|
◆おはようございます。今週の金曜日はバイブルワークショップが開講されます。ローマの信徒への手紙第三回目です。お楽しみに。
◆水曜礼拝は休止中です。 今日の聖句 2012.07.03 ルカによる福音書 ◆主の晩餐 22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。 22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 22:21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。 22:22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。 +++ イエス様は「過ぎ越しの食事」と、ご自分の苦難を重ねておられます。過ぎ越しの食事は、イスラエルの民が、その昔、奴隷状態になっていたエジプトから脱出する際に、神による救いと裁きの象徴として家族で食した特別な意味のあるものでした。(出エジプト11章、12章参照) しかし、弟子たちには、それがどういうことなのかわかっていませんでした。 キリストのからだ、キリストの血が提供されるからこそ、私達の救いがあるのですが、弟子たちにはその意味が、この時点では全く理解できていないようです。そう考えると、私達にもなかなかピンとこないようなことが有るとしても、無理のないことなのかも知れませんね。 罪の支配からの解放と、罪の赦し、そして神との和解のためにキリストの血と、キリストのからだが提供されました。それを食すというのは、自分の中に受け取り、自分のものとするという信仰の表明です。 教会における聖餐式は、まさに、この出来事を継続的に思い出すための重要な礼典なのです。 祝福がありますように。 ++ 【はじめのはじまり:創世記】 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 +++ 古代オリエントの神話の中にある神々の創造の話は、神の自己拡大、神の自己形成などが中心であり、また、創造が神の一部として理解されていることが多くあります。そういう話の中での神は気まぐれであり、乱暴者でもあります。しかし、聖書の神は、それらとはまったく違っています。 聖書の神は、被造物に安全、平和、秩序をきちんともたらしているからです。闇が覆っている状況の中で、神は「光りあれ」と言われ、光が創造されました。 光をもたらす神の言葉、秩序をもたらす神の言葉とその力、まさに、この言葉を信じることによって、私たちは神を知ることが出来るのです。 祝福がありますように。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





