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【ウクレレとキュウリ】
昨日はカウンセリングのためにいつものようにクリニックに行きました。
暑さもあり、途中何人かのクライアントのキャンセルがありました。
時間の合間をみて、併設されているアールブリュという通所リハビリのデイサービスに顔を出し、午前中ウクレレで何曲か一緒に歌い、午後も数十分でしたが、今度は臨床美術による「キュウリ」に挑戦しました。
歌っているときも、描いているときも思ったのですが、そこに集まっている方々が、それぞれ真剣に大きな声で歌い、真剣にでも、楽しみながら絵を描いている姿の中になんとも言えない明るさ、穏やかさがあるのです。
アールブリュでの基本的な姿勢としては「比較」は存在せず、「うまい・下手」という評価も存在しません。
そこにあるのは「いてくれてありがとう」「楽しい時間にしましょうね」ということ。そして、人は感じるままに歌い、感じるままに描けた時、そのひとなりの満足感があるはずだという思い。
そういう雰囲気の溢れている場所は、誰にとっても居心地がよいものです。
わたしも、そこにいることでとても励まされ、元気になれるような気がします。
私の経験では、ここのデイサービスでの高齢者の方々との交流が、カウンセラーを癒やす力をもっていることを実感しています。
「いてくれてありがとう」のあるところには「癒やし」があるようです。
写真は
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【日ごとの糧】〜ローズンゲンより〜
2018.07.03 主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。 (詩篇116編12節) イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」 (マルコによる福音書5章19節) ++++ 主が報いてくださった事柄、主が憐れみをもって良くしてくださった出来事を心にしっかり刻み、それを感謝し、また、必要があれば、それを分かち合うこと、それによって神様との絆は強くなります。 受け取りっぱなしになりがちですが、感謝を言葉にすること、感謝を具体的な行動に移すこと、それはとても大切です。 「ありがとう」を言葉で表明することひとつにしても、それによってもたらされる祝福は小さくありません。 |
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【今日の聖句】
2018.07.03 【ルカによる福音書】 22:21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。 22:22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。 +++ イエス様は事の一部始終をご存知でした。ユダの裏切りについて知っていました。 その裏切りのもたらす悲惨をご存知でした。 でも、弟子たちはまだ気づいていません。 この章の最初の部分に 「22:3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。 22:4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。 22:5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。」 という説明がなされています。 ユダの心の中に、いつしかイエスさまに対する不信感、物足りなさなどが生まれ、敵対する祭司長たちのところに行ってイエスさまを売り渡そうという思いが強くなっていきました。 そして、その思いが心に深く入り込み、占領するようになりました。「サタンが入った」と は、本来のイエス様の弟子としてあるべき思考が、歪められ、神に対する反抗心がユダの心を支配したという意味です。しかし、イエスさまを売り渡そうとする思考が固まるまでの 間、ユダの心は揺れていたと思います。それは、いわばサタンの誘惑とせめぎ合っていたということでしょう。しかし、最終的には、彼は弟子としての使命も誠実さも捨ててイエスさ まを売り渡す決意を固め、それを実行することに決意するのです。 イエス様は、それをご存知でした。「人の子を裏切る、その者は不幸だ」というイエス様の言葉をユダはどのように聞いていたのでしょう。その声は「悔い改めを促す声」だったのだろうと思います。思考を固めてもまだ実行していないわけですから、まだ遅くはなかったはずなのです。 でも、ユダは実行します。そして、その結果がイエスさまに死をもたらすことがわかったとき、反省し、後悔し、金を返しに行きますが、ときはすでに遅いのです。 +++++ 【コヘレトの言葉】 10:12 賢者の口の言葉は恵み。愚者の唇は彼自身を呑み込む。 10:13 愚者はたわ言をもって口を開き うわ言をもって口を閉ざす。 ++++ 新改訳聖書では 「10:12 知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす。 10:13 彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、みじめな狂気。」となっています。 優しい言葉、それは知恵ある者の証拠なのかもしれません。 愚かな者は、自分の言葉で自分の愚かさを吹聴し、信用できない言葉ばかりを並べ、自己矛盾の中に評判を落とし、信用を失っていきます。 「なぜ、あんなことを言うのだろう」と感じる講演や説教は、講演者が「自分の愚かさに気づいていないから」なのだと思います。 かくいう、私も「なぜ、あんなことを言うのか」という批判を山ほど受けて、今に至っているように感じます。 自戒をこめて、心に留めるべき言葉です。優しい言葉、恵みの言葉を語れる人になりたいものです。 |
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