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【今日の聖句】
2019.06.28
【ヨハネの手紙第一】
3:23 その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。
3:24 神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。
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ここにある「掟」というのは、神様が私たちに求めている最重要課題です。
それは、ふたつの方向性を持っています。
ひとつは、キリストを信じ、この方の愛の中に留まること。もうひとつは、キリストの愛を受け取りながら、周囲の人たちと互いに愛しあうことです。
神を愛し、人を愛するとまとめることも可能です。
「愛する」とは「大切にする」「丁寧にかかわる」ことです。
あなたがキリストを信頼し、キリストに学び、キリストを礼拝するとき、あなたは心に神様を迎え入れているばかりではなく、あなたの存在が神さまの内側に置かれているのだとヨハネは言います。
神が心にいてくださることも真実ですし、私が神の中に置かれているというのも真実なのです。
さらに、私たちが互いに大切な存在として尊敬しあい、関わりを楽しめるとき、その真ん中に神様がいてくださいます。
具体的には、あなたが愛を込めて誰かに挨拶するとき、あなたと相手の真ん中に神様がいてくださるのです。
あなたが誰かに祝福を祈るメールを書いて送ったら、その出来事の中に神様がいてくださるのです。
あなたの笑顔はイエス様の笑顔を運んでいることになります。あなたの祝福の祈りは神さまの願いを運んでいることになるのです。
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【箴言】
9:7 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。
神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
9:8 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
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旧約聖書のなかにある、ちょっと「切り捨て」的な発言です。格言としてはやむを得ないのかもしれません。
「不遜」な者、「神に逆らう者」に対する戒めや叱責はむしろ反発を買うだけだと格言は教えています。
ある人たちに対する叱責や教訓の伝達については、神様にお任せし、時を待たなければならないという状況もあるように思います。
この格言では、知恵ある人を叱れと教えています。
「叱られるうちが、華だ」
と言われますが、あなたを叱ってくれる人はいますか?
案外、そういう存在は大切です。
でも、誰かに叱られて「逆ギレとか極度の落ち込み」がなければ良いですね。
現代人にとっては、それは「不遜な人」というより、
「受けとめ方を学習してこなかった人」「言葉による直接的な人間関係を作る時間が少なすぎた人」と言えるかもしれません。一種の学習障害かもしれないなと思うことがあります。
人に声をかけて話してみるとか、とにかくある話題について「直接、人と話す時間を取る」ことで少し変われるかもしれません。
人からの高い評価も低い評価も受けとめられるようになりたいですね。
「いいね」の数は本当のあなたへの評価とは限りませんから。
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