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【秋の気配を感じさせるお花たち】
カメラをもって家の近くを歩いてみました。 そこには色とりどりの花が咲いていました。 小さな花、大きめの花、私は名前はわからないのですが、それらの花の色彩に心打たれました。 誰に見られるかわからない、いいえ、誰も気にも留めず通り過ぎてしまうかもしれない道端の花。 でも、よく見ると実に美しく、実に見事な形状、見事な色彩、咲いていてくれてありがとうと言いたくなるような 花を見ながら、なんとなく心が和み、優しい気持ちになっていくのがわかるような気がしました。 咲いていてくれてありがとう、と声をかけながらシャッターを切りました。 写真は https://blogs.yahoo.co.jp/pastor_kazsek/56503135.html |
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【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.08.27 見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。 あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。 (マラキ書3章1節) 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 (ルカによる福音書2章10節) ++++ 神は私たちに使者を、救い主を送ってくださるという聖書の箇所です。 助けはあるのです。どんな状況にある人に対しても神の助けはあるのです。 気づいていないだけということが多いかもしれませんね。 |
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【今日の聖句】
2019.08.27 【ヘブライ人への手紙】 8:1 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、 8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。 **** 地上には「完全」は存在しません。社会も評価も人間そのものも変化し、しかも、私たちには死がありますので、どこかで断絶します。 キリストの地上での働きは、そのまま天でも有効なものとして継続しているので、安心して信頼できるのだとこの手紙は教えています。人間がどんなに立派なことを実行してもそれが本当に神様の前で価値のあるものなのかどうか確証できません。 キリストは、その復活という出来事によって、神様が満足され、神様に受け入れられたということの証しを立てられました。 キリストの地上での出来事は、そのまま天でも有効な出来事として評価されているのです。 だからこそ、キリストを救い主と信頼するなら救われるのです。私たちと父なる神様の間に立って、罪の赦しと和解を造る事ができるのはキリストだけなのだと聖書は教えているのです。 地上で人間のすべての罪となり、また神様へのいけにえとして十字架に死なれたキリストは、天においても大祭司として、十字架の出来事を有効なものと見ておられるからです。 キリストのお陰で私たちは、罪の赦しを得ることができるのです。 祝福がここにあります。 *** 【箴言】 14:13 笑っていても心の痛むことがあり/喜びが悲しみに終ることもある。 +++ 人間の心には、誰にもわからない部分があります。自分は自分であり、他者は他者だからです。ある程度の推測は出来ても、その人にはなり得ませんから、本当のところ人の痛みはわかりません。 笑っていても心の痛むことは、大いにあります。喜びが悲しみに終わることもずいぶんたくさんあります。 出来ることならもっとわかりやすく、笑えるようならずっと心が軽くなれば良いのですが、必ずしもそんなに単純ではありません。 しかし、笑う心は大事です。笑うことも泣くことも等しく大事な感情であり、どちらも出来るうちはある程度、人間らしさを保って生きているということが言えるのです。 人生は複雑なので、笑いながら泣く事も、泣きながら笑うこともあるほどです。 しかし、泣く事もあって良いのです。幸せな人は泣かない、とか、不幸な人は笑わないとか、一方だけに決めつけてしまうと、無理が生じるのです。 嬉しくても時に不運に直面し泣く事があり、泣いていても、ふと、嬉しくなって笑えることがある、それが人生です。 泣く事ばかりを恐れて前に進まないのは良くないです。笑えることだけを追い求めて、現実を逃避するのもまずいです。 人生、泣き笑い、織り交ぜて、楽しめるように出来ているようです。 今笑っている人にも、今泣いている人にも、祝福がありますように。 |
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「カウンセリングの合間のカウンセリング」
昨日はクリニックでのカウンセリングの合間に近くの知的・精神障害を持つ園児の通っている施設に行き、しばらく子供たちと遊び、その後午後先生たちと面談を行いました。 幸いクリニックから道を隔てた歩いて2分くらいのところにある施設なので、こういうことができるわけです。 私が部屋に入って行き、スリッパを脱いで子供たちが遊んでいるマットの上に登るとすぐに二人の男の子がニコニコやってきてハイタッチ。 その子たちはしばらくしてまたやってきてハイタッチ。 別の女の子は本を見ていたので「読んであげようか」と声をかけたら「いらないよ、向こうに行って」と押し退けられました。 隣の部屋では一人の男の子がレールを組み立てて汽車で黙々と遊んでいましたが、その隣には足をバタバタさせ、大泣きしている男の子。汽車で遊んでいる子はまったく我関せずという状態。泣いている子は「僕もあの汽車が欲しい・・・。今じゃなきゃ、やだー。おうちにかえりたーい」というようなことを絶叫。 昨日は園児八名。先生が六名。 しばらく様子を見て子供たちと一緒にお茶を飲み、クリニックにもどり、午後、またそこに行って先生たちと面談しながら子供についての話になりました。 最初、ハイタッチしてくれた男の子5歳。「先生、あのSちゃんはね、先生のスリッパの音がして扉の前に先生が立ったとき、気づいていたんですよ。」 「それで先生が入ってきてスリッパを脱いでマットの上に上がるのを待って、先生の所に行ってハイタッチしたんです。待てるようになって、様子を見ながら頃合いを察知して近づいていけるようになったんですよ。 あの子が最初きた時は落ち着きがなくて、所構わず走り回るし、座っていられないし、隣の子にはちょっかいを出すし、っていう状態でしたから、状況を見ながら先生に近づいて行ってハイタッチしたのを見ながら成長を感じました。 でも、お昼の時には大好きなお味噌汁の中に入っていたなめこを、ちょっと目を離した隙に手をお椀に突っ込んで取って食べてたんですよ。そしたら、あっという間に口の周りが赤くなってしまって・・・・。でも、最初の頃は嫌なものがあるとちゃぶ台返しを繰り返してましたからねぇ。 Sちゃんも、ずいぶん変わりました。」 「大泣きしていたT君は、今年から入ってきたのですが、気に入らないと、大爆発して、寝転がって大泣きするんです。 家には妹さんがいて、やはり妹さんとの間で嫌なことがあると、大げんかになり、泣き出して止まらないようです。お母さんが厳しくて、怒ることもあるようですが、あまり有効じゃないみたいです。できるだけ声をかけて、一緒にいてあげるようにしています。」 先生たちの温かいまなざし、忍耐強い繰り返しの練習の中で子供達は少しずつ他の人たちと一緒にいられるようになっていきます。 ご両親の中には「文字をもっと教えて欲しい。もっと数字のことを取り上げて欲しい」と求める方々もおられるようですが、それらのお子さんたちの中には年長の園児の中にも靴の右左がわからない、箸やスプーンの持ち方がわからない、自分でシャツの後ろ前を理解できていないという状況の子供たちがいるので、何を優先にすべきか、常に悩みながら子供たちと付き合っている感じです。 でも、子供達にとっては居心地の良い場所になっていることは間違いなくて、それぞれ表情がなごみ、どんどん柔なくなっていることはすぐにわかります。 園児たちに対する「いてくれてありがとう」の心は伝わっているなぁと思いました。 先生たちにも「いてくれてありがとう」 |





