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MACF礼拝説教要旨

MACF礼拝説教要旨
2013.10.27
旧約聖書人物伝
「ヨブ」
ヨブ記は決して読みやすい本ではありません。しかし、私たちはヨブが通過した
苦難を読みながら、自分の出来事として共感し、悩み、考える作業を止めてはい
けないのだと思います。
1)ヨブの試み
1章と2章にはヨブに対する試みが書かれています。苦難が襲い、激しい悩みの
中に陥ります。家族に不幸が起こり、次に自分の健康が害されます。奥さんから
はイヤミを言われ、神を呪って当然と思えるような状況の中に置かれます。
私たちはこの書物の最初の部分に目を止め、「なぜ神は悪や苦難を許すのか」と
いうことにばかり心を向けやすいのですが、この書物は、その答えは書かれてい
ません。「人間の苦悩はどこから来たのか」といいう問いは昔からありました。
「なぜ苦難が存在するのか」という問いも昔から消えません。ヨブ記には「神と
サタンの対話」という形が取られていますが、悪の背後にはサタンが存在すると
いうのが、当時の考え方ですから、その説明がなされているに過ぎません。
そんな事を許す神は断じて許せないと感じるのが現代人なのかもしれませんが、
「あるものは在る」わけで説明するための「形式」と理解すべき事柄なのだと思
います。
「悪人が栄え、義人が苦しむ」という現実があるわけですが、それについての明
確な「なぜ」という回答はこの書物にはありません。しかし、だからこそ、神と
はどういう存在なのか、そのお方はあなたとどんな関係があるのかが重要なヒン
トとして残るのです。

2)友人との対話
ヨブ記は全体的に「友人との対話」がメインになっています。
ヨブの苦難の説明が1章と2章。そして次の3章から31章までの長い部分が友
人との対話になっています。まさに、ヨブ記の主題のひとつがここにあるように
思います。この友人達との対話、すなわち、友人達のカウンセリングがヨブの苦
難の救いにならないことが明確に描かれているのです。
そして、この友人達の神学的、律法的カウンセリングの厳しさ、無情さ、などが
浮き彫りにされて、ヨブはますます孤立し、孤独を感じ、憤り、怒るのです。そ
して、神はこれらの友人に最終的にはヨブのところに行って謝罪するようにと命
じます。彼らは仲直りします。

3)神との出会い
友人達の厳しいカウンセリングの言葉にいらだち、神に対しても不安を口にする
ヨブに対して、最終的には神が言葉を語ります。
神は決して苦難の意味を語ってはいません。その理由を教えているわけではない
のです。
その場面の一部を書き出しておきます。
38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。
38:3 男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
38:4 わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理
解していることを言ってみよ。
38:5 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張った
のか。
38:6 基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。

38:12 お前は一生に一度でも朝に命令し曙に役割を指示したことがあるか
38:13 大地の縁をつかんで神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。

42:1 ヨブは主に答えて言った。
42:2 あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:3 「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。」そのとお
りです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっ
ておりました。
42:4 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ
見ます。
42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます。
++
苦難の中で私たちは「神はどこにいるのか」と問いかけ、なぜ私がこんな苦難を
経験しなければならないのかと悩みます。
人間には苦難があり、悲しみや不安、絶望的な悲劇も避けられないことがありま
す。しかし、それでも人間は「生かされている間は、精一杯生きる」ことができ
る存在であり、見方を変えて生きる道を模索することができ、生きることが出来
る存在なのです。
ヨブはここに来て初めて、神は、私たちの気付かないところに「必ず寄り添って
いてくださるのだ」ということを悟るのです。
地上的な評価は、かならずしも神の視座での評価とは同じではないということを
ヨブは悟りました。そして、新約聖書を読めば、その苦難をキリストはすべて通
過し、寄り添ってくださるお方として紹介されているのです。
「見方を変えてみる」ことは大事です。
参考までにこんな詩を紹介しておきます。

【病者の祈り】
〜ニューヨーク・リハビリテーション研究所の
壁に書かれた一患者の詩〜
大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ
+++
なぜ苦難なのかと神に問いたい気持ちは当然存在します。信仰者は、「なぜ苦難
なのか」ではなく「苦難と自らの弱さを認め、そこでさえ、私を知り、寄り添い、
共におられる神」を礼拝しながら、そのお方に包まれていることを経験するので
す。
祝福がありますように。

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