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【今日の聖句】
2019.08.29
【ヘブライ人への手紙】
9:9 この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。
9:10 これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。
9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、
9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
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9章の最初の部分で礼拝と地上の聖所についての説明が語られた後、記者は、それらの規定や捧げ物をもってしても、私達の良心を完全にすることはできず、つまり、咎めや悪をすっかり拭い去ることはできないと教えています。人間の儀式には限界があるのです。それは「雛形」であり、完成されるためには「本物の贖い主」が現われなければなりませんでした。
キリストは、贖い主としてこられ、今までのようにヤギや羊や雄牛の血ではなく、ご自分がささげものになり、身代金になり、私達の心を清めるために十字架で死んでくださいました。
キリストこそ旧約の時代から待ち望まれていた救い主なのだとこの手紙の記者は力説しています。
私たちを救うために、神様がどれほど昔から計画をたて、形式を考え、歴史を通して準備し、イエス様において実現させたのか、考えれば考えるほどその愛の深さを感じます。
私たちを赦し、良心を完全なものとし、ご自分の宝にしようと、御子イエス様を十字架で死なせる、こういう内容は人間の親子の「愛」をはるかに超えており、説明し尽くすことはできません。「驚くばかりのめぐみ」です。
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【箴言】
14:16 知恵ある人は畏れによって悪を避け、愚か者は高慢で自信をもつ。
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「畏れを持つ」とは「神への畏れを持つ」「礼拝の心をもつ」と繋がっています。謙遜さを身につけているという理解になります。知恵ある人はそういう心をわきまえているというのです。
それに対して「神への畏れも礼拝の心もなく、自分を神のように考えてしまっている人」を箴言は「愚か者、高慢」と呼んでいます。
自分の心にしっかり刻みたい言葉です。
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