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【今日の聖句】
2019.05.31 【ヨハネの手紙第一】 2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。 +++ 私たちはどんなに頑張ってみても、イエス様のようにはなれないのですが、それでも、イエス様を愛し、イエス様に学び、イエス様に従い、イエス様だったらどういう応答をするのかなと考えながら生きることで、「キリストの香り」を少しだけ放つことができるかもしれません。 私はイエス様のようだという自覚があるときは、案外的外れになっているかもしれませんが、無意識のうちに実行することができた善い行いなどを通してイエス様の心を身に つけることができるのです。 多くの場合、「イエスが歩まれたように」という言葉の背景には奇跡を起こしたり素晴らしいことを実行したりという意味合いよりも「他者のための苦難を忍び、他者とともに悲しみを担いつつ生きる」という方向性が意図されているように思います。 それにしても、イエス様についての学習やイエス様への心の共感を深めることが必要です。 福音書の中で教えられているイエス様の勧め、イエス様の命令をもう一度丁寧に読み直し、学びなおしたいですね。 イエス様の生き方に注目していきましょう。 今、MACFでの礼拝は「イエスの生涯」を学んでいます。 一緒に進んで行きたいですね。 ++++ 【箴言】 5:15 あなた自身の井戸から水を汲み/あなた自身の泉から湧く水を飲め。 5:16 その源は溢れ出て/広場に幾筋もの流れができるであろう。 5:17 その水をあなただけのものにせよ。あなたのもとにいるよその者に渡すな。 5:18 あなたの水の源は祝福されよ。若いときからの妻に喜びを抱け。 5:19 彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか。いつまでもその乳房によって満ち足り/常にその愛に酔うがよい。 +++ ここに書かれている「井戸」「泉」という言葉は、妻を象徴する言葉として使われていると言われます。水を汲み、水を飲むという言葉は、それゆえ、夫婦の関係を指しています。箴言は夫婦が互いにいつまでも仲良くすること、 しっかりと節操を守ることを社会における基本的ルールとして教えています。 おおらかな中に厳しさをもって、警告を発しています。この教えは時代を超えて、大切にされなければならない教訓です。 この戒めを「本当に、その通りです。私は伴侶を心から愛し、さらに愛を深めつつ生きていきたいと思います」と告白し続けることが出来る人こそ、幸せを知っている人なのだと言えるのかもしれません。 しかし、夫婦の間ほど、「馴れ合い」「諦め」「誤解」「すれ違い」が入り込みやすいものはありません。 わざわざ、こういう戒めが書かれなければならないのは、夫婦の関係維持がとても難しい場合が多いからです。 結婚記念日を忘れる人はいないでしょうが、そのときの誓いがかすんでしまっているケースも多いかもしれません。結婚や夫婦のあり方について、今朝の箴言を土台に 据えて見直してみることも有益であり、大切な作業です。 |
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