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【今日の聖句】
2019.06.26
【ヨハネの手紙第一】
3:19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、
3:20 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。
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もし、私たちが神の愛を知り、 言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合うことが実践できるなら、私たちは神の御前で安心することができます。
いいえ、どんなに小さな出来事でも誠実に事に当たり、愛を込めて生きることができるなら、私たちは神様の微笑を心に受け取ることができるのです。
しかし、不思議なもので、愛することができるようになったと手放しで喜んでいられるかというと、いつでもまだまだ不足している自分に気づかされ、完成には程遠い自分を発見します。
心が責められるほど自分の愛のなさを味わうことがあるのです。でも、それは極めて正常です。
自分には愛があるなどとは、とても言えないと感じつつ、目の前の出来事に誠実にあたり、周囲の人たちへの優しい対応を心がけていくなら、きっとそこには神の愛がどこかに見えているはずなのです。
神様は常に私たちの不足を知っていてくださるお方です。
自分の愛も自分の配慮もまだまだ足りないなと感じる、ま
さにそのときに、神様はその部分について、私たちを責め立てることをせず、じっと、待っていてくださるのです。
だから自分を責め立てて自暴自棄にならないように、自分の不足に愕然として神様は私のことなど嫌いだと思うなどと断定してしまわないように気をつけなければなりません。
神様は大きな心で私たちを受け入れてくださっているからです。
「愛については、まだまだ足りないなぁ」と思えるあなたにこそ、神の愛は溢れているのかもしれません。
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【箴言】
8:35 わたしを見いだす者は命を見いだし/
主に喜び迎えていただくことができる。
8:36 わたしを見失う者は魂をそこなう。
わたしを憎む者は死を愛する者。」
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「わたし」という言葉はもともと「知恵」を指しているわけですが、「キリスト」と置き換えて読んでも間違いではありません。
「人生は出会いで決まる」と言われていますが、出会いは私たちが選ぶことができません。
そこに誰かがいるなんてわからないし、どこで誰に出会うわ
からないからです。出会いを選べないからこそ、いろいろな苦労や悲劇が起こります。
でも、同時にだからこそキリストに出会ったということもあるわけです。
クリスチャンになりたくて仕方がなかったという人よりも、クリスチャンになるなんて自分でも考えていなかったという人の方が多いだろうと思います。
キリストに出会えた人、キリストを信じることができた人たちには本当に思いがけない出会いがあったわけです。
しかも、そういう出会いを神様は「私を見いだしてくれてありがとう」と言い、私たちを立ててくださいます。
信仰を持ったとか、キリストを信じましたという言葉は冷静に考えれば神様に出会いを用意してもらっていたと言うことになるのだと思います。
その出会いは実は、本当に多くの人たちに用意されているのです。
今日はどういう出会いが待っているのでしょう?
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