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2019.07.30
【ヘブライ人への手紙】
2:1 だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。
2:2 もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、
2:3 ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、
2:4 更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。
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私たちは人から何かをいただいたらお礼を言います。あるいは礼状を書き、ある場合にはお返しをします。
そして、その戴いたものが重要なものであればあるほど大切にします。
神様は私たちに重要なものをくださいました。キリストのいのちを代価にした罪の赦しと永遠のいのちの希望、神の子どもとなる特権などなど。
でも、私たちは案外そういう賜物に対して無頓着なことが多いのです。
心がなかなか、目先のことから離れないのかも知れません。
私たちに届けられた救いがどういうものであるのか、どれほどのものであるのか少し時間をとって学び続けていきたいですね。それにもう少し心を向けてみたらいかがでしょう。
【箴言】
11:23 神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。
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信仰というのは、自分の思い通りになるように神様を利用する生き方ではなく、むしろ結果がどうあれ、生かされていることを神様に感謝しながら、希望を持って精一杯生きることであり、また自分の限界を知りふて腐れずに自分の期待を断念する勇気を持って生きるという両面があるように思います。
神様が与えてくださる意欲で一生懸命生きること、と、最終的には神様に結果をお任せすることの両方が大事なことなのです。それができると、案外ストレスは少なくて済みます。できたことへの感謝と自分の思い通りにならなくても神様の計画が背後にあるのだと信じて安心できるからです。
それに反して、神に逆らう人の期待は怒りに終わるとありますが、自分の思い通りにならないと腹を立て、神様に文句を言う姿が描かれています。
どんなにがんばっても限界があり、本当に満足できるようにするのは難しいことです。
自分の思い通りになる範囲はそれほど広くはないので、どこまで行っても不満足の種が落ちているものなのです。
感謝を覚えること、他者の利益を選べること、礼拝しながら神様と一緒に人生を見ていくこと、自分のものとして結果に固執しすぎないことなどはとても大切な「希望的」生き方に通じます。
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