた姿勢で、祈りを

  続けたといいます。

  彼らは、神に喜ばれることより、「見た目」、「民衆からの賛辞」を期待し、そうすることに

  賢明だったのです。

  それは、彼らの「宗教のワク」が、その程度のものだったからです。

◆ 私たちもそうです。自分自身が創る「こだわり」「思い」は、私たちを囲む「ワク」と

  なります。そして私たちは、「そのワクを越えない小ささ」のまま、暮らすのです。

  その「ワク」から出て、より大きな世界にはばたこうと思うなら、より「大きなワク」を

  見つけ出さなければなりません。

  それは「自己否定」と「究極のいやし」の世界であればあるほど、あなたを輝かせて

  くれるでしょう。

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    それぞれの人生に生きて、力を与え、安らかな時間を与え、なぐさめといやしと

    喜びを与えてくれるもの・・・。それを探しています。

    大切なものに「出会う」こと

    出会って「おだやかな気持ち」になれること

    おだやかになれて「明日を明るく見られる」こと

    思いを 自分より大きなものにも向けられること

    そんな生き方を探しています。

    道徳を越え、宗教を越え、たぎる「いのち」にふれたいと思います。

    信じることの先に進み、探して出会い、慰められること。

    それを支えにも、力にもして、生き抜くことを願っています。

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