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MACF礼拝説教要旨
2019年2月24日(日)
      原田元道
「神は愛」
聖書個所:ヨハネの手紙第一 4章7-10節
7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
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前回の私の説教では「十字架刑の真実」と題して、イエス様が処された十字架刑がどれほど残酷で屈辱的な処罰だったか、また、なぜ神の御子イエス様が十字架刑に処される必要があったのかをみました。
今日は「罪とは何か?」「赦しとは何か?」「なぜイエス様は死ぬ必要があったのか?」といったことを考えながら、神様がどういうお方かをみていきたいと思います。

1.罰する神
まず「罪とは何か」について。聖書において一番最初に罪を犯した人物というのはご存知アダムとエバです。彼らは「神のように善悪を知るものとなれる」(創世記3:4)という蛇の甘い言葉にそそのかされ、神様の言い付けに背いてしまいます。
また、罪と訳されている元々のヘブライ語およびギリシャ語には共に「的外れ」という意味があります。神様の思い・望みからズレてしまっていること、神様に従わないこと、それが「罪」ということができます。
罪を犯してしまうと罰を受けることになりますが、罪の罰は「死」です。この世に罪が入り込んできたために全ての人が死ぬようになったと聖書は語ります(ローマ5:12)。
また「罪が支払う報酬(罰)は死です」とも記されています(ローマ6:23)。そこには正しいことを行う神様、不正を許せない・許さない神様の一面が表れています。神様は私たち人間が神様に従わないことを非常に重く受け止めておられると言えます。

2.赦す神
神様は私たちのズレ(罪)を罰しないではおられない正しいお方です。しかし、それと同時に、私たちが罪を犯したとしても、その罪を赦してくださる恵みと憐れみと慈しみに富んだお方でもあります。
ただし、神様は私たちの罪を無条件で赦してくださる訳ではありません。罪の赦しにはそれ相応の償いが必要です。
私たち人間同士のもめ事に関しても謝罪はもちろん、賠償金や示談金を払う場合があるのと同じです。
聖書の律法には罪を犯した人(加害者)が、その罪を償うにはどうすれば良いかを記しているものが数多く存在します。中でも有名なのは、神様に対していけにえを捧げる儀式に関するものでしょう(例:レビ記4―5章)。
でも、なぜいけにえを捧げるのでしょうか。それは先にみた「罪の罰は死である」ことと関係しています。
神様にとって人間の罪に対する罰は、罪の大小にかかわらず全て「死」。なのですが、人間が罪を犯す度に命を捧げていては、人類はあっという間に消滅してしまいます。
そこで神様は人間の命の代わりに動物の命、特に動物の血を捧げるようにされたのです(参照:レビ記17:11)。
ただし、神様は私たちが心から神様に立ち帰り、神様に従う事を何よりも望んでおられます(参照:ヨエル書2:12-13)。私たちが形式的ではなく心から神様に立ち帰り神様に従うとき、恵みと憐れみと慈しみに富んだ忍耐深い神様は私たちの罪を赦してくださいます。

3.救う神
それにしても不思議ではありませんか。心から神様に従いながらいけにえを捧げることで、神様は私たち人間が犯した罪を赦してくださるはず。
なのにもかかわらず、人は皆等しく死を迎えてしまうのです。
罪の罰が死であることを考えると、人間の根本的な罪の問題はいけにえを捧げることでは解決されていないということになります。
ここで思い出して頂きたいことは、神様が天地万物を創造されたとき、死は存在していなかったということ。
しかも、神様はそれらを「極めて良かった」とされたことです (創世記1:31)。
神様は人が死ぬことを良しとはされていないのです。
これはとても大切なことです。
なぜなら、神様の救いの計画の中には最終的に死を滅ぼすことが含まれているからです(参考:1コリント15:26)。
そして、その救いの計画の完成のためにこそ、神様の独り子イエス様が地上に来られ、私たちの罪を背負って十字架に架かり、
死んだ後に復活することが必要だったのです。
なお、罪の赦しを得るためには心から神様に立ち帰り(悔い改めて)神様に従うことが必要だったように、完全なる救いを得るためにも心から神様に立ち帰り(悔い改めて)神様に従おうとすることが必要です(参照:使徒2:38)。

4.愛なる神
神様は人間が自らの罪のために死んでいくことを良しとされず、人々の罪を償ういけにえとして自らの独り子を十字架につけられたと聖書は語ります。しかし、そもそものところ、なぜ神様は人々を救おうとされたのでしょうか。
聖書には、天地万物の中で人間だけが神にかたどって創造されたと記されています(創世記1:27)。この「人が神にかたどって造られた」という表現の中には、神様が私たちをどれほど愛していてくださっているか、神様と私たち人間の間の「絆」の深さが込められていると思います。
その絆の深さは人間的な血のつながりの深さを超えるもの。言葉では到底説明のできない、理由・理屈抜きの神様の愛情の深さが詰まっているような気がします。
私には1歳になる一人息子がいます。この子が少し前に初めて40度近い高熱を出して5日間ほど苦しんでいた時がありました。
息子が高熱でうなされ、泣き叫んでいる姿をみながら、できることなら自分がその子の代わりとなってその苦しさ・辛さを引き受けたいと本気で思いました。そこに理由はありません。
ただ自分の愛する我が子が苦しんでいるのを見過ごせない、放っておけない、できることなら代わってあげたいという思いだけでした。
神様が私たち人間を救おうとされたのも、この思いに近いのではないかと思います。もちろん神様は、私が息子を思う以上に、御自分にかたどって造られた私たちのことをかけがえのない存在として思っていてくださっています。
そして、私たちが死の滅びに向かうのを良しとされず、子なる神御自身が身代わりとなって、私たちを救い出そうとされました。

そこに理由はありません。ただ神様は私たちが苦しんでいるのを見過ごすことができなかった。
私たちを見捨てることができなかった。そのために、たとえどんなに大きな犠牲を払うことになったとしてもです(参照:1ヨハネ4:7-10)。
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神様は人間が御自分に従わないこと、御自分の考え・望みからズレていることに対して罰を与える(死を要求する)正しいお方です。
と同時に、そんな人間を赦される恵みと憐みと慈しみに富んだお方。そして、たとえどんな犠牲を払ってでも、人間が死んで滅びようとしているのを見過ごせない愛に満ちたお方です。
その愛を示すため、子なる神御自身が人間の身体をとって、その当時、最も残酷で屈辱的な処罰であった十字架刑にかかられたのです。あなたが何かできるから、何かしたからではありません。
あなたの存在そのものがただただ愛おしく、放っておくことができないのです。
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◎主の平和と祝福がありますように!

関根一夫
pastor.kaz@gmail.com
https://www.kazsek.com/

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