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【今日の聖句】
2019.031.30 【ペトロの手紙第一】 2:13 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、 2:14 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。 2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。 2:16 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。 2:17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。 ** 社会的な制度に従うようにとペトロは勧めています。 でも、何が何でも従っていれば良いというのとはちょっと違う勧めです。ペトロはここで「主のために」という言葉を書き添えています。 私たちは「主のために」こそ生き、従い、善を行いながら生きているのです。 つまりここにひとつの制約があります。 皇帝に従うと言っても、それをうなずかせてくれるのは主なのです。闇雲に何でも服従すれば良いのだということではありません。 社会秩序のために必要なルールには従うべきです。善いことに励む姿勢は大切です。悪を行う口実に自分の自由を主張することは決して正しいことではありません。 しかし、神を畏れることと皇帝を敬うということの間にある種の区別があるのです。「主のために皇帝に従う」 とは、「皇帝への服従」を指示しておられる主イエス様の位置を皇帝よりも高いところに置いているのです。 皇帝は神ではありません。 神を畏れつつ、皇帝を敬うとは、皇帝は服従の対象であっても神ではないということを明らかにしている言葉です。皇帝を神様と同列に置いて服従することをペトロは勧めてはいません。 それは現在の社会制度の中でも奨励されるべき姿勢です。為政者に対する尊敬や祈りや協力は良いことです。 しかし、彼らは決して神様と同列ではありません。 人間を神として礼拝するように強要されたとき、私たちはノーと言わざるを得ません。尊敬と礼拝との間には大きな差があります。 頭を下げることがすべて偶像礼拝に通じるわけではありませんが、この権威者を神として礼拝するようにと命令されたら服従することはできません。 日本ではかつて、この命令が出されていました。そういう中で生きた経験をしている先輩たちはさぞ大変だったと思います。 今、私の中にノーという覚悟ができているか試される今朝のみ言葉です。 今日も主のために、また主とともに、善を生きましょう。 ** 友人がこういう映像を送ってくれました。 大変考えさせられました。 https://www.tv-tokyo.co.jp/documentary_190326/ **** 【詩編】 119:161 地位ある人々が理由もなく迫害しますが わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。 119:162 仰せを受けてわたしは喜びます 多くの戦利品を得たかのように。 119:163 わたしは偽りを忌むべきこととして憎み あなたの律法を愛します。 119:164 日に七たび、わたしはあなたを賛美します あなたの正しい裁きのゆえに。 119:165 あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり つまずかせるものはありません。 119:166 主よ、わたしは御救いを仰いで待ち あなたの戒めを実行します。 119:167 わたしの魂はあなたの定めを守り それをどこまでも愛します。 119:168 あなたの定めと命令を守っています。 わたしの道はすべて御前にあるとおりです。 ++++ 何を心の拠り所として立っているか鮮明に表現されている詩編です。 神の言葉に対する信頼、神への感謝と賛美、そして神への期待、そういう思いが心を満たす時、私たちは人生を前向きに歩むことができるのでしょうね。 今朝の詩編には、作者の凛とした生き方が浮かび上がるような迫力があります。 あなたの今の心の状態と、この詩編の内容はマッチしているでしょうか。 こういう告白、そしてこういう生き方こそ、私たちの姿勢を正すためにとても有効なのです。 |
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