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【今日の聖句】
2019.08.31 【ヘブライ人への手紙】 9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、 9:28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。 *** 私たちが肉体の死を経験することと、その後、神様との間でこの地上における生活の清算をされることが定まっていると書かれています。 裁きという言葉は何となく「罰」を連想させる言葉ですが、決してそればかりではありません。 「よくやった」という言葉も裁きの言葉として聞くことのできる内容です。 キリストを信じることで、私たちは永遠のいのちをいただけるわけですが、でも、キリストを信じたからと言ってこの地上での生活すべてがばら色に変わるわけではありません。時に私達の信仰が理由で誤解されたり、迫害されたりすることだってあります。 そういうことについての「神様からの慰めの場」が死後用意されているということも「さばき」という言葉の中に含まれているのです。 自分の身に降りかかってきた様々な「不運」と思われることごと、怒りや憤り、社会悪、自分では選択肢のない家庭的な不幸、個人的な苦悩などがやがて「清算」されるときがあるのです。 地上ではすべてを決算することができません。卑怯な人がずっと卑怯に生きてしかも、幸せそうに生きることだってあります。 悪が勝っているように見えることもあります。納得できないことだってあります。にもかかわらず、私たちは礼拝者として生きられるのです。それは最終的な決算の場が間違いなく用意されているからです。人生における「負け犬」呼ばわりされることがあっても心配はありません。神様が最終的な慰めの場を備えてくださっているからです。 それも裁きの日の出来事です。「いつか、きっと」安心と慰めとうなずきを味わえるその日が来ます。それは定まっているのです。信じて待ちましょう。 **** 【箴言】 14:29 忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる。 14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。 +++ 「短気」についての戒めが箴言にはたくさん出ています。よほどそれで失敗した経験があるのかもしれません。 そしてここには、「激情は骨を腐らせる」とあり、怒りについて警告しています。 短気と怒りっぽさは連動しています。 それがひどくなると、短気と激怒の連鎖になり、人は近づかなくなります。 骨を腐らせるという内容が具体的に「病気の原因」を語っているのかどうかわかりませんが、怒り続けていれば血圧は上がるでしょうし、その憤りは健康に良いものではありません。ただ、怒りが全部否定されるべきでもありません。怒ることもまた正常な反応だからです。 しかし、できることなら「穏やかな心」をもって応答したものですね。 誰に対しても、ある程度の「穏やかさ」が表明されていたら、深刻な問題が起こっても、傷が深くなりません。 私の心の中の傷は「激情による罵倒」を体験した時のものが深刻なほど深く残っています。 一種のトラウマになっているような気もします。 人生の中で何度もあることではありませんが、そんな体験もさせてもらったこともあるので、なおさら人への穏やかな応答の必要を感じます。 出来ることなら、肉体を生かすといわれている「穏やかな心」を、穏やかに分かち合いたいものだと思います。 |
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