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【今日の聖句】
2019.01.31 【ヤコブの手紙】 2:15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、 2:16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 2:17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。 *** 今朝の御言葉の内容は「カウンセリング」と「信仰による奉仕」との内容の違いと似ているかもしれません。 情報を提供し、行くべき場所を教え、言葉のやり取りの中で受容と支持を提供することは大切な働きだと思います。 広い意味で言えば「カウンセリング」はそういう役割を持っています。 ただ、空腹なのに言葉だけ、寒いのに言葉だけという対応は情報提供としてはとても有益ですが、「愛」という側面から考えた時、何か不足しているように感じるわけです。当然、情報提供にしても愛のこもった仕方がありますから、カウンセリングを否定するものではありません。 愛から生まれる行動を促す信仰こそキリストが与えてくださる信仰です。自分の兄弟が困窮しており、必要を訴えている時、それにまったく無頓着でとりあう事もなく、心も痛めず、言葉もかけず、もし言葉をかけるにしても「祈っているから」を繰り返すだけだったら、その人の信仰には「実質的な愛」が欠如しているように感じます。もちろん、そんなことについて人のことを裁く資格は私にはありません。 しかし、だからといって物を配給することだけが必要なわけではありません。人はパンだけで生きるものではないからです。 私に愛があるのかどうか?心を痛め、自分の兄弟や仲間たち、絆を深めている人たちへの祝福を考えながら生きているのかどうか? それができていないから救われていないということではありません。 でも、救われているなら、愛が増し加えられるよう求めながら生きたらどうですかという勧めの言葉として読まれる必要があるのです。 愛の行いを生み出す信仰をキリストは私たちの心に与えてくださいました。キリスト教の信仰は自分が救われることだけのための自己完結型の信仰ではなく、いつの間にか神を深く喜び、人を愛することを望 むように心が動いていく信仰なのです。 +++++ 【詩編】 92:1 【賛歌。歌。安息日に。】 92:2 いかに楽しいことでしょう主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い 92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは 92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ琴の調べに合わせて。 92:5 主よ、あなたは御業を喜び祝わせてくださいます。 わたしは御手の業を喜び歌います。 92:6 主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。 92:7 愚かな者はそれを知ることなく 無知な者はそれを悟ろうとしません。 92:8 神に逆らう者が野の草のように茂り 悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても永遠に滅ぼされてしまいます。 92:9 主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。 92:10 主よ、あなたに敵対する者は、必ずあなたに敵対する者は、 必ず滅び悪を行う者は皆、散らされて行きます。 92:11 あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ 豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう 92:12 わたしを陥れようとする者をこの目で見 悪人がわたしに逆らって立つのをこの耳で聞いているときにも。 92:13 神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。 92:14 主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。 92:15 白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし 92:16 述べ伝えるでしょう わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。 ++++++++ 神への賛美と礼拝を楽しみながら生きることの祝福が歌われています。 神を味方として生きる祝福、神の勝利を味わいながら、また、それを期待しながら生きる生き方の中に、いきいきとしたいのちが溢れてきます。辛いことが無くなるわけではありません。 悲しいこともあるでしょう。しかし、主の真実はかならず、その涙を拭ってくださるのです。 神は公正な方、憐れみ深く永遠の味方でいてくださるからです。 |
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